第18話

冬が来た。


乾いた風が制服の裾をはためかせ、

朝の空気は凍りついたみたいに張り詰めている。

校門から見える空はやけに高く、木々の枝も、音ひとつ立てずに震えていた。


それでも季節は巡っていて、学校はいつもと同じように始まり、終わる。


夏葵と雅貴は、あの夏よりもむしろ少し距離が開いたようにも見えた。

だけど、それは悪い意味ではなかった。


ふたりは帰り道、時々一緒に歩いていた。

無理やり何かを話すでもなく、ただ黙って並んで歩いているだけだったりする。

時々どちらかが思い出したかのように、あ、犬だ。とか、凍った水溜りをみて、見ろ凍ってるぜ、だとかを独り言のように言うだけ。

それに対して適当な返答をし、また無言へと戻る。

けれど、その静けさに気まずさはなかった。


北風が強くなり、寒さに耐えきれず、コンビニで買った肉まんを、雅貴が半分に割って差し出す。

夏葵は少し嬉しそうにそれを受け取ったかと思えば――


「うわ!オマエの方がでかいじゃん!」


と、口を尖らせて喚く。


「いや、俺が買ったんだから当たり前だろ」


雅貴が呆れたように言い返して、

それに夏葵が「うっわー、そういうこと言っちゃう?」と肩をすくめて笑う。


喧嘩をする前、夏休み中だったら雅貴はきっと、自分のと交換することを申し出ていただろう。

嫌われたくないから。夏葵に従っていれば、満たされたから。


でも今は違う。

別に言いたいことを言っても、そんなことでは嫌われないことを雅貴は知ったから。

夏葵という救世主ではなく、ただひとりの長谷夏葵を見つめて話せるようになったのだ。


髪を掴み合ってお互いを引き摺り落とした日から、彼らは救世主と信徒ではなく、ただの14歳と14歳になった。


並び合って、隣を歩くだけ。

それだけで満足だった。


でも、世界は綺麗なものだけではできていない。


泉は日に日に細く、顔色は血の気を失って隈が目立つようになった。

瞳にはほとんど感情の色が浮かばない。


笑うことも少なくなった。

最後に声を聞いたのはいつだっただろうか。


時計の針だけが動いていて、それに合わせて呼吸をしているような日々だった。


夜な夜な、隣の部屋から聞こえる、鈍い音。


机に頭を打ちつける音。

そして、それに続く小さな啜り泣きの声。


泉は耳を塞がなかった。

塞いではいけないと、そう思っていた。


自分がそれを聞くことが、贖罪だと思っていたから。

兄の苦しみに、目を背けず耐え忍ぶことが、何も言えない自分にとって、せめてもの償いになるのだと。


でも限界は、確実に近づいていた。


日を追うごとに真澄の声は弱っていき、泉の体も、心も削れていった。

眠れない夜にとって、冴えた月の光と頬を殴るように通っていく北風だけが、ふたりの苦悩を知っていて、唯一の味方だった。



陽翔は、ずっとそんな3人を見ていた。


少し距離が空いたところから。

手を伸ばしかけては、引っ込めることを繰り返して。


「そろそろ行こーぜ!」


「陽翔がいないと始まらないんだから!」


誰かが腕を引く。

陽の当たる中心へと戻される。


陽翔は、掴まれる手を振りほどけなかった。

流れるように中心へと戻り、大きな声で騒ぐ。

名前を呼ばれ、拍手を送られ、話題の真ん中にいる。


まるで物語の主人公みたいなポジション。


でも、ふと視線を逸らした先にいる、夏葵や雅貴、そして泉を見つめるとき、陽翔は思うのだ。


自分は、何も持っていない、物語の端っこにいるただの脇役だ、と。


あいつらの中に、自分はいない。

昔はそこにいたはずなのに。

今はもう、いない。


陽翔は何も悩みがない。


母さんも父さんも仲良くて、妹は生意気だけど普通に可愛い。

食卓には毎日栄養満点のごはんがあって、眠れない夜なんてひとつもない。


完璧な“普通”を持っている。


なのに、その“普通”が、やけに陳腐に思えた。

そしてすぐに、陳腐に思ってしまったことを悔やんだ。


母さんも、父さんも、妹も大好きだったから。

誰かを責めるつもりも、否定をするつもりもなかったのに。


ただ、夏葵が、隣にいないことが寂しかった。


三人のその内に秘めた苦しみを知れないのが寂しかった。


季節が変わっていくように、人の関係も変わっていく。

冬の光はやさしく見えて、どこか残酷だ。

輪郭をはっきりとさせてしまうから。


陽翔は、そんな冬をただ見つめていた。

“誰かの物語”を読むみたいに。


でも、本当はずっと――

あの中に、自分もいたかった。


日は傾き、吐く息が白くなる。


早く家に帰らないと母さんが心配する。

妹が、俺が遅いせいで夕飯が遅くなったと文句を言ってくる。

父さんが、ニヤリとしながら母さんのおかず、陽翔の分も食べちゃったぞ、と揶揄ってくるだろう。


月の光が、俺はもう用済みと言わんばかりに空高く、輝いていた。

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