第15話
みんなが半袖を着る頃、陽翔はすっかりクラスメイトたちに囲まれていた。
教室で、廊下で、部活帰りのグラウンドで。
「ねえねえ、陽翔~!夏葵くんとはもう別れたの?」
「えー、あんだけ一緒にいたのにねー?」
「原因はズバリ、長谷のウワキだろ?」
「あー、あの北区の事件だろ?陽翔というこんなイイ男捕まえといてよくやるよな」
「ヨシヨシ、可哀想になぁ、今年の夏は俺たちと遊ぼうなぁ」
笑いながら、馬鹿にしながら、茶化すように言ってくる。
そして俺もその渦に飲み込まれる。
「別れたとか、付き合ってたわけじゃねーし。」と軽く流すことしか出来なかった。
反論も否定も出来ない。
全てがみんな冗談で、この場限りの適当な発言だから。
一時間後には忘れているような、発言だから。
そんなものをまともに受け取って会話しちゃ、いけないのだ。
一方、夏葵はそんな陽翔の姿を遠くから見つめていた。
部活帰りの坂の途中、いつもの帰り道。陽翔が誰かと並んで笑っているのが見える。楽しそうな空気が痛いほど伝わってきた。
俺といた時より大きく笑っていて、俺は何だか恥ずかしくなって身を縮こませた。
「……あは、陽翔たのしそー。やっぱ俺、ずっと邪魔だったんだなぁ」
陽翔の笑顔を見てそう呟いたあと、夏葵はその場から視線をそらした。気づかれないように、夏の風景になろうとして。
そして、夏祭りの日が来た。
陽翔はクラスの友達と男女混合のグループで参加していた。派手な柄の浴衣を着た女子、サッカー部の同級生、ちょっと年上の先輩も混じっていて、にぎやかな笑い声が辺り一面に響いている。
それにつられて色んな人間の色んな知り合いが集まってきて大きな集団と化していた。
「陽翔~!かき氷買ってきてー!メロン味!」
「わりー俺、いちご派、そんで練乳がけマスト。」
「あはは、細かい男は嫌われるよー」
「うるせー、余計なお世話をする女も嫌われるからな」
「じゃあ嫌われ者同士でくっついちゃう?」
「追加、テキトーなこと言う人間も嫌われる、俺に」
そんなやりとりの後、陽翔はふと立ち止まる。金魚すくいの屋台の向こう、花火があがる音が聞こえ始めていた。
「行こー!場所取りしよ!」
誰かが陽翔の袖を引いた。陽翔はそのまま「おう」と答えて歩き出す。でも、心のどこかで、夏葵の姿を探していた。
少し猫背で、笑うときだけ眉が下がる顔――
あの日見た、簡単に折れそうな細い首。
浴衣からちらりと覗いた、汗の滴る細くて白い首筋が目に浮かんだ。
夏葵の目に映っていた花火は、空に打ち上がっている本物よりも綺麗に見えたな。
夏葵はいま、何を考えているんだろう。
あぁ、俺にはもう何も分からないよ、夏葵。
花火の音が聞こえてくる。ドン、と空が割れるような音。
ペラペラのカーテンを持ち上げて外を見れば、ほんの少しだけ高く打ち上がった眩しい光が見える。
気づけば、部屋を出ていた。光に導かれるように。
アパートの前の細い道に出て、遠くの空を見上げる。
鮮やかな光が、夜空を割った。
でも、救われなかった。ただただ、破裂音が耳を割くだけで去年のような感動は得られなかった。
パン、という音がした瞬間、肩がびくりと跳ねる。
「……っ」
気づけば、身を守るように体を縮こませている自分がいて、心臓がバクバクとしていた。
部屋に戻り、玄関を閉め、鍵をかけて、隅へ。
大丈夫、大丈夫、ここにはもう、俺を傷つけるものは何も無いから。うずくまる。耳をふさぐ。けれど、花火の音は止まない。
殴られていたときの音に似ていた。
似ていたなんて、知らなかった。
去年はこんなこと感じなかったのに。
花火、変わったのかな。
いや、違うか。
去年は、あいつらがいたからだったんだな。
「俺ひとりじゃ……このザマか」
誰にも見つからないように泣いた。
寂しい、情けない、誰か俺を見つけて。
体に残る傷なんて綺麗さっぱり消えて、父さんだって居なくなったのに。
俺は、今でもあいつに怯えているんだ。
もうそういう風に身体の深いところが覚えてしまったから。
ガキみたいに声を上げて泣いたけど、誰も俺の事なんて見てくれなかった。
そりゃそうか。
花火の方が、キレイだもんな。
泉はその日も塾にいた。
花火大会のことすら知らなかった。
塾の先生は毎日のようにこの夏で未来が変わる、と熱弁している。
家に帰ろうと塾を出れば、駅に向かう人だかりがやけに多くて、ようやく何かがあったことに気づいた。
ちらほらと浴衣を着た人もいて、今日が花火大会だったことを知った。
けれど、自分には関係のないことだと思った。そう思うしかなかった。
雅貴は行こうと思っていた。ほんの少しだけ。でも、もうずっとLINEグループは止まったままで、自分から動かす勇気はなかった。
家でひとり、新しく買ってもらったゲームを手に取ってみる。突然成績が上がっで上機嫌になった母にねだってみたら買ってくれたご褒美だった。
少しワクワクして遊んでみたが、つまらなかった。
虚しさを助長しただけだった。
電源を切って、テレビをつけてみるが、大袈裟に笑う声が鬱陶しくて直ぐに消した。
何か通知でも来てないかな、とスマホをいじれば、楽しそうに花火を撮っているクラスメイトたちの動画が流れてきてじっと見つめてしまった。
小さな画面に映し出される花火はひどく無機質で、とても綺麗には思えなかった。
思いたくなかった。
重い体を上げて、ノロノロと机に向かう。
今の俺に出来るのはこれしかないんだ。
そんな姿を見て、母親は満足げに微笑んでいた。
「最近は北区の方に行ってないしようやく目が覚めたのね。久我くんと同じ学校で、勉強も頑張れるようになったのかしら。本当によかったわ、ママ、間違ってなかったでしょう?」
何も返答しなかったが、特に機嫌を損なった様子はなかった。
それほどまでに最近の俺の様子が嬉しいのだろう。
ねぇ、あなたの目には俺がどう写ってるの?
楽しそうに見える?苦しんでるようには?
理想の息子にしか見えていないのだろう。
だからそれから外れればひどく怒って支配するのだ。
でも、俺はどうせ全部、静かに飲み込んで、生きていくしかない。
そうやって生きていくやり方しか出来ないから。
どうしたら本当に俺を見て、そして、愛してくれる?
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