第12話
「ほんとに3人来るとはね」
花火大会当日の昼過ぎ。
暑くて暑くて仕方なくて汗をダラダラとかいて、久我家の立派なインターホンを震える手で押した俺たちを迎え入れてくれたのは涼しげな顔をした泉だった。
泉の家の三階、彼の部屋に案内され、俺と夏葵と雅貴の三人は正座していた。
夏葵の家ではみんな自由に寝っ転がったり、壁に足をつけて犬神家のポーズでゲームをしていたりしたが、泉のデカい家では身が引き締まってしまい、正座以外出来なかったからだ。
どこもかしこも重厚で、なんだかふかふかしている。
夢見心地な気分になる家だな。
医者家系と聞いていたから相当安定した金持ちなんだろう、とは思っていたがここまで立派な家で生活しているとは想像もつかず、夏葵は居心地の悪い気持ちになった。
やっぱ貸してもらうのとか、辞めればよかった。
てか、俺今まともに金持ってないし。
屋台とかで買えなかったらまた気まずい空気にさせちゃうんかな。
あー、俺、マジで場違いだったかも。
正座をしながらネガティブモードになって俯いていれば、泉に肩を叩かれ目を合わせられる。
「服、脱いで。」
「…へっ」
「ちょっとやだー!奥さん聞いた?泉くんて、助平!」
「あらやだ奥さん、泉さんは本当に言葉が足りないのよ」
後ろで聞こえる茶番劇を顔で威嚇して黙らせて、服を脱ぐ。
どうやら着付け始めるから脱げ、ということだったらしい。
泉は優しいのだが、どうもこう言葉が足りないときがある。
泉に手際よく、涼し気な紺色の浴衣を着付けて貰ってるあいだなんだか手持ち無沙汰で部屋をぐるりと見渡した。
紺でまとめられたシンプルな部屋。
泉らしい部屋だった。
そういえばリビングにはピアノがあったっけ。
誰か弾くのかな、なんて思いながら泉の頭を見下ろした。
改めてこいつ、マジで金持ちなんだな。
俺の家、泉の部屋より小さかった気がする。
小学校のころよくこいつは俺の家で遊べたな、こんな良い家に住んでんのにさ。
知らなくて良い世界だっただろうに。
久我家は三階建てだった。
泉と真澄くんの部屋は、三階の奥。
廊下の突き当たりにあるふたつの部屋の扉には、それぞれ「泉」「真澄」の名札がかかっていた。
ただ、明るい光が差し込む設計になっている家だからリビングは太陽の光が眩しかったのに、泉や真澄くんの部屋には届いていないのか少しどんよりとした雰囲気がした。
子供の部屋にこそ太陽の光が必要なのでは…と思い、辞めた。
俺んちなんて常に日陰だからだ。
ま、別に比べて落ち込まなくても常に日陰ならもっと暗い場所を知らずに生きていけるからいいよな、と思い、未だに着付けをしてくれている泉の頬をつついた。
ようやく着付けが終わったようで泉はやり切ったぞ、という顔をしていた。
しかし、泉は分かっていない。
ここからまだ、陽翔と雅貴の着付けが残っているのだ。
「いずみぃ、」
「ん?」
「ありがとな、色々。あと、終わったみたいな顔してるけどまだ着付け終わってねえぞ」
「俺がしたくてやっただけだから。着付け?ちゃんと出来たと思うけど……あ。」
「泉さんたら、俺らのこと、忘れちゃったの?雅貴くんたら聞いた?」
「聞いた聞いた、サイテーッ!」
キャイキャイ喋って笑った夏葵の顔はいつもよりも綺麗に見えた。
襟元が少し開いた浴衣に、きちんと結ばれた帯。夏葵の髪は陽翔が三つ編みにして、顔の横でひとつ、ふわっと流れるように整えられていた。
「妹の髪、よくやってやってたからさ。……夏葵、髪触ると大人しくなるのな」
「うるせー。そういうのバラすなよ」
夏葵は少し口を尖らせたけど、どこか居心地よさそうだった。
と、そこへ。
――「コン、コン」
静かなノック音。俺たちがぴたりと会話を止めると、泉が廊下に出た。
「兄ちゃん?」
「うん」
泉の部屋のドアを開けると、そこに立っていたのは――泉によく似た、けどずっと痩せて、目の下に深いクマを刻んだ青年だった。
「……どうも、こんにちは。泉の兄です」
真澄くんだ。
うるさくしすぎちゃったかな。
気をつけてって言われてたのに。
腕には、爪で掻きむしったようなのような赤い傷。シャツの袖口から覗くそれに、俺は一瞬だけ目を奪われた。
だがその視線に気が付いたのか、真澄くんは申し訳なさそうに弱々しく微笑んだ。
「これ、みんなで食べて。あとは――ちょっとだけだけど、小遣い」
そう言って差し出された袋の中には、個包装のお菓子と、包まれた四つ折りの千円札が四枚。
「いや、そんな、貰えないです」
「いいんだ。俺、今日の花火大会行けないから。代わりにお土産、買ってきてよ。ね?」
笑って、手をひらひらと振る彼の笑顔は、どこか壊れそうだった。
けどその笑顔は、どこまでも優しかった。
「行ってらっしゃい。楽しんでおいでね。あ、でも泉、あんまり帰り遅くなると俺も庇いきれないからそこそこにして帰ってくるんだよ。頼むね。」
そう言って、真澄くんはふたたび自室の“勉強部屋”に戻っていった。
閉まった扉の向こうから聞こえるのは、何かを書く音とページをめくる音――まるで外界から切り離されたような音。
「兄ちゃん、……ほんとは俺よりずっと優しいんだよ」
ぽつりと泉が呟いた。
夕暮れの街を、4人で歩く。
泉が頑張ったおかげで、陽翔も雅貴も浴衣姿で、もちろん泉も浴衣姿で。
全員が、非日常に包まれていた。
浴衣、うちわ、屋台の明かりとにおい。ちょっとだけ暑くて歩きにくい。
夕方から夜になっていく空模様に心が踊る。
人が段々と増えてきた。
浴衣を着ている人も多い。
「りんご飴食べたい!」
「焼きそばも!」
「射的、下手だったやつ罰ゲームな」
「え、なにそれ怖い」
笑って、駆けて、時折クラスメイトにばったり出くわす。
「え、夏葵くん……めっちゃ似合うじゃん!」
「えーっ!夏葵くん久しぶりじゃない?来てたんだ?」
「あ、夏葵くんじゃん!ねえ聞いてよこないだね……」
そんな風に囃し立てられて、 話しかけられても夏葵はひとりひとりにちゃんと対応してた。
やっぱあいつの女の子の扱い方はほんとうに上手い。
すっかり夜も更け、祭りの盛り上がりも最高潮に達しようとしている時。
人混みを抜け、町外れの神社まで来た。
小高い場所にあるその神社の境内で、俺たちはようやく、静かに空を見上げた。
ドン……ッと響く音。
空に、大きな光の花が咲いた。
「わあ……」
夏葵が小さく歓声を上げた。
ちらりと夏葵の方を見れば、口を開けて嬉しそうに笑う夏葵がいた。
涙で濡れていた瞳には、いま、花火の光だけがキラキラと映っている。
綺麗だった。
次々に咲いては消える花火を、俺たちは誰もしゃべらず、ただ見つめた。
――俺、ずっとこのままでいたいな。
その言葉が、誰の心から漏れたのかは分からない。
花火の轟音に消されて、誰の口から発せられたのかも分からない。
でもきっと、全員が同じことを思っていた。
この時間が、永遠に続けばいいのに、と。
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