第10話
春の陽射しが差し込む、新しい校舎の窓辺。
桜は綺麗に咲いていた。
中学最初の教室は、小学校よりも少しだけ天井が高くて、どこか大人びた空気が漂っている。
パリッとした制服が俺たちを引き伸ばして、大人にさせようとしているようだった。
だが、教室の名簿を見た瞬間に思わず声を上げて笑ってしまった。
俺たち四人が固まって同じクラスだったのだ。
不安なこともあったが、そんなのが霧散していくように俺は無敵になった気がした。
いいスタートがきれたから絶対楽しい中学校生活になる。
1ミリの疑いもなく、俺は心の底からそう思えた。
自己紹介や教科書配布、ロッカーの確認でてんやわんやだったが、それでも俺たちの席が小学校入学した時と変わらず近くに並んでるのが妙に嬉しくて、そわそわした。
だが、やはりあの頃のように放課後になれば夏葵の家に行って、みたく変わらずずっと一緒にいた訳ではなかった。
それぞれのやりたいこと、やらなくちゃいけないことが増えていたのだ。
俺はずっと入りたかったからすぐにサッカー部の見学に顔を出して、入部を決めた。小学校からの経験者ってことで歓迎ムードだったし、動けるポジションも多くて、思っていたより早く試合にも出られそうだと監督に言われて、さらに浮かれてた。
泉は入学初日から、注目されてた。他の地区の子たちが、「久我内科の息子ってマジ?」ってざわざわしてて、品のいい顔立ちと静かな物腰も相まって、あっという間に“頭いいキャラ”として一目置かれてた。
夏葵は、なんていうか気が付いたら小学校の頃と打って変わって人気者になっていた。
見た目がいいのはもちろん、女の子に対しても全然物怖じしないし、なんなら女子の間に入って普通に談笑してることもある。
他の地区から来た子たちは小学校時代の夏葵のゴタゴタを知らないし、夏葵が普通に、というか普通以上に話しやすいということが広まっていくうちに遠巻きにしてた俺たちの地区出身の子たちも話しかけるようになっていって。
聞いた話によれば、相談事をすると的を得たアドバイスをしてくれるし、ただの愚痴にも付き合ってくれるし、女の子の流行とかもちゃんと知ってる、とか。
あいつどこでそんな知識手に入れてるんだ?と思ったが言わなかった。なんだか悔しかったから。
だが気づけば夏葵の名前は、あっという間に色んな話題に上がるようになっていた。
それに拍車をかけたのが、最初の授業参観だった。
その日、俺は前の席にいた夏葵がちらちらと後ろを気にしてるのを見て、「あれ?」と思っていた。
普段あいつがそんな様子を見せること、あんまりなかったから。
卒業式の日でさえ、姿勢を伸ばしてまっすぐ前だけ見ていたあいつが。
そして、授業が終わって保護者の雑談タイムに入ったとき、教室の後ろに立っていたあの女性を見て、俺は息を呑んだ。
美人だ。いや違う、夏葵のお母さんだ。
ちょっとキツイ顔立ちの美人で、口許にホクロがあるのが夏葵にそっくりだと採寸のときに思ったのを思い出した。
やはり今日も、あの採寸の日のようにピンヒールを履いて凛としていて、ふんわりとした白いワンピースを着ていた。
夏葵に笑いかける口許のホクロと白いワンピースが春風に揺れて、教室の視線を奪っていった。
「え、誰の保護者……?」と周囲がざわつく中、その人がふっと夏葵に手を振って、夏葵がそれに軽く応じた。
「え? あれ、夏葵くんのお母さん?」
その声を皮切りに、クラス中に噂が走った。
「美人すぎない?」「若くない?」「てか、ホントに母親?」
他の保護者が暗い色のスーツなどを着て真面目な顔しているもんだから、夏葵のお母さんは余計に色鮮やかに、異質なものに見えたのだろう。
そのまま好奇心と、憧れなどの綺麗な噂だけだったら良かったが、その日を境に、夏葵にはさらに尾ひれのついた嫌な噂も付き始めた。
「モデルだったらしい」とか、「昔、夜の店で働いてたらしい」とか、「あんな母親だったら、色んな男寄ってくるよね」とか。
根拠のない話が、あっという間にひとり歩きした。
それに加えて、夏葵のお弁当も拍車をかけたのかもしれない。
というのも夏葵は基本、弁当を持ってきていなかったのだ。
中学校では給食が出ないから俺たちはみんな、親が作った弁当を持ってきていたのだが、夏葵は無くて。
昼休みになると、ランドセルの代わりに持ってきたリュックから栄養補給ゼリーを取り出して、そのままちゅーっと吸って終わり。たまにコンビニの菓子パンとか、おにぎり一個。そんな簡素なもんばっかだった。
ある日、「お前、それだけで足りるの?」と聞いたら、「まぁ、慣れてるし」って笑われた。
珍しく弁当箱を持ってきたと思ったら、夏葵の手作り弁当だったり。
少し歪な卵焼きと三角形になりきってないおにぎりが夏葵らしさを出していた。
作るのに慣れてない弁当。
そんなのをもぐもぐと食べている夏葵は、生きるために仕方なく食べているような雰囲気がして周りからは隔絶されたような感じがした。
夏葵って、たぶん、どこまでもそういう存在なんだ。
普通に馴染めなくて、違う世界を緩やかに歩く人間。
目立つし、謎が多いし、周りの興味を惹く。
憧れや畏怖の念、邪悪な感情全てを遠慮なくぶつけられる。
だとしても、俺たちは夏葵が普通の子供であることを知っている。
たかがプールに大袈裟にはしゃいで、新品の制服を誇らしげに大切にしている子。
俺たちだけは夏葵の普通を守って増やしていけたらなと漠然と思っていた。
そんな中、雅貴は段々と暗い顔付きになっていた。
環境の変化は、世界の広がりは必ずしも良いものでは無かったのだ。
放課後の教室で、雅貴がポツリと呟く。
「……俺、なんか場違いかもなって、たまに思うんだよね。なんもないし。」
その声は、いつもの冗談交じりの調子じゃなかった。
雅貴が俺達に付いて回る金魚のフン、と言われているのを知ったのはその日だった。
俺は、どう答えればいいのか分からなかった。
怖くなってしまった。
間違えたことを言って、傷付けてしまったら、と。
けれど、泉は違かった。
ふっと優しく笑って「でもお前がいないと、俺たちバラバラになりそうだよ。」って言ったとき、雅貴は少しだけ笑った。
だから俺もそれにつられて、「そうだぞ、雅貴が居てこその俺らなのに!」って言えば、雅貴はくしゃりと笑ってありがとな、と呟いた。
夏葵は女の子に呼び出されたまま帰ってこない。
春が過ぎて、夏が近づいてくる。
俺たちの夏だ。
俺たちはこの夏、何か変わるのだろうか。
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