第6話

夏葵が長谷になってからというもの、みんなが前よりももっと遠巻きに夏葵を眺める中、陽翔はようやく歩いて見えない境界線に足を突っ込んだ。


どうしても聞きたいことがあったからである。

あの嫌なヒソヒソ話には嫌気がさすが、どうしてもその内容を耳が拾ってしまい、その中に引っかかる内容があったのだ。


「なあ、引っ越したってほんと?」


「んー……まぁ、ね。」


リコーダーのケースを鞄に無理やりねじ込みながら、夏葵は適当に答えた。

その横顔はなんてことない風をしているのに、どこか無理して話しているようにも見えた。


「どこ引っ越したの?」


「さあ……おまえらと真逆の方だよ。あっちの、ちょっと行ったとこ。北区の方って言ったら分かるか?治安わるいってゆーめーなとこ。」


北区。

――ああ、そこか、ってすぐ分かった。


前に泉とどっか遊びに行こうってなった時、あっちの方はやめとこうって言われたのを思い出した。

「人多いし、北区は……お母さんが行くなって言ってたから。」って。


コンビニの前にたむろってるやつとか、歩道で怒鳴ってるおっさんとか。

昔お父さんとあっちの方のゲーセンに行こうとしたときも、ゲーセンの前にパトカーが止まっていて、お父さんにやっぱ別のとこ行こうか、って言われたこともあった。

なんか入っちゃいけなさそうなお店が多かったのも覚えている。


そんな北区の近く、と聞いて陽翔が顔を曇らせたのが分かったのか、はは、じゃあ俺帰るわ、と帰りそうになるのを肩を組んで立ち止まらせた。

腕を掴んだらまた、夏葵に痛い思いをさせてしまうかもしれないから。

肩にした。


「おうち、どんな部屋なの?」


「うーん、びっくりするくらい狭いよ。風呂は熱湯か水の二択だし、壁薄いし、夜は外うるさいし街灯はないから路地は真っ暗だし……」


夏葵の目が、一瞬だけ虚空を見つめる。

部屋や家の周りを思い出しているのかもしれない。


「……でも、まぁ、慣れりゃ平気。狭いとこも暗いとこも意外と落ち着くんだよ。それに、今の家は地獄じゃない、から。」


あれ、なんだかいまの夏葵、おとなっぽいなぁ。

そんなことを思いつつ、ドキドキしながら言いたかったことを伝える。


「……おれさ、夏葵の家行ってみたいかも。」


言ったあとで、少しだけ後悔した。

夏葵、踏み込まれたくなかったかな。


けど、夏葵は肩をすくめて笑う。


「へぇ、物好きだね。まぁ……うん、べつにいいよ。」


「え、いいの!泉と雅貴も行きたいって言ってたからふたりもいい?」


「いいけど……北区の近くだぜ?あのお坊ちゃんふたりに来させてだいじょうぶかなぁ」


うーん、と唸って考えている夏葵の横顔は前よりずっと大人っぽくて、陽翔は焦った。

なんか、置いていかれたきぶん。やだな。

陽翔は落ち込みそうになっているのを隠すように騒いだ。


「いーって、いーって!あいつらと一緒にアイスとか手土産、買ってくからさ!お前はどーんと待ってろ、な!」


呆れた顔をして笑う夏葵はやっぱり大人っぽかった。


夏休みに何があったのかは、聞けなかった。

聞きたいことはいっぱいあったのに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る