​第十三話 王たちの戯れ、駒たちの戦場

 崩壊は、序曲だった。


 『朧月夜の宴』という、仮初めの舞台が砕け散り、その下に隠されていた二つの巨大な術式が、世界の理を書き換えるために咆哮を上げる。天蓋であったはずの月は砕け、その破片が流星となって降り注ぎ、観客席とアリーナの境界は、とうの昔に消え失せた。


​「逃げろォ! 巻き込まれたら、魂ごと消滅するぞ!」 


「どいつもこいつも、敵だ!」


 ​パニックに陥った妖怪たちが、敵味方の区別なく、近くの者に牙を剥く。それは、もはや決闘でも、戦争でもない。ただ、世界の終わりに際した、生命の断末魔だった。


 ​混沌の中心で、ババ・ヤーガは両腕を広げ、歓喜に打ち震えていた。


「来よ! 来よ! 古き混沌の神々よ! この新たなる贄の匂いを嗅ぎつけ、その門より這い出てくるがよい!」


 彼女が守る魔法陣——【混沌の門ケイオス・ゲート】からは、おぞましい触手や、冒涜的な姿をした名もなき怪異たちが、次々と溢れ出してくる。


 ​それと対峙するように、ぬらりひょんは静かに自らの結界の中心に立っていた。


「さあ、満ちよ、満ちよ。新たな王を産み出すための『器』よ。八百万の『物語』を喰らい、この国の新たな神話となるのだ」


 彼の足元に広がるのは、日本の妖怪たちの祈りと熱狂で編まれた、巨大な「鳥居」の形をした結界。集められたエネルギーは、ただ一点へと、凄まじい勢いで注ぎ込まれていく。


 ​二人の「王」が興じる、世界の再創造という名の「戯れ」。その盤上で、かつての選手——「駒」たちは、それぞれの意志で動き始めていた。


​「——秩序なくして、何の誇りか!」


 大天狗は、刀と羽団扇を構え、混沌の怪異から、逃げ惑う弱小妖怪や、師である自分を案じて駆け寄ってきた巫女・小夜を守るために奮戦していた。彼の目指すは、この狂った戦場の鎮圧。


​「フフフ……面白くなってまいりましたわ。どちらの王が勝つか、それとも、他の誰かが漁夫が利を得るか……」


 玉藻前は、崩れゆく瓦礫の頂点で、高みの見物を決め込んでいた。九本の尾を揺らし、戦況を冷静に見極め、最も有利な側につく機会を窺っている。


 ​そして、最も苛烈に、最も楽しそうに、この混沌を体現している男がいた。


「ハッ! これだ! これこそが喧嘩タイマンだ!」


 酒呑童子は、豪快に笑いながら、彼の巫女である桜子を背に庇い、群がってくる混沌の眷属たちを、その拳一つで次々と殴り殺していく。


​「心配すんな、桜子。てめぇは、俺の背中に隠れてろ。神だろうが悪魔だろうが、てめぇに指一本触れさせるかよ」


 その言葉に、桜子は恐怖の中にも、不思議な安らぎを感じていた。だが、その安らぎは、突如として引き裂かれる。


 ​ぬらりひょんの、節くれ立った指が、静かに、桜子へと向けられたのだ。呼応して、彼が展開する巨大な「鳥居」の結界から、これまで集められた全てのエネルギーが、一本の光の奔流となって、桜子へと殺到した。


​「!?」


 桜子の体が、意思に反して宙に浮く。全身を、金色の光が鎖のように縛り上げ、その魂の奥底へと、膨大なエネルギーが流れ込んでくる。


「きゃあああああああああっ!」


​「桜子ッ!?」


 酒呑童子が、初めて焦りの表情を見せる。彼は、ぬらりひょんが言っていた言葉を、その意味を、この瞬間、完全に理解した。


 ​——新たな王を産み出すための『器』よ——


 ​器とは、桜子。


 いや、彼女がその魂に宿す、かつての「桜御前」の、神にさえ愛された、聖なる魂か。


 ぬらりひょんは、この闘争が始まる前から、全てを仕組んでいたのだ。酒呑童子の桜御前への執着心を利用し、彼を戦いへと駆り立て、その巫女である桜子を、新たな王を宿すための「聖杯」として完成させるために。


​「——ぬらりひょんッ!! てめぇッッ!!」


 ​酒呑童子の全身から、これまでとは比較にならない、純粋な怒りだけを燃料とした、煉獄の妖気が立ち昇る。彼の眼は、もはや混沌の眷属たちを見ていない。ただ一点。仲間であるはずだった、全ての日本妖怪の総大将。その、飄々とした老獪な顔だけを、殺意と共に捉えていた。


​「よくも……よくも、俺の女を……! 利用しやがったなァッ!!」


 ​酒呑童子は、桜子を縛る光の奔流を断ち切るため、味方であるはずの、ぬらりひょんに向かって、一直線に突進した。


 ​それは、盤上の駒が、王に牙を剥いた瞬間だった。


 混沌の門を開こうとする、ババ・ヤーガ。


 新たな王を産み出そうとする、ぬらりひょん。


 そして、ただ一人の女を守るため、その全てを破壊しようとする、鬼の王。


 ​世界の命運は、もはや誰にも分からない。

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