第十二話 飽食の神、茶番の終焉

 ​宣告は、終わった。


 アスワングが最期に見たのは、四方から迫る、絶望の顎。


 毒の牙がその身を貫き、闇の顎がその魂を啜り、光の顎がその存在を浄化し、そして、大地の顎が、残った肉体と骨を、まるで小石でも砕くかのように、無慈悲に咀嚼した。闘技場に、生命が食い千切られる、不快極まりない音が響き渡る。


 それは、もはや「戦闘」ではなかった。ただ、神が、その供物を喰らうという、原初の儀式。


​「………………」


 一つ目小僧は、マイクを握りしめたまま、完全に沈黙した。その一つ目が見開かれ、目の前の惨状を理解できずにいる。勝敗を告げるべき言葉が、恐怖で喉に張り付いて出てこない。


 やがて、絞り出すような声で、白澤が宣言した。


​「……第五回戦、勝者、八岐大蛇。……これにより、日本妖怪、五連勝となります」


 ​その言葉に、歓声は上がらなかった。日本妖怪の観客席でさえ、あまりに一方的で、残虐な勝利に、誰もが言葉を失っていた。


 控室では、大天狗が「……なんと、野蛮な」と顔をしかめ、玉藻前は扇子で顔を隠し、「お下品ですこと」と静かに呟いた。


 桜子は、そのあまりの光景に顔を青くし、隣に立つ酒呑童子の着物の袖を、無意識に強く握りしめていた。


 当の酒呑童子は、満足げに口の端を吊り上げている。


「ケッ、それでこそ神だ。喰らうか、喰らわれるか。単純でいい」


 ​世界の怪異サイドの空気は、死んでいた。


 五連敗。


 それも、一体は喰われ、消滅した。もはや、戦意を保っている者など、一人もいない。誰もが、主催者であるババ・ヤーガに、敗北を認めるよう、無言の視線を送っていた。


 ​しかし、そのババ・ヤーガは、玉座で、静かに、肩を震わせていた。それは、怒りや絶望の震えではない。抑えきれない、歓喜の震えだった。


​「クク……ククク……アハハハハハハハハ!」


 老婆の狂ったような高笑いが、闘技場に響き渡る。


「素晴らしい! 実に素晴らしい神威じゃ! これで……これでようやく……生贄は揃ったわい!」


 ​ババ・ヤーガがおもむろに立ち上がり、ぬらりひょんを指差して叫んだ。


​「のう、古狐! いつまで、この茶番を続ける気じゃ!」


 ​その言葉と同時に、闘技場全体が、再び激しく揺れ動いた。それは、八岐大蛇の神威ではない。アリーナの地面そのもの——いや、この『朧月夜の宴』という異界の、その土台そのものが、悲鳴を上げているのだ。


 選手たちが戦っていたアリーナの地面に、巨大な亀裂が走り、その隙間から、血のように赤黒い光が溢れ出す。それは、巨大な魔法陣だった。これまでに行われた五つの戦いで流された、膨大な妖気と霊力、そして敗者の無念を吸い上げて、密かに形成されていた、禁断の儀式の術式。


​「この闘争は、ただの『畏れ』の奪い合いではない!この戦いで放たれる、極上の魂のエネルギーを集め、世界を原初の混沌に還すための、壮大な儀式よ!」


 ババ・ヤーガが杖を天に突き上げる。


「そして今、日本の最強格の神が放った神威によって、門を開くための最後の鍵が手に入った! 開け、混沌の門よ!」


 ​魔法陣の光が、天を衝く。


 空間がガラスのようにひび割れ、その向こう側に、人知を超えた、名状しがたい混沌の世界が垣間見えた。


 ​全ての妖怪が、世界の終焉を予感し、絶望に顔をこわばらせる。


 だが、その中で、ただ一人。ぬらりひょんだけは、変わらずに盃を傾け、静かな笑みを浮かべていた。


​「……ようやく、気づいたか。遅いのぅ、西洋の魔女よ」


 その声は、平坦だったが、絶対的な王者の響きを持っていた。


「お前が儀式を行っていたことなど、お見通しよ。儂が、何の策もなく、この国の存亡を賭けると思ったか?」


 ​ぬらりひょんが、すっ、と立ち上がる。すると、ババ・ヤーガの魔法陣に対抗するかのように、日本妖怪サイドの観客席全体が、一つの巨大な結界として輝き始めた。彼らが放っていた声援、熱狂、その全てが、ぬらりひょんの術の糧となっていたのだ。


​「お前の狙いが『破壊と混沌』ならば、儂の狙いは『創造と君臨』……。この闘争で集めた力で、古き神々を淘汰し、新たな時代の妖怪の王を、この日本から誕生させる。そのための、これは『戴冠式』よ」


 天が裂け、地が割れる。


 混沌の門を開こうとするババ・ヤーガの力と、新たな王を産み出そうとするぬらりひょんの力が激突し、この異界そのものが崩壊を始めた。


 ​もはや、決闘のルールなど意味をなさない。闘技場という名の檻は壊された。選手も、観客も、主催者も、全てが等しく、世界の終わりか、あるいは始まりかの、その渦中へと叩き込まれる。


​「だ、だめだ……! 空間が……崩れる……!」


 ​白澤の悲鳴を最後に、通信は途絶えた。『百鬼闘諍』という名の茶番は、終わりを告げた。そして、本当の戦いが、今、始まろうとしていた。

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