大名達の議論と老中達に出す鴨のロースト、醤油わさびソース鴨仕立て

 江戸城内にある表向(おもてむき)現在で言えば霞ヶ関や官庁のような場所で老中や他大名が議論をしていた。主にこの部屋は老中や若年寄などが執務をする場所である。


 集まっている面々は阿部正弘とその他四人の老中。それに福井藩主の松平慶永や水戸藩主の徳川斉昭、そして水戸藩の重臣藤田東湖などである。


「えええええぃ、アメリカ人など来たら斬り殺してしまえぃ!」


 そう叫ぶのは強固に攘夷を叫ぶ徳川斉昭である。水戸学の観点から斉昭は過激とも思える攘夷を主張する。


「そもそもロシアも勝手なことを申す。そもそも樺太などの探索は間宮林蔵が苦労をして探索をしたものですぞ」


 今は一旦長崎から出ているロシア。交渉掛であり幕臣である川路聖謨の情報によると樺太の国境をどうするかと?ロシアが聞いてくるらしい。それに腹を立ててそう叫ぶのは老中の牧野であったが、阿倍は静観をし、冷静な口調でこう言った。


「まだロシアの方がまともでござった。我が国の国法に則り長崎に来航したのですから。それに引き換えアメリカは……」

「時代は最早長崎であるとかなんとかというほど悠長なことを言っていられないのではないでしょうか?」

 

 阿倍の言葉に真剣な表情をして松平忠優が食い下がるように言った後に、再度こう言葉を付け加えた。


「外国は商取引などをし、儲けております。日本はこのまま行けばどんどん置いていかれることでしょう。他の港を開け、商取引をすべきだと私は思います」

「なにを言うか! 日本には大和魂があろう。言うにつれて他の港を開けるだと……馬鹿も休み休みに申されよ。そもそも清はイギリスとのアヘン戦争でどうなったか」


 清がイギリスに負けたことによって、東の大国の名は地に落ち、不利な南京条約を終結し、強制的な五港の開港と香港島の割譲となった。これが不平等条約と言われるものである 


「しかし、もしそのイギリスが先に来たらどうするのです。自分が優位になる条件を突きつけてくるに決まっております。その前にアメリカと条約を終結させておけば無理なことは言えますまい」

「そんな条件はのむ必要はないのだ! イギリス人であろうとアメリカ人であろうと叩っ切ってしまえばよいのだぁ!」

「そ、そんなことが通じる相手であれば清はああなってはおりません。それとも、日本はイギリスに勝てるほどの武力があるとお思いか!」

 

 アメリカの国書を見ても、アメリカの態度を見ても、強気に見える態度であるが、暴力などに訴えるようなことはない、という情報を幕閣は既に掴んでいた。それに比べると英仏艦隊などは恐ろしいと忠優は考える。


 また斉昭が神経質になるのは無理もないことで、この頃の日本人にとって外国人は見たこともないエイリアンに等しいものだったからだ。


 血管を浮かばせ鬼の表情になる烈公こと斉昭と冷静さの中に鬼の表情が見え隠れする忠優。二人はいがみ合っているとで言った方がいいのか。斉昭と忠優の険悪になりそうな物言いに阿倍は落ち着いた口調でこう言った。


「確かにイギリスは困った相手ではございますが、商取引は英語における言葉の交渉になりましょう、言葉で結んだ約束を違えると大事に至りますぞ」


 言われてみればそうだった。現在この江戸では中浜万次郎が英語を教えている最中である。

 外交における英語は難しい。一字一句間違えるそこを突いてくるのが外交だ。


 だからよく分からないのに約束しましたなんてことになれば外交のみならず商取引において大事を通り越したことになりかねない。


 ここで開国にも傾かない阿部正弘という老中主席はある種冷静な考えの持ち主であったといえるだろう。この考えとはっきりしない行動を実力と地位が伴っていないといい、あまり好かない人もいるらしいが、白石は阿部正弘についての書籍を読んだときにどっちなのだろうと考えたことがある。


 それは有能な宰相であったのかそうでなかったかである。どちらであるのかは分からないが、しかしどちらにせよこれほど心に平穏が来ない老中も少ないと言える。


 ではどうされると、多方面から攻め寄られる阿倍はここで一旦落ち着くためにこう言った。


「アメリカなどはその強引な態度で来るつもりでしょう。然らば料理による外交をしてみたいと思います」

「料理ぃ? なにを申されるかこんな時に、悠長なことを!」

「悠長なことを言っていられないからこその料理なのです!」


 開口一番に絡んできたのは徳川斉昭であったが、それに冷静に対応すべく、阿倍は反論した後に言葉を句切って付け加える。


「理屈というか言うことを聞きませんのであの国は。では違う方面から攻めてみてはいかがかと考えたまでです。それとも斉昭殿はアメリカを回避する良い方法を持っていらっしゃるのですか?」

「ぐっ……」


 日本に向かってくる物を叩っ切ってしまえだけの討論で終われば心配などいらない。むしろ来たときのことを考えて行動せねばならないと阿倍は考えていた。


「西洋の食事でござったか、確か」

「うむ」


 忠優の言葉に阿倍は首を振ったが、そこで斉昭が絡んでくる。


「西洋食だと! 日本食があるではないか?」

「そういう斉昭殿は毎朝牛乳とたまに牛肉を……」

「ごふごふごふ」


 嘘か誠か分からないが、斉昭は毎朝の牛乳を飲むことを日課としていたとされる。斉昭は手痛いところを突かれてむせる振りをした。


「どちらにせよ、なんらかの対応はしなければなりませんな。料理であろうとどうであろうと」


 冷ややかな眼光を持ちつつ静かな口調でそう言ったのは松平慶永である。意外なことだが彼はこの頃ぐらいまでは海防強化や攘夷を考えていた人物だとも言われている。


「東湖の言うとおりになりますが、アメリカの大砲に然り、江戸湾に船を浮かべられて万が一にも江戸城に向かって砲撃でもされれば、冗談抜きに吹き飛んでしまいますからな」


 慶永の意見はもっともだった。アメリカなどの持つ砲弾は日本とはかなり違っており、構造もさることながら飛行距離だけではなく、着弾したおりには炸裂するものであった。


 水戸藩ではこの砲弾と大砲の研究をしているがどうにも上手くいっていないようだ。


「一度私が食して、外交にどれだけ使えるか見て見ますので」

「その方がよいでしょうな」

「その席に私も同席しても良いでしょうか?」

「それでは私も同席しよう」

 

 慶永の相づちに、忠優が続き、その返事に慶永は自分も参加する意思を伝える。斉昭は鬼のような表情をひん曲げながら儂は参加せぬ、好きにせよと言って暴れるようにして室内から出て行ってしまった。


 この頃の会議はどうするどうする会議と言っても過言ではなかった。日本には逆らうほどの武力もなにもないので、如何に外交交渉を上手くさせるしか方法がなかったのだ。


 阿倍は静かに斉昭の背中を見送っていると、その視線に慶永も続く。やはり短気な方だと慶永は言うと、一時会議は終わりとなった。


 それから数日後、白石は阿倍の屋敷に呼ばれていた。まだ正式に雇っているわけでもないのに、江戸城へ上がらせるわけにもいかない。事前に用件は伝えてあった、料理の腕をみせよとと。


 老中は現在で言えば内閣総理大臣よりも偉い人物だと考えて貰えばいい。そんな者達に料理を振る舞うことになった白石の心境は穏やかではなく、木乃葉でさえも泣きたいのを堪えてやめてくださいと言いかけるほどだった。


 しかし白石はこの道で生きると決めていたので、覚悟を決めて仕事を受けた。既に林や戸田からの承認を受けているので形式上の試験というわけだが、それでも阿倍は真剣に料理と向き合ってみようと思ったのだ。


 料理に命を懸ける男と、その料理を食べて今後の国の礎にしようとするもの。この気持ちは誰にも止めることはできない。


 上座に阿倍、両脇に慶永と忠優が控える間に、白石率いる一同が料理を持って運んでくる。正直これ以上の素材となると、もう徳一屋の力を借りるしかないと既に腹を決めている白石。


 それなりの高価な衣装に身を包んでいる三人を見て白石は襖の手前、つまり廊下で萎縮をする。先ほども重治郎と共に挨拶をしたのだが、それでも白石の震えは止まらない。


「料理は既に出来ております。後は運ぶだけにございます」

「うむ、楽しみにしておるぞ」

「はっ、はっ!」

「そう固くならなくても良い」


 阿倍の言葉に白石は頭を深く下げて返事するが、やはり声は震えてしまう。その時使用人数名が料理を持って運んでくる。

 

 その動きは洗練された物であり、寸分違わぬものであった。各人の下へ料理が運ばれていく。恐らく使用人もビクビクなんだろうなと白石は考えていると、忠優が料理を見て息を飲んだ。


「なんという美しい料理なのだ。飾りも優美で、皿からは自然の色彩を感じさせる」

「おおっ、確かにこれは見事な物ですな阿倍殿」

「確かに凄き料理だ」

「冬の江戸風野菜と鴨のロースト、醤油わさびソース鴨仕立てです」

 

 三人ともこのような奇抜な料理は見たことがない。名もきてれつよのう、という歓声が上がる。


 基本の出汁を鴨から取る手法であるが、用意するのは鴨の骨と肉と水、そして生姜と日本酒とネギである。熱湯をかけて血や他の物を取り除き、鴨の骨をぶつ切りにし、その後全て水洗いし、水気を取り、焦げ付かないように骨を炒める。骨が色づいてきた段階で細切りにした生姜とぶつ切りにしたネギを加え炒める。良い香りが出てきたなと思った時点で水と日本酒を注ぎ、アクを掬い、旨味の随である脂は絶対に掬い取らない。

 その後沸騰をさせる。沸騰をさせながら焦げ付かないように何回も竈から鍋を降ろして温度を調節していきながら、適度な水の量になるまで煮詰める。一時間半ほど煮詰めた後に、布などでしっかりとそして丁寧に漉す。


 今回は透き通ったソースを使いたいので、沸騰させたが、濁ったソースにしたい場合は沸騰させない。


 それに醤油とわさびを加え、甘辛を足し、野趣溢れるコクのあるソースに甘辛を足した和風ベースのソースを完成させる。


 縁に潤沢な脂を持つ鴨は中央に行くにつれて、やや赤寄りのピンクがかった色へ変化していく。じゅわりと肉の上に浮くように、旨味の随の脂が帯、その旨さが見た目だけで伝わる。


 余計な脂と筋は取り除きつつ、鴨は鴨そのものの脂で焼くことと、焼いた時間と同じぐらい休ませるのがポイントだ。竹串などを刺して中の温度を確かめるのを白石は忘れない。


 白磁の皿の中央に重ねるようにして鴨肉を揃えるようにして置くと、周りに均等に切った煮込んだカブや旬の素材のままのカットした大根やニンジン、煮込んだゴボウなどを時計回りにするように配置していく。


 その上に先ほどの極上のソースを少しずつ注いでいき、アートを作り上げる。フランス料理は美にこだわった方がいいと白石は考えた。


「この料理の食べ方は箸でいいのか?」


 阿倍の問いかけに白石は、

「食べやすい方で食べて頂いた方が美味しく感じますので。いずれ慣れれば西洋方式へ変えればよいかと」

 と、言うと、阿倍はうむ、であるなと言った後に鴨にソースをつけ、口の中へ入れる。口の中へ入れると弾力のある肉がぷるるんとして心地が良い。


 噛むとじゅわっと旨味のある脂が溢れ、肉からは肉汁と共に鴨特有の野趣溢れる奥行きの深い味がふわりと口の中へ広がる。そこへ和風であり洋風ともいえる味わい深いコクのある鴨と醤油、わさびソースが肉へ絡まり、醤油の風味とわさびのピリッとした辛みと香りが楽しめる。


「……肉もさることながら、この出汁はなんなのだ……」

「ソースは主に鴨の骨から取ったものを主体とし、醤油とわさびで甘辛な風味をつけてあります」


 阿倍の問いかけに白石は料理の説明していくが、慶永は不思議そうな表情をしながらこう聞いてきた。


「あまり分からないが、普通骨と言えば臭みがある物のように思えるが、これにはまったく臭みがない。なぜだ?」

「下処理でございます。鴨の骨は熱湯で一度洗い、その後再度また洗って、そこへ生姜、ネギ、日本酒を加えてじっくりと煮込んでありますので」

「なんと手の掛かった料理よ。この出汁は和風のように見えて、和風ではなく西洋風なのに和風にも感じさせる不思議な料理よ」


 白石の説明に忠優は褒めるようにしながら料理を楽しむ。


「しかし、口休めにこの野菜も旨い」

「ありがとうございます!」


 阿倍の褒める言葉に白石は素直に礼を言った。食べ終えると阿倍は質問するように白石へ聞いてくる。


「どうしてこの料理を作ったのだ?」

「はっ! 恐れながらこの料理には開国も鎖国の意味も込められておりません。この料理の意味のなすところは優秀な人材が集まっているという点にございます」

「ふむ……」

「この鴨は不必要なところもありますが、ほぼ骨であろうと無駄なく余すことなく使ってあります。野菜にしろなににしろです」


 斉昭とて過激な攘夷を今は言っているが、その中身は若い武士に好かれ、藩政改革を率先して行って成功に導かせた識者である。つまり白石の言いたいことは無駄な人材などいないということだ。


「不必要な物もなく、人材を無駄なく余すことなく幕府は使っているということか?」

「はっ! 林様にしろ戸田様、阿倍様、皆様にしても、今の日本には必要な方ばかりなのです」「例えば、林様でなかったらどうでしょうか? アメリカ応接掛をお任せできますか?」

「無理だな」


 その言葉に即決で応えたのが意外にも慶永であった。白石はこの優秀な人材やそれに連なる者が、今後起きる明治維新や講武所や蕃書調所、長崎海軍伝習所の創設に繋がることを知っている。その過程に繋がる話を隠しながらも想像して白石は語っているが、阿倍は違う意味で捉えたようだ。


「幕府の人材が優秀と言ってくれて嬉しいのう」

「とんでもない、生意気を申しまして。ただその時に集められた人材というのは無駄な物がなく、それが意外な歴史や物事に繋がることもあるかもしれません。つまり、人材と言う物はそれほど大事ということを言いたかったのでございます」

「ふむう、考えれば深い話よのう」


 阿倍は嬉しそうにそう言った後に、慶永が続くように喋る。


「しかしこの料理、我が家臣にも食べさせたいものですな。うんちくもさることながら非常に勉強になる。白石、儂のところへ来ぬか? 儂は優れた人材を求めておってのう」


 製紙産業を始めに生糸、醤油貿易を他諸々を見ても商いに力を入れている藩であり、更に福井藩では本当に優秀な人材を求めていた。横井小楠、橋本左内、中根雪江などがある。他には長崎での貿易業務を小曽根乾堂に任せていたが、不正を働いたとして手を切ったとされている。


 後にこの小曽根乾堂が龍馬と薩摩との繋がりや金銭面の面倒を見るのだから、こうしてその雇い主であった慶永と会うという不思議なものだと白石は思った。 


 そんな白石に向けられた言葉に、い、いやと阿倍が言うと忠優と共に必死に抗議する。


「幕府の優秀な人材を取るのはやめていただきたい」

「そうですぞ。この者は外交どころか、色々なところで使える男でござる。慶永殿はそれを分かって言っておいででしょう」

「いや、冗談ですので」


 慶永の瞳には冗談という文字が含まれていない。だから阿倍に続くようにして忠優も抗議の声を上げる。それに白石は平静を装いつつ、心の中では引きつった笑みが浮かんでしまう。

 やはり捉えどころのない方ばかりが多いと白石は心底に思った。


「うむ、白石よ。今日は大義であった」

「はっ!」

「お前も安息の時がなかったであろう。暫し休養し、その後は精進して幕府のために働くが良い」

「はっ! ありがたき幸せにございます」


 阿倍と皆に頭を深く下げる白石。そんな白石を見ながら阿倍は将軍継嗣問題のあることを考える。江戸城廊下で島津斉彬と会話をした時に、つつがなくことは進んでおりますが、どうにも篤姫が元気がないようだという聞いた。


 ひょっとしたら料理で元気が出るかもしれない。そう阿倍は考えると扇子をたたみながら考えるのであった。

(次々難題を与えては白石の神経が持たぬとして、いずれ時を見て、白石に元気の出る料理を作って貰おう。それと白石は下手に旗本などの地位は与えず、お庭番のように、料理の忍者という立場になってもらうか)


 しかしさすがは老中首座と言うべきか白石を思いやると同時に、今後の白石の使い方を考えるのであった。


 こうして白石は正式に徳川の料理人になると同時に、どんどん幕府の中枢へその歩を進ませるのであった。

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