幕閣に出す車エビのドリアと車エビとソースマヨネーズとチーズのカナッペ、ゆず風味


 当日の朝、幕閣のメンバーが駕籠に揺られて以前と同じ屋敷に着いた。駕籠の扉が開けられ、林と戸田が降り立つ。


 二人は挨拶を交わすと、邸内へ入っていく。今日は大勢の武士はいない。あくまで林と戸田、そして白石との対決なのである。


 二人はこの前と同じ部屋に入り、当然の如く上座に着く。二人は手持ち無沙汰なのか、なにかを会話する訳でもなく、扇子をパチりパチりと弄り始めたところで重治郎が部屋の前に立ち、そしてゆっくりと正座をすると深く深く頭を下げる。


「本日はお忙しいところをお越しいただき恐悦至極に存じます。料理人である白石はただいま作り終えて料理を持ってくる予定でございます」

「ほうー、我々が来る時間とほぼ同時とは時間的な計算でもしていたのか」

「はっ、恐れながらそこを鑑みても白石は熟練の料理人なのです」


 林の少し驚いた感想に重治郎はそこが白石の実力であることを強調して伝える。予約した時間に料理を出せないというのはやはり現代でもまずいので、白石は時間関係の管理はしっかりしていた。


 そんな会話をしていると、白石と使用人らしき人物が料理を運んでくる。一つは鉄製の容器に入った車エビのドリアであった。湯気を激しく立てており、今がまさにできたてということを表していた。


 もう一品は車エビとソースマヨネーズとチーズのカナッペ、ゆず風味である。


 鍋で山羊のバターを溶かし縦薄切りにした観賞用の玉ねぎを加えて炒める。玉ねぎが飴色になったところで、そのままでは車エビは大きいので、少しぶつ切りにしてエビを加えて炒める。色が変わる頃合いで、小麦粉を加え、なじんだら山羊の乳を加えて混ぜ、とろみがついたところで塩と胡椒で味を調える。これでホワイトソースの完成である。


 江戸時代の陶器の皿がどれだけ熱に持つか分からないので、白石は加納屋の知り合いの鍛冶屋に鉄の皿を頼んだ。


 そんな鉄の少し深い皿にご飯を盛り付けてホワイトソースをかけていく。更にその上に鍋で完全にとろーりと溶かしたチーズを加えて竈の炎の中で焼いていく。


 もう一品の車エビとソースマヨネーズとチーズのカナッペ、ゆず風味はまず小麦粉と山羊の乳、塩、加納屋で扱うオリーブオイルでナンを作る。鍋を何回か降ろしながら火加減の調整をして、程よい焼き加減になるように調節する。そしてナンを食べやすいサイズに包丁で切り、その上へ溶かしたチーズとソースマヨネーズ、車エビの刺身、更にアクセントの為にゆずの汁を散らす。


 そんな工程で作られた料理だが、口で説明しても林と井戸は分からないと思うので、白石は二人の前へ料理を出すと、ただこう言った。


「鉄の器には触らないでください、大やけどをしてしまいますので、あくまでさじで掬ってお食べ下さい。それと中もやけどするぐらい熱いのでご注意をしてください」


「う、うむ、でこちらのなんなのかよく分からないふっくらとしたせんべいのようなものはこのまま食べればいいのか?」


 林の問いかけに白石はコクリと首を振ると、思うがままに囓って食べて下さいと述べる。鉄製の器に入れられたドリアのチーズはところどころ茶色に焦げており、姫のベールのようなホワイトソースはジュウジュウという小気味のいい音を立てていて、更にマグマのように泡を浮かべていた。そんなドリアからは甘く感じる香り高い湯気が溢れる。


 見慣れぬ料理を暫く林と戸田は見やるとさじを持ち、ドリアを掬って食べる。チーズとホワイトソースがひたりひたりと湯気を立てて、皿へ吸い込まれるように落ちていく。


「ふうーふうー、これは、あつつ」

「まことに熱い、ふうふう」


 林と戸田は口の中へ入れた瞬間、熱と戦い始める。熱と戦い、懸命に食べる姿に白石はなぜか嬉しい気持ちになった。口の中へ入れた瞬間林の表情が変わった。


「こ、これは……なんという美味なのだ……はふ」


 乳臭さのあるホワイトソースの優美でまったりとしたコクのある味に、とろーりとしたチーズの濃厚でクリーミーな味が混ざり格別な味へ昇華している。


 更に食べ進めると、プリッとした車エビのかみ応えとねっとりとした甘みと旨味がじんわりと口の中へ広がる。


「こ、これはなんなのだ……」


 もはやこの世の常識を越えてしまった料理。更に食べ進めると下からは甘みのある米が出てきた。熱い、熱いが食べ進めるのをやめることができない。


「こ、米が……なんという奥深き、そしてなんという旨さがある料理なのだ!」


 日頃は冷静沈着な林でさえも、この料理には歓喜の声を上げざるを得なかった。まるでその優美な様は能のような料理としか表現が出来ない。そう林は思った。


 戸田は目を瞑り、天上を見上げるようにして、この世の全ての旨味を味わった表情をする。最後に残る玉ねぎの甘みのある味がさらりと舌の上でとろける。


 そこで戸田は震える手で、ナンで作られたカナッペを手に取る。少し大きめのナンだが一口で食べようと思えば食べられるようにしてあるので、戸田は強引に口の中へ入れた。


 ナンの甘く、そして香ばしくもあるパン生地。緩やかな噛み応えのある生地は絶妙な加減だ。そんなナンに絡むようにソースマヨネーズの甘みと酸っぱさとまろやかな味へ、チーズの味がふうわりと加わり、極楽の味になる。更にそこへ車エビのねっとりとした甘みと旨味が加わると、これはこの世のなにかを超えた極楽としかいいようがなかった。


 食べている最中も、料理の味を邪魔しないように口の中で柚の香りがふんわりと広がり、最後には清涼感さえ与えた。


 林もカナッペを食べ終わると、一度目を瞑った後にこう言った。


「これは白牛酪(はくぎゅうらく)を上手く使っている料理だ……」

「ご存じなのですか?」


 白石の問いかけに林は頷くと、顎に手を当てた後にこう言った。決して自分が食べたことがあるとは言わない。食べないと、これがそれであると分かるはずもない。しかしここはそれで通すのが筋というものなのだろう。


「十一代将軍家斉公は牛の乳から取った白牛酪が好物だったと伝え聞く」

「これは西洋ではチーズとかミルクと申します」

「ほうー、ちーずにみるくのう」


 そこで林は一旦喋るのをやめ、少し考えた後に白石に聞いた。


「どうしてこの料理を作ろうと思ったのだ?」

「はっ! この材料はいわずとも知れた江戸でとれた食材のみで作っております。山羊の乳にしかりそれからとれる白牛酪にしかり、観賞用の玉ねぎしかり、米、柚、小麦粉、車エビにしかり、卵、油、酢にしてもです」

「うむ」

「幕府はまだ外国のような存在になることはできないと思います。やはりこの江戸で集めた食材のように可憐で、それでいて質実剛健のような身構えは崩すべきではないと思った次第です」

「うむ」

「米は石高を表し、魚介類は江戸の海を表し、柚などは江戸の物流を表します。これが幕府の威厳ではないでしょうか? 全て江戸のものでこれだけのものを作れると言う誇りになるかと思います」

「うむ」

「実際、アメリカ側とどういう会談になるのかも私は知りません。しかしながらこれだけは、はっきりと言えます。自国の産物で成り立っている国であるということを」


 これは鎖国サイドの意見である。本当のことを言えば、日本にはなにもない。金もない、威厳もない、なにもない。あるのは林や戸田のような優秀な人材のみなのだ。他は本当になにもない。これが幕末の江戸の真実だった。


「それは本心か?」


 林は試すような口調でそう言ってきたので白石は、頭を下げるとはっ! 言ったが林はそこで笑みを浮かべる。


「嘘だな」

「……」

「これほどの料理を作れて先が見えぬはずがない。その上で聞くが、これが鎖国用の料理だったとしよう、では開国に意見が流れたときには開国用の料理を作るか?」

「それが命令とあれば」


 白石は料理人だ。依頼されたら堅実にその為の料理を作る。林はそこで再度目を瞑ると、ゆっくりと目を開け戸田の顔を見ながらこう言った。


「私はこの男を老中の方々に紹介したいと思う、今後の交渉でも必要であると思うし、徳川の為になるはずだ。特に偏った思考もないように思える」

「儂もそう思います」


 そこで白石はほっと胸をなで下ろした。そんな白石の表情を見て戸田は少し申し訳なさそうな顔をする。


「林殿」

「うむ、実はな白石。お主を散々脅したであろう」

「は?」


 それが胃に穴が開きそうなプレッシャーになった。しかししれっと林はこう言った。


「いや、言いにくいのだが、あれは演技である」

「え?」

「よく考えよ、あの言葉程度で逃げたり腹を立てたりする人物がこれからの物事に対処できると思うか? 冷静に考え、対処できるものでないと徳川の料理人にはなれまい」


 徳川の料理人。そのフレーズに白石はジーンとした気持ちになると同時に、林の言っていることはもっともだと思う。つまり自分はあの時点でテストを受けていたのだなと。


「お主は全ての基準点を超えている。よって素晴らしき料理人であることを伝えよう。暫し待つがよい」

「重治郎」


 戸田が重治郎に対して話しかける。重治郎ははっ! というと向けられた言葉を聞く。


「ここに玉城がおらんだろう」

「はっ! そういえば前回も」

「うむ、あれは人を試しているときに少し笑う癖があってな、故に席を外してもらったわけだ」

「た、確かに、あの方は非常に愉快な方でありますので、そのようなこともあるかもしれません。それ故に交友の幅も広いですが」

「うむ、その玉城であるが、今後は同席するさせるゆえ」

「はっ!」


 戸田と重治郎の会話を聞いた後に、林は扇子を持って席から立ち上がり、白石に向かって初めて浮かべる優しげな表情を見せるとこう言った。


「舌の皮が破けておる。故に今日の夕飯はそばにしよう。きっとそのそばさえもお主が打って、出汁を作れば格別なものになるのかもしれぬな」

「い、いえ、そば屋さんにはそば屋さんの凄さがあります。私が真似できるなどとてもとても」

「ふっ、つくづくおごりたかぶらず勤勉な男よ。ゆえに尚、私は気に入った」

「はっ! ありがとうございます」

「今後も精進するが良い」


 そういうと林は部屋から静かに去って行く。その後に続くように戸田も去って行った。部屋には重治郎と白石だけ。重治郎は涙を浮かべながら白石の元へ駆け寄ってくる。


「よかった! よかった! 徳川の料理人だそうですよ、白石殿」

「ううううううううっ、あ、ありがたい!」


 この瞬間に白石弦は無職から徳川の料理人へ出世した瞬間であった。重治郎と白石は手を握り合って喜ぶ。


 暫く時間が経って白石と重治郎は青木家の前に着くとそこには木乃葉が心配そうな表情で待っていた。粉雪が降っているが、彼女は傘も差さずに待っていた。


 もはや白石の妻と言っても過言ではないのかもしれない。


「白石様! 兄様!」


 心配のしすぎて、木乃葉は胸の音の高まりを止めることができない。結果を早く知りたくて小走りで駆け寄ってくる木乃葉に、白石はいつもと同じで優しげな表情で微笑むと、こう言った。


「俺は今日から無職脱出しました! ご心配をおかけしてすみません! 木乃葉さん! いつもいつもご心配をおかけしました」

「そんなことより、なにもなくて本当によかったです。もう心配で心配で」


 重治郎は静かな歩調で木乃葉の方に歩むと、その耳に向かって囁くようにして言った。


「木の葉、他言無用で頼む。今後白石殿は徳川の料理人となる可能性が高くなった。老中の方々が認めれば時間の問題であろう」

「ほ、本当ですか?」

「ああ、ただくれぐれも内密に頼む」

「はい、かしこまりました。決して言いません」


 そう木乃葉は言うと白石の腕を握って本当によかった生きて戻って来てくれてと涙を流すのであった。そんな木乃葉の背中に手を回して優しい手つきで撫でるのであった。


 こうして徳川の料理人が誕生した瞬間でもあった。これが白石弦の激動の人生の始まりだとはこの時白石を含め誰も思っていなかった。

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