江戸探索と一文無しは辛い
そして約束の翌日になる。今日の今朝、加納屋が外の掃き掃除をしていた白石に、一人、字と算数のできる人間が欲しいといっていたのを思い出す。
若干給料も出すらしい。小僧に給料をやることは珍しいことなのかなと白石は思っていた。自分もその面接にエントリーしようかと考えたが、加納屋の商売と自分のやりたいこととは違う気がした。
ついでと言わんばかりに白石に豚肉を渡し、これでなにか旨いものが作れないかなと言ってきた。なので白石はここへ来る前に、最高の豚肉料理を仕込んでおいた。
変わった料理手法なので家族には珍しい物でも見るように見られたが。
そんなことを考えて晴れ渡る青空をぼーっと見ていた白石。人気も気にならないほど考え込んでいたようだ。
くいっと白石の羽織の袖が引かれる。そこには木乃葉の笑顔があった。木乃葉は白石の顔を見やった後に手前の大きな木製の端を指さした。
「日本橋でございます。白石様」
「おおっ……」
考え事をしていた白石は当初の目的の近くまで来ていたことにやっと気がついた。この周辺に来るとぐっと人の量が増えた。
所狭しと江戸の人間が歩いている。着物姿の女性、武士、町人、篭、棒手振りなど様々だ。
「どいたどいた」
「あらまあ」
棒手振りが急いでいるのだろう。そう言って女性の前を通り過ぎようとする。武士と武士がすれ違うときに頭を下げ挨拶をしていた。どうやら同じくらいの身分のようだ。
やはり現代と違いアスファルトではなく、土の道であった。ゴトゴトと大八車が通り過ぎていく。
(なんていう凄い風景なんだ。まるで絵のようだ。俺は本当に今江戸にいるんだな……俺が生きていた百数十年前の人達がここを本当に歩いていたんだ)
そう考えると白石は感慨深い気持ちになった。木乃葉は再度白石の袖を引くと日本橋の橋の上から遠くを指さす。
「あそこに見えるのは江戸城でございます」
「おおっ……」
天守閣はないがそれでも城が遙か遠くには建っていた。確か江戸城、姫路城、大阪城は平井さんだったかの設計で作ってあるはずだ。
(そう考えると凄いよな……でもまさか生きている内に江戸城をこの目で見れることになるとは思ってもいなかった)
現代日本には江戸城はない。その夢のような城が建っていることに白石は感激する。
「嬉しそうですね白石様」
「それはそれは感無量でございます」
歴史好きが見たら誰しもが唸るだろう。あそこに徳川三百年の全てがあるんだろうなと白石は思った。
「ささっ、先へ進みましょう」
白石に木乃葉の声は届いていなかった。日本橋の下を見やると多くの船が行き交いその中には人を乗せている者や荷物を載せているものまであった。
(凄いな)
ただただ感嘆の息を漏らす。隣から「もう白石様ったら」という不機嫌というか少しいじける姿の木乃葉が見えて白石は心の中が癒やされる。
橋を越えると時代劇さながらの風景が広がった。
「うわー本当に凄いな」
呉服屋の越後屋始め様々な店が並んでいる。各店が看板を立て自分の屋号を示していた。
木乃葉は白石を連れて越後屋に駆け込む。江戸の人間はウィンドウショッピングを楽しんだと言うがどうやら本当のようだ。
どっしりとしたかなり大きな木造の店の中には数多くの衣服製品が並んでいた。客はかなり多く中には接客をしている店員も居たり、帳簿とにらめっこしている番頭の姿も見える。
木乃葉は衣服を見つつ、これがいいなとかあれがいいなと物色し始めるが。いけない、いけないと言うと白石にこう言った。
「どうにもこうにもいけませんね。ついつい欲しくなっちゃいます」
「まあ、俺もそういう経験はありますよ」
現代人であろうと過去の人であろうとウィンドウショッピングをしていたらついつい買ってしまうなんてよくあることだと思う。
暫く越後屋にいた後に、外に出て色々な店を回る。酒屋や木綿店、薬屋などの中店や八百屋、瀬戸物屋、履物屋、煮売り屋など。他には白石は価値が分からないが絵双紙屋など浮世絵を販売する店にも行った。
薬屋はいわしやと言い、木綿店は長井と丸屋というんですよという説明を木乃葉から受けた。
暫くウィンドウショッピングを続ける木乃葉と白石。木乃葉の横顔を見ると本当に楽しそうだった。
というよりも白石の側を歩いていることが楽しいという木乃葉の心情を白石は分かる術はない。
干し見世という露天が並んでいる場所に木乃葉は白石を連れて行く。そこには職が違う数多くの露天が並んでいる。
白石は干し見世の迷惑にならないように物を見ていく。その場で調理できる食品や四季をしっかり感じさせる野菜屋、飴、唐辛子、饅頭売りなど数え上げたらきりがない。
「おおっ凄いなー」
白石は終始感動した声を出す。木乃葉はある一件の干し見世の前へ白石を連れ立った。それは稲荷鮨屋であった。
「白石様、稲荷鮨があります。食べていきますか?」
「い、いやー」
自分の懐の軽さを考えると、うん! とは言えなかったが、木乃葉は微笑みを浮かべると白石の脇を通り稲荷鮨やの前に行くと布で顔を隠しながらなにやら注文を始めていた。
「なぜ布で顔を隠しているんだろう?」
武士の買い食いはよくないことだったので、そこの長女としての務めを果たしているのだが白石にはそれが分からない。
寿司を買ってきた木乃葉は布で隠していた顔から顔を見せる。戦利品を勝ち取ったとても言わんばかりのとても気持ちのよい表情だった。
木乃葉は白石の袖をくいっと引っ張ると囁くように言った。
「あそこに茶屋もありますし、お行儀が悪いかもしれませんけど食べますか」
そういえば少々お腹が減ったと白石は思い、少し物をつまむのも悪くはないと考えた。
「それじゃ、お言葉に甘えて食べますか?」
「そう致しましょう。うふふ」
二人は手近にある茶屋に行き、椅子に腰を下ろすとお茶と団子を頼む。そして紙に包まれた稲荷鮨をお披露目させた。
「おおっ、でかいんだね」
「江戸で小さな寿司を売ったら、次からお客さんは来ません」
「そうなのか……」
現代では可愛い系スイーツなんかで売られていたり、高齢や女性のために弁当などを小さくすることはあるが江戸では通用しないらしい。
「はい、おまちどおさま。お茶とお団子です」
茶屋の女は若い娘だった。恐らくは木乃葉と変わらない年齢なのではないかと白石は思った。
「ありがとうございます」
「ありがとう」
二人で娘に挨拶すると茶屋の娘はきょとんとした表情をした。そしておかしげに笑顔を浮かべた。
「うふふっ。お二人とも息がぴったりでまるで恋人のようですね」
その言葉に木乃葉が赤面し、白石は少し咳払いをした。こんな若い子と恋人なんてとんでもないと白石否定したい気持ちになった。
「お兄さん。この子、大事にしないと罰が当たりますよ」
「こ、恋人じゃないんで」
「あらそうなんですか。それはごめんあそばせ~」
二人が下を向いて照れ隠しをしているのを娘は楽しそうな表情で見やる。
白石は顔を上げると一度咳払いをして木乃葉に言った。
「それじゃ食べましょうか。ごほん」
「は、はい」
団子を手に取り口の中に入れる。ほのかに甘く米の味がしっかりとした良い団子だ。小豆が乗っている団子を手に取りまた一つ頬張る。
「うまいなー。小豆の味と香りと餅の相性が最高だ」
「本当においしいです」
ところがそこで茶屋の娘が困った表情をしてこういった。
「ところが、近頃お客さんはめっきり少なくなってしまいまして。母がやっていた頃は人が多かったのですが」
「失礼ですが。お母様は?」
白石の問いかけに娘は少し表情に影を落とすと呟くようにして言った。
「つい最近病で亡くなりました」
「それは……」
なんとも気まずい雰囲気になってしまったなと白石は後悔をするが、そんな白石に娘は、
「いやですよー、お客さん。あなたたちまで暗くなるのはよして下さいな」
と、言いながら気丈に振る舞う姿勢を見せる。
そんな娘の気持ちを無駄にしないために、白石はこういった。
「頑張ればお客さんも戻ってきますよ。そう思いませんか木乃葉さん」
「え、ええ」
木乃葉は顔に少し困惑の表情を貼り付けた。どこか面白くないような表情だった。
「お嬢さん」
「え?」
「大丈夫取りはしないから」
「な!」
娘の言葉に木乃葉素っ頓狂な声を上げた。そんな自分を隠すかのようにして木乃葉は稲荷鮨を頬張る。
とても大きく、そして甘く、腹を満足させる稲荷鮨はとても旨いものなのだろうなと白石はそう思うと木乃葉に続くようにして食べる。
期待を裏切らず、油揚げのしっとりとした甘みと酢飯が抜群にマッチし、食を進ませるには十分だった。
いなり寿司を堪能した後に茶屋で会計を済ませ、娘の元気な見送りを聞いた後に今度は酒屋に向かった。
しかしこの酒屋で明るい買い物が少々暗くなってしまった感が出てしまった。酒屋での出来事の顛末はこうだ。白石と木乃葉は酒屋の軒先をくぐった。
「いらっしゃいませえっ!」
とても威風堂々とした店の者が白石と木乃葉を見やると挨拶をしてきた。白石はついその商売魂の塊の店員に挨拶を返した。
「で、どの酒が欲しいんだい?」
「いえ、今日は見に来ただけなので」
白石がそういうと店員は露骨に嫌そうな顔をした。見に来ただけもなにもない、自分は一銭も金がないのだ。なにも買える身分でもなかった。
「お嬢さんもですかい?」
その露骨な表情は木乃葉にも向いた。正直その接客はどうなのよと思うところはあったが、白石は木乃葉に小声で言った。
「いいですからもう行きましょう」
「いえ」
木乃葉はそういうと白石から視線を外し店員へ向ける。そして顎を少し上げ、
「このお酒を買います」
と、やや強めな口調で言った。木乃葉にとってしてみれば兄の命を救った人物の顔を立てようと思ったのだ。
だからこそ白石は申し訳なかった。
「買ってくれるかい。ありがとうよ」
買うとなった瞬間店員の態度が変わった。それも当たり前だ相手は相手で売るのが商売でそれに命をかけている。売れないと言うことは死を意味するにふさわしい言葉だと白石は思った。
もし自分の店に客が入ってきて、いやー見に来ただけなんですよって言われたら同じ風な表情になるかもしれない。
「まだ買い物の最中なのでお取り置きか、それか後ほど家に届けてくれますか」
「じゃあ家に届けるよ。これ普通の酒より少し高い酒なんで」
「そうですか。それでは頼みます。家は……」
木乃葉は金額を聞くと手持ちがないので後で払いますと言った。白石は木乃葉の袖を女性のようにくいくいと引っ張った後に聞いた。
「そ、そんな高いの? いいよ」
「いえ、大丈夫です」
それでも木乃葉は気丈に表情を崩さなかった。正直少し高い酒と言うよりはかなり高い酒だった。それでもお客様用ということにして木乃葉は腹を決めていた。
(貧乏は……つらいよ)
酒一つも買えない。自分は現代の地球ではナンバーワンのシェフで車もそこそこいいのに乗っているんだと決して言えない。
(ほんと、今の俺って金がないんだ……屈辱だ……)
まだ家に居る内は気がつかない。しかしこうして外に出ると分かる。自分はこの江戸でただの無職なのだと。
「それじゃまいどありー。またどうぞー」
二人で店を出て白石は木乃葉に謝ろうとしたが、木乃葉は自分の唇に手を当てるとそれ以上は言わない的な仕草をする。
「それでも」
「いいんです。お客様用のお酒がちょうど切れにかかっていたので」
お客様用の酒が切れそうなことは白石は知らないし、青木家の台所事情を白石は細かくは分からない。
ただ嘘だろうということは白石は察していたのでそこで黙った。これ以上話を広げるほど野暮な話もない。
「……いつか酒を青木家に買ってやる。必ずだ!」
白石の小声が風にかき消されていく。どうやってこの状況を脱出できるのかわからない。でも、なんとかしてやると思った瞬間でもあった。
そんな酒屋の光景をこの日本橋でなんでも屋を営業している加納屋は見ていたのだった。
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