先輩

@mizu888

第1話 

 目の前にいるのは、小早川きらら先輩だ。


「詩穂ちゃん、久しぶりだね」


 一学年上で同じ高校に通っているのは知っている。というかそれを言うなら知らない生徒の方が少ない。入学してから美しいだのきれいだの彼女の評価をよく耳にする。学内で有名人だった。何で芸能デビューしてないんだろうなんて、そんなうわさが飛んでいたくらいだ。


 その先輩が目の前にいる。

私が彼女の存在を知ってるのはもっともっと前からで、噂の方を後で知った。


 父親同士が同じ職場で同僚だから、簡単に言えばそういうことだ。

関係があるのは父親同士だから、私と先輩が仲良しかと言われると難しい。小早川先輩のお父さんはよくうちに来て飲んで泊まっていくなんてことはあったけれど…その娘同士が顔を合わせることはない。当然だ。

 でも小さい頃数回だけ接点があった。まず一つは、うちのお父さんと、きららちゃんのお父さん、きららちゃん、私の4人で動物園に行ったこと。

 それからうちのお父さんとお母さんが結婚記念日を過ごすからと小早川家に私だけ一泊預けられた時。理由は知らないけれど逆にうちに先輩が預けられた時。

 という感じで一緒に過ごしたことが数回あったことくらいだろうか。その数回もたまたま発生したイベントのようなものだから、家族ぐるみで懇意に付き合いがあるというほどではない間柄だった。

 私もきららちゃんもなんとなくお互いのことを気を遣って距離感があった。だから親しいイメージは残ってない。


 ただ、目の前にいる先輩は振り返ってみれば面倒見がよかったという印象がある。



「そういえば詩穂の行く高校、小早川くんの娘さんも行ってるんだって。小さい時何度か会っただろ。入学したらよろしくって言っといたから、困ったことがあったら相談に乗ってもらったらいいんじゃないか。仲良かったもんなお前たち」


 仲が良く見えてたとするなら、お互い気を遣って距離感を測ってたのがそう見えていただけだろう。いざこざはなかったから…。

 お父さんが話したせいで先輩に私が入学することが認知されてしまった。小さい頃に数回あっただけで、どういう顔をして会ったらいいのかわからない。

 まあ接点なんてそうそうないだろう…そう入学前は考えていた。




 だからこれは、お父さんがよろしくなんてお願いしたのが原因なんだろう……


「美術部に入ろうよ。というか入るよね?絵、好きだったもんね?そしたら話す時間できるし、学校のことも教えてあげられるよ」


本当に気にかけてくれたようで、声をかけに来てくれた。それで、目の前に小早川先輩がいる。


「いや、あの…絵とかもう描いてないので……」


「えっ!美術部の先輩なんですか?美術部興味あります!」


言い終わる前に、後ろから人が来た。その生徒が2人組が、私の小さな声とは対照的に、はきはきと声を発してグイっと先輩に近寄って行くので、流れで私は端に避けた。


「小早川先輩の勧誘に会えるなんてラッキー!」


「ああ、そうなの?ありがとう」


会話が始まるのを横目に見る。


「じゃあ、私は失礼します…」


一瞬先輩と目が合ったので、お辞儀して静かにその場を離れた。


 小早川先輩、美術部なんだ。勧誘なんてあっという間に埋まりそうだし、先輩の広告塔の効果凄そう、なんて思いながら帰った。



 数日後、下校して帰ってきた家の前に小早川先輩が立っていたことは、さすがに予想しなかった。ただの父親同士の付き合いにお願いされたからって、なんでそこまでするのかって…怖ささえ感じた。


 追い返すことなんてできるわけがない。私の部屋に案内された先輩は、もう何をするのか決まっているように、部屋に入るとすぐスケッチブックを取り出した。


「似顔絵描かせてよ」


取り出したスケッチブックをめくりながら、そう言われる。


「いいですけど…」


 どうしてきたんですか?とかなんで似顔絵?とか聞くことはたくさんあったのに、いいですけど…の続きとして出るはずの質問は一つも口に出そうと思えなかった。

 ここに座ってと指定されたところに座った。窓からの光を調整するように、もう少しこっちと先輩が指示する。私は言われるままに従った。


 帰ってきたばっかりで、しかもそんなに親しい間柄でもないのに、指定されたように座る。久しぶりに会ってこんな状況が生み出されることに私はなにも言及しなかった。先輩も素直に従っている私に何も言ってこなかった。

 止めようと思えば先輩を止めることは簡単だと思う……でもそうしなかった。




 それから先輩は無言で描き続けて鉛筆の紙の上を走る音だけが耳に届いた。


「あ、あの。さすがにトイレに行きたいです」


30分くらいして、たまらず声をかけた。


「ああごめん。どうぞ」


 私は立ち上がって、部屋を出て行く。

廊下に出ると、詰めていた息を吐き出した。


小早川先輩謎すぎだよ。


 部屋に戻ると、立ち上がった先輩にまた元の場所を促される。


 私が座ると元のように位置を微調整される。

微調整されたのだけれど先輩は私の前に立ったままで元の位置に戻って行かないので、どうしたのかと上を見上げる。

先輩に見下ろされていて、目が合うとドキリとした。

でも、その目に何かを悟ってはいけない気がして、何も気付いていないと言うように動揺は見せないように目を逸らさなかった。


ふいに動いた先輩の手のひらが頬にぴたりと触れて、親指が頬をなぞった。

一瞬の私の逡巡は動揺として出てしまった。先輩は真顔でとてもからかっているようには見えない。

頬に触れていた手が肩に滑っておりる。

身構えていた。でも動けなかった。

けれど手は肩の上で止まっただけで、その代わり先輩は話始めた。


「覚えてるかな、小さい時ここに来た時のこと。小学校の3年か4年生くらいの時かな。着いてすぐ私が遊ぼうって言っても、詩穂ちゃん一生懸命に絵を描いてて、なま返事でうんっていう言葉だけ返ってきて。だから横に座って私は詩穂ちゃんの集中が切れるのを待ったの。1時間くらい。それでやっと気が付いて私を見たけど、詩穂ちゃんはその時も、トイレに行ってくるって出て行った。描いてたスケッチブックを机に開いたまま置いて」


「……」


何か口を挟むような雰囲気ではなかった。この話の着地点が分からなかった。


「1時間待って、トイレに行ってくるって出て行っちゃったから、面食らったんだけど、立ち上がって開いたままのスケッチブックを待ってる間眺めようと思ったの。一枚めくって二枚めくって、もっと見たくてどんどんページをめくっていって、でも最後まで行きつく前に詩穂ちゃん帰ってきた。すごい上手だねって言った私の言葉聞き終わる前に、やめてってスケッチブックを取り上げて、詩穂ちゃんいきなりごみ箱に捨てたの。覚えてる?」

 

「……、覚えて、ない…です」


もう忘れていた。先輩が話し始めて、そんなことがあったような気がしてくる程度だった。


「でも、私がそれを拾い上げて、じゃあもらってい言って聞いたら、私から奪い取って部屋から出て行っちゃって、戻ってきたときにはもうスケッチブックは持ってなくて、もう忘れたみたいに帰って来て笑顔で『おやつがあるから行こう』って。」


 それを聞いて、記憶が戻ってくる。ただ見られて恥ずかしかったあの時の自分気持ちがバッとフラッシュバックする。数回しかあったことのない友達ではない彼女は、私にとってなにか特別さがあって、そんな彼女に見られた上に、ほしいなんて……私が描いたこんな絵なんてあげられないと思った。単純な行動だ。

 好き勝手に書いた落書き帳みたいなものだったから。私の黒歴史のようなものだ。正直何でそんな昔のこと言うんだろうと思う。もう忘れていてほしいことだった。


「私、嫉妬したんだ絵の上手さに、それと同時に憧れた。すごいと思った。

なのに簡単に描いたものを捨ててしまえるなんて……あの日あの部屋で出て行った詩穂ちゃんが戻ってくるまで、その私ゴミ箱を眺めてた」


小早川先輩の目から逃れたいと思った。彼女から感じるのは、怒りのような気がしたから。

先輩はいつから絵を描きはじめたのだろう……


「去年…中学生アートコンクールで、たまたまだけど詩穂ちゃんの名前を見つけて、見たんだよ」


「……違うんです」


「なにが?」


「本当に最近は絵を描いてなくて、あれだって授業で描いたのを先生がコンクールに出してみないかって言われて出しただけだから」


「そう・・・」


「そういうコンクールがあるっていうのもその時知って、だから……高校で美術部に入ろうとかは思わない…


 …ので」

「奨励賞…取ってたね」



遮るように先輩が言った。賞を取ったけれど、そんな人はたくさんいたし…と思った。けれど、どんどん先輩のことを煽るようなことを言っているのに気づいて言い訳をやめた。


「私が美術部に入ったら先輩はうれしいですか?」


先輩は一瞬笑顔を作ったけれど、私の質問には答えてくれなかった。


「…あのスケッチブック見せてよ。捨ててないよね、きっと」


 そう言いながら先輩が描きかけのスケッチブックを差し出す。それが初めて見る先輩の絵で、そこにいるのは先輩から見た私だ。面倒見がいい彼女のタッチに心がウズと跳ねた。

 スケッチブックをごみ箱に捨てたあの日、恥ずかしかったのと同時にすごくうれしかったのを思い出す。恥ずかしくてうれしくて赤くなる顔を隠すように部屋を飛び出した。

 捨てれるわけがなかった。褒められた絵たちを……


「……はい」


先輩の目に見えた怒りは、私の大きな勘違いだったのかもしれない。

未だその熱に浮かされていて、私は先輩の隣で絵を描いている。






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