Part.3
――あれから2日。菜帆は席に着いていた。
スカートの下には短パンを履いていたが、ふと気がつくと、手が自然とスカートを握っている。
葵と綾、柳井もすでに登校していたが、教室に一人、姿が見えない生徒がいた。
「……星野さん、今日も休み?」
綾がぽつりと問いかけると、葵も気にするように顔を上げた。
「来てないみたい。連絡もないって」
菜帆は、その名前を聞いても顔を上げなかった。
筆箱を開け、ゆっくりとシャーペンを取り出す仕草だけが静かに続く。
放課後――教室が少しずつ静かになっていく中、葵と綾は菜帆に声をかけた。
「槙本さん、大丈夫? ひとりで帰れる?」
「うん、ありがとう。大丈夫だよ」
菜帆は笑ってそう言ったが、その笑顔はどこか力の入ったものだった。
「気をつけてね」
「うん。また明日」
葵と綾は、先に昇降口の方へと向かっていった。
菜帆はその背中を見送ると、ゆっくりとカバンを手に取って歩き出した。
帰り道。
風が吹くたびにスカートが揺れ、菜帆の手は無意識に裾を押さえる。
少し汗ばんだその手が、彼女の緊張を物語っていた。
駅へと続く細い坂道にさしかかったとき、前方に見覚えのある人影が立っていた。
いつも巻かれていた髪は、落ち着いたストレートに整えられていた。
制服の着こなしもどこか控えめで、足元のスカートのラインが妙に清潔に見えた。
――星野舞。
菜帆は立ち止まる。
舞は菜帆に歩み寄ると、ゆっくりと頭を下げた。
「……菜帆、ごめん」
その声は、いつもの軽い調子ではなかった。
「……どうしたの、その髪」
「……あの日から、なんか、何にも手につかなくて。学校にも行けなかった」
舞は、まっすぐ顔を上げた。
「あたし、あの日、怖くて……というか、あんたの顔を見たとき、自分が何にもしてなかったって気づいて、すっごい恥ずかしくて……同じ空間にいるのも無理だった」
菜帆は黙っていた。風がふっと吹き、ふたりのスカートの裾を揺らした。
「……あたしさ、髪染めて、巻いて、なんかそうやって“平気な自分”作ってたんだと思う。ずっと、茶化して、ごまかして……」
「……あのとき、あたしは短パンだったから、まぁいいかって思ってたけど……」
「あんなの、笑っちゃいけなかった。……許しちゃいけなかった」
舞の目が少し潤んだ。
「ごめんね……ほんとに、ごめん」
菜帆は、目を伏せていた。
「……なんで、今日急に?」
「……白石さんと久郷さんが、ずっとあんたのそばにいたの見て、すごく置いていかれた気がしてさ……」
「あたしにはもう、あんたの友達を名乗る資格なんてないって……思った」
「……悔しかったし、寂しかった」
「……だから、ちゃんと向き合いたかった」
菜帆は、しばらく何も言わなかった。
やがて、静かに口を開いた。
「……あたし、あの時、舞が笑ってたの、ちゃんと見てたよ」
舞は、息を呑んだように肩を揺らした。
「でもね……こうして、謝ってくれたの、すごく嬉しい」
菜帆は、少しだけ笑った。
その顔には、ほんの少しだけ涙の跡が残っていた。
「……ありがと」
舞もまた、ぎこちない笑みを浮かべた。
「……ありがと。謝ってくれて、嬉しかった」
しかし、その口から「許す」という言葉は出なかった。
舞はそれを察すると、目を伏せたまま、僅かに声を震わせた。
「……無いかもしれないけど……あたしが必要なときは、言ってね」
菜帆はその言葉に目を潤ませ、そっと笑った。
涙をこらえながら、静かに頷いた。
舞はその笑顔を見届けると、何も言わず、ゆっくりとその場を離れていった。
――翌朝。
「……おはよ」
舞の小さな声とともに、教室のドアが開く。
その姿に、一瞬時が止まる。
葵も綾も、菜帆も、そして遠くで様子を見ていた柳井も、思わず目を見張った。
黒く染め直された髪、ばっさりと切られたショートカット。
制服の雰囲気も、どこか静かで、落ち着いた印象を与えていた。
舞は、周囲の視線に気づいて小さく笑い、照れくさそうに言った。
「……やっぱ、変だよね」
その言葉に、菜帆がそっと微笑んで言った。
「……ううん。似合ってる」
舞は何も言わなかった。
ただ、少し顔を赤らめて、照れくさそうに笑って目を伏せ、自分の席へ向かう。
その背中を見送りながら、葵と綾はそっと顔を見合わせた。
「……大丈夫そうだね」
「うん」
その言葉に、葵は小さく頷いた。綾もまた、静かに目を細める。
静かな朝の教室で、舞のショートカットが、ひときわ柔らかな存在感を放つ。
そして、それは菜帆の心に、ほんの小さな光を灯した。
(おわり)
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