第11話 神門の巫 そしてあなたへ

嗣実と佐知、黒崎の3人は、龍穴の池からこちらに向かってくるただならぬ気配に圧倒されていた。


佐知は龍の気配に、畏れというものが身体を突き抜ける感覚をはじめて覚えた。


一時、動けなくなってしまった3人だが、嗣実と黒崎は、ハッと我に戻り、2人同時に佐知を振り返った。


「佐知!」


前方を歩いていた2人が後ろの佐知に駆け寄ろうとした時、奥之院の方から、巨大な龍がゆっくりとこちらに向かって空中を泳いできた。


辺りは霧が立ち込め、龍の道筋は輝き、この世のものとは思えぬ景色が広がっている。


白銀の龍は、静かに、3人のすぐ横を舐めるように動いていった。その長い身体が、頭から尾までが通り過ぎるのに、どれだけの時が経っただろう。


3人は、濃い霧の中に、龍の姿が吸い込まれて行くのを見送った。


「佐知、大丈夫か?」


嗣実が佐知の両肩を掴み、しっかり顔を見、大丈夫だと頷いてから、きつく抱きしめた。


「…よかった。あんなに突然、気配無しに来る時は、持って行かれることもあるみたいだから…」


黒崎が深く息を吐きながら、佐知を心配した。


(持って行かれる?何をだろう?)

佐知は、こんがらがる頭の中で、黒崎の言葉を考えた。


「氣を持って行かれるんだよ。魂が抜けたようになる」

嗣実が佐知の心の問いに答えた。


「佐野君も来る予感はしなかったんだね?」


「ええ。全く。」


つまり、九龍守の二人にも突然の出現だったのね。それにしても、私たちのことを観察するようにゆっくり進んで行ったわ。何か言いたげな様子だった。


「佐知さん、大丈夫なら龍池まで行ってみましょう」


3人は無言で池に向かって進んだ。


池が見えてきた時、佐知の胸の奥で、何かが鳴ったような気がした。


鼓動と違う音が、響く。


「…龍が戻ってくる……」


佐知が呟くと、他の二人も同じ反応をしていた。


さっきの龍が、後方から霧と共に進んできた。

三人のすぐ脇を、肩に当たりそうに寄せて、音もなく滑っていく。


嗣実たちは、龍と共に歩きながら、池にたどり着いた。


そこで龍は、彼らの周りを包むようにぐるっと一周して、実に静かに池の中に入っていった。


最後の尾が全て水の中に滑り込むと、辺りは霧が晴れ、神秘的ではあるが、いつもの森の中の龍池に戻っていた。


三人は黙ったまま池の水面を見ていた。


「…佐知さん、龍の気配がわかったのですね」


しばらくして、黒崎がやっと喋った。


「…あ、戻って来る龍は感じました…」


佐知はチラッと嗣実を見た。

嗣実は佐知の手を握ったまま、まだ水面を見ている。


「佐野君、佐知さんは神門の巫で間違いないね?」


(…神門?それってあの湯治場のところのことよね?…嗣実さんが確かめたいと言ってた…)


佐知は嗣実の返事を待った。


しばらくして、ようやく嗣実が口を開いた。



「…恐らく、佐知は神門の巫です…」


嗣実の一言に、佐知は軽く動揺した。

しかし、その答えをわかっていた自分もいた。

(…そうなんだ、私は最初からこの人と結ばれる運命だったんだ…)


佐知は、これまでの成り行きを、全て意味のあることだったのだと捉えて、意外にもすんなり自分は神門の巫ということを受け入れている。

むしろ、嗣実と同じところに居られるように思えて、嬉しいような気持ちになった。


しかし、心無しか沈んだ嗣実の表情と、黒崎の言葉で、その気持ちはいっぺんにひっくり返る。


「…私も確信したよ。

神門の巫が覚醒したとなれば、その気は、九門全ての龍守に通じる。」


「佐知さん、あなたの気は、龍の気を全て内側から呼び寄せるような力を持っている。」


「龍は欲する。理屈ではなく、本能で。

我ら九龍の守人もまた、その気に引き寄せられるのは当然のことだ。」


(何言ってるの?…どういう意味?)


「佐知…」

嗣実は握った手の力を強めた。


「…私を、選んで…。」


佐知は驚いた。


絞り出したように小さく呟く彼は、

なぜ自信なげにいうのだろう?

私たちは運命じゃないの?

他の人なんてありえない。

昨日、両親にも言ったじゃない。

私たちは結婚するって!


嗣実の言葉に戸惑いを隠せないでいると、

黒崎が続けて言った。


「あなたが神門の巫だからです。

ただ単に巫というだけではない。

私たち九龍守は神門の巫に惹かれる。

ただ、惹かれるのではない。

あなたは、我らの中にある"整えたいという衝動"そのものを震わせる存在なのだ。


………だからこそ、欲しくなる。

手元に置きたくなる。


たとえそれが、許されぬ願いだったとしても。」


(…何言ってるの?私をどうするって?)


佐知は訳が分からず、感情が昂った。


すると、龍の池の奥で、大きなものがぐるっと動いたような気配がした。

水面がじわじわと波打つ。


「佐知!ごめん!」


はっとした嗣実が佐知を抱きしめた。


「惑わすような事を言った…!君を大事にすると言ったばかりなのに。」


嗣実に抱きしめられて、佐知は徐々に落ち着いていった。

龍池の水面も、それと同時に揺らぎが収まっていく。


黒崎は、ふうーっと息を吐き、

「…戻りましょうか」

と、二人の先を歩き出した。


長い帰り道を、三人は無言で歩いた。

それぞれが、それぞれの想いを持ったまま、小1時間もかかる道を歩いた。

しかし、その時間は、彼らにとって、頭の中を整理するのに良い時間だった。



再び、隠山神社の社務所で、冷たい緑茶を飲み、ひと息ついたところで、黒崎が口火を切った。


「佐野君は、佐知さんが神門の巫とは、考えていなかったんだね。」


「…ええ。あのレセプションで黒崎さんにお会いするまでは。」


「私も、鱗の神託を受けている。佐知さんがたまたま天倉に行ったからそこの鱗を拾ったけれど、隠山に来ていれば、ここで拾っていたかもしれないね」


ムッとした顔を向ける佐知を見て、黒崎は、はははと笑った。


「あまり言うと嫌われてしまうから、もう言いません。神門の巫が現れたのは喜ばしいことです。九門すべてが満ちたということですから。」


「そう言われましても……」


佐知は、神門の巫が自分だということが、嗣実を惑わせている事に、納得がいかない。


「佐野君自体が状況を把握するのに、時間がかかりそうだから、あなたがピンとこないのは当然ですよ」


黒崎はちょっと嫌味を含ませて言った。


嗣実は黙ったまま、黒崎の後ろに飾ってある、森が描かれた日本画を見ていた。奥之院のある森が、神秘的に描かれ、その樹々のあいだを龍が通っていくように想像する。


今日の龍は………。


自分達を試すような現れ方だった。


嗣実は大きく息を吸って、二人に言った。



「…佐知は私の伴侶として、神門の巫を務めてもらいます。」


迷いなく言葉にした嗣実に、佐知の不安は消し去られた。


「黒崎さんもお分かりのはず。先程の龍は佐知のところに来ていました。池の揺らぎも、佐知が惑う事を龍が懸念していました。」


「初めて会った時から、私は佐知に惹かれていました。もしかしたら、それは本能的に、神門の巫の気質を嗅ぎ取っていたのかもしれません。しかし…まだその時は、鱗を拾ってくれた、普通の女性、それだけでした。」


「佐知と離れ、私の気が乱れました。そしてあの日また整った。黒崎さん、あなたにも、ほかの九龍守にも決して佐知を渡せません。」


佐知は嗣実の言葉に震えた。


(どういうこと…?神門の巫だと、そんなに注目されるの?…私は何も出来ないのに……)


「佐知さん、あなたは九龍守の中でも、特別なんです。8つの守人は、どれだけあなたを欲しいと思うか。…だけども、あなたを守りたいとも思っているのです」


「おそらく、近いうちに、ほかの九龍守も気付くでしょう。でも恐れないで下さい。私たちは龍の浄化を守っているのです。それはすべての門で同じ使命なんです」


「……私は……」


佐知は自分の身が置かれたところが、今までと全く違う世界である事を懸命に理解しようとした。


「…すみません、…わたし…」


何を話していいのかわからず、言葉につまる佐知の肩に、嗣実が手を乗せた。


「大丈夫。私がいるから。」


今日のところはお暇します、と嗣実が挨拶をし、佐知が手洗いに席を外した折りに、黒崎が嗣実に言った。


「いつでも頼ってくれ。…彼女に対しては、どうも特別すぎて感情が正直になってしまう。おそらく、他の門もそうなるだろう。」


「君は大丈夫なのか?」


黒崎は嗣実のことが頼りないのだろう。無理もない。佐知が神門の巫だとわかり、これほど動揺しているのだから。


「大丈夫です。こちらに来ることで、彼女の位置を確信したかっただけです。」


「九龍守として、佐知の伴侶として、彼女を守ります。」


「神門の巫を伴侶とすることが、龍脈の九門ならどういうことかわかった上での決意とみた。神門の巫はいうなれば女王。しかし佐知さんの覚醒は始まったばかりで、自覚もない。本当に大丈夫か?」


自分を力無い者と前提されても、今回は仕方ない。狼狽えたところをさらけ出してしまったのだ。

嗣実は腹を括った顔で、しっかりと黒崎を見据え、次の瞬間、にこっと笑ってみせた。


「大丈夫です。黒崎さんも私たちの味方についてくれますから」


ムッとした黒崎に笑顔のままで伝える。


「結婚式にはご招待しますよ。」


手洗いから戻った佐知は、二人のさっきとは違う雰囲気を感じとったが、ひと皮むけたような嗣実の表情に安心した。


二人は隠山神社を後にし、山を下りたところにある温泉で泊まる事にした。



古く、趣のある旅館は、客室も少なく、それぞれの部屋に露天風呂がある。

が、疲れた身体を癒したくて、それぞれ大浴場へ向かった。


(…さてこれから、)


嗣実はたっぷりのお湯に身を委ねながら、目を閉じた。


(ある意味、黒崎さんが最初に佐知を認識したのはよかったかもしれない)


(それにしても、ストレートな物言いだったな)


黒崎は自分と歳も近い独身だから、そうなるのかもしれないが、他の九龍守は、女性も、老人も、既婚者もいる。佐知を知ってどう反応してくるか、心得ておかなければ。


嗣実は、これからの事で頭がいっぱいだったが、温泉で少し緩み、落ち着いて来た。

ロビーで佐知を待っていると、

廊下の向こうからやってくる彼女が見えた。


(ん?)


遠く、湯上がりの浴衣姿で歩く佐知に、他の客らしい男が声をかけている。


(ナンパ?)


嗣実は椅子から立ち上がり、佐知の方へ行こうとしたが、佐知が嗣実に気付くと、にっこり笑ってこちらに歩いて来た。


その姿が、


湯上がりだから?

普段見ない浴衣姿だから?


嗣実は佐知をとても美しく思った。


もとから、涼しげな、どちらかといえばシャープな小顔。

乾ききってない洗い髪を無造作に纏めて、すっぴんの頬はふんわりと桃色。


いつもと変わらない、はずなのに、

さりげなく上品に目立つ、美しさが際立つ。


「お待たせ。…どうしたの?ボーっとして?」


無言で突っ立ち、佐知を見ている嗣実を不思議そうに顔を覗く。


「…あ、いや、佐知が綺麗で…」


「ええっ?すっぴんよ?…ふふ、でもありがとう」


「…ほんとだよ。…あ、このまま食事に行こうか?」


二人は食事用の部屋に通され、やっとゆっくり向き合えた。


趣向を凝らした懐石料理を楽しみながら、佐知は、まだまだ不安がいっぱいなんだと話した。


「そりゃそうだよ…。神門の巫は、長い間ずっと空席だったから、誰もどうなるのか分からないんだ。」


「でも、黒崎さんの反応でわかったように、君は一番龍に近い。私たちは龍の気運を持っている。それが一番強いということだから」


「たぶん佐知は、まだそれが覚醒されたばかりだから、混乱してるよね?」


嗣実はよく冷えた日本酒を、くいっと呑むと一息ついた。


「…今日だけでも、…今日一日だけでも、君は変化してる。」


「え?そう?自分では分からないわ」


佐知の仕草、話し方、育ちの良さそうな上品な雰囲気、それは初めて会った時から好きだった。

九龍守だからこんなに惹かれるのか。

いや、確かに今、誰をも魅了するような気が出て来ている。


(…これが神門の巫……)



部屋に戻った二人は、露天風呂の上に上がった月と草木のシルエットの美しさに感嘆した。


「これは、露天風呂に入らない選択肢は無いわね」


佐知はスルッと浴衣を脱ぐと、外へ出て行く。


月の光に逆光で映る、彼女のシルエットが幻想的で、嗣実はしばらく無言で眺めていた。


「気持ちいいですよー」


佐知に誘われて、同じ湯船に入り、二人で月を眺めた。


「嗣実さん、巫のこと、龍脈の九門のこと、私に教えてください。」


覚悟したような声。


「ああ、一緒に、二人で、共に進もう……」


嗣実は佐知をしっかり抱きしめ、

月の光の下、深く愛し合った。


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