第10話 九龍を巡る者たち 二人の誓い

黒崎に接近され、思わず後退りした佐知は、グラスを落とそうになった。


「おっと!」


黒崎は佐知のグラスと手を掴み、

「すみません、近づき過ぎましたね」

と、笑った。


動揺した佐知は、顔を赤らめ、彼を少し睨んでみた。

「大丈夫です。…手を離してください」

手を掴まれたままの状態では、まだ距離が近い。


「これは失礼。先程も感じましたが、あなたから心地よい気が溢れていて、つい触れてみたくなってしまいました。」

黒崎は悪びれもせず、そう言って名残惜しく手を離した。


「あなたの香りも好きです」


佐知はカッとまた顔が熱くなり、さっき囁かれた耳元に手をやる。


黒崎は、そんな佐知の様子を興味深く見ながら、話を続けた。


「香りが好きだったり、触れていたいと思ったのは、ただの本能じゃない。龍の氣は、相性を選ぶのですよ」


「…何が仰りたいのです?」


「佐知さん、あなたも龍が見えるのですね」


「えっ? …まさか黒崎さんも嗣実さんと同じなんですか?…」


黒崎は、佐知の瞳の奥の方まで見透かすようにしながら、静かに話した。


「私たちは龍の加護を持って生まれてきてますからね。天倉神社に龍の滝壺があるように、私の神社にも龍が現れる池がある。」


「私たちは繋がっているんですよ」


龍が現れるところ。


その神域に生まれ選ばれた者は、中とりもちとなり、龍の加護を受け、その場所から整えられた秩序を広める。

何ヶ所かある聖域の中で、嗣実の天倉神社も、黒崎の隠山神社もその一つだ。


そして嗣実に神託があったように、それぞれの中とりもちは今、龍の浄化を助けていかなければならない時期に来ている。


「伴侶が必要な者は、佐野君や私のように巫を見つけるという使命を受けたんです。彼はずいぶん前に鱗を見つけてますが、私は3年ほど前に見つけ、神託を受けました」


黒崎は説明しながら、佐知を優しい表情で見つめた。

「佐野君が羨ましいです。あなたのような巫を授かって。…ただ、」


ふわりと風に揺れた佐知の髪が頬にかかったのを、黒崎はそっと触れて直した。


「たぶん、私たちは龍で繋がっているからでしょうか?あなたにひどく惹かれています。」


佐知はじっと黙ったまま、黒崎の話を聞いていた。嗣実からの異次元な情報だけでもやっと消化しかけたところだったのに、さらに自分達のような人達が他にもいる。その一人がグイグイとアプローチをしてくる。


くらっと立ちくらみがして、佐知はよろけた。


「大丈夫ですか⁈」


黒崎の声と同時に、

いつのまにか嗣実が佐知を支えた。 


「佐知!」


嗣実は佐知を抱えると、ソファー席へ連れて行った。


「すまない、一人にして…」


嗣実は佐知の頬に手を置き、彼女の様子を伺った。


「…大丈夫です。」


「黒崎さんに何か言われた?」


「……あ、はい、色々と龍の事を話してくれました。」


「…そうか。彼は9つの龍穴の一つを受け持っている人なんだ。龍脈の九門の一人、九龍守だ。」


「龍脈の九門?」


「佐知、今日の夜話すよ。もう少ししたら帰ろう。」


嗣実は居心地が悪そうに、疲れた顔をしていた。

佐知は嗣実の手を取り、しっかりと握った。


「君に会いたさで、ここに誘ってしまった。嫌な思いをさせてごめん。」


佐知は黙って首を降り、その握った手が嗣実を落ち着かせる。


(黒崎さんが、佐知に反応するなんて……)



_____


"龍脈の九門"


佐知が東京から戻ったら、徐々に教えていくつもりだった。


「あの滝壺も、龍穴の一つなんですね」


ホテルのティールームで、向かい合って座り、龍脈の九門について語り始めた嗣実に、佐知は静かに理解を深めようとしていた。


「食事をしながら、話そうか?」

嗣実がいつもらしくない、少し気怠そうな表情でホテルの和食店を提案すると、佐知は嗣実の手を取った。


「…嗣実さん、部屋に行きませんか?」


嗣実の上京中、二人は部屋を予約していた。

佐知は嗣実と手を繋いだまま、エレベーターに乗り込む。


二人だけが乗ったエレベーターで、やっと会えた嬉しさを、貪るようなキスで気持ちを表した。


そのまま、言葉もなく部屋に入り、触れたくて仕方がなかった欲望を、お互いにぶつけた。


(龍の氣が相性を選ぶ…?…それは嗣実さんのこと…)


彼の香りが好き。

密着する肌の温度が好き。

ずっと触れていたい。


こんなふうに思うのは、私だけだろうか。

何度も抱き合う中、ふと考えてしまう。


でも不安は無い。きっと彼もそうだと思う。



翌朝、目を覚ました嗣実は隣に寝ている佐知を見ていた。


(…気が整っている…)


上京する前と、上京してからもさらに増していた自分自身の乱れが、すっかり整えられている。

 

東京にいて、これほどの清涼感を感じたことは今までなかった。


(やはり佐知が…)


嗣実は佐知の頭をそっと撫でて、愛おしくキスをした。


「…あ、おはよう…」


佐知はまだ眠そうに、まどろんでいたが、嗣実の目を見て、パッと起きた。


「嗣実さん、戻ったのね。」


「うん、佐知、君の気を受けたんだね。しばらく東京にいたのに、乱れてない。」


「これのおかげかな?」


佐知は嗣実に作ってもらった御守りを手にした。


そんなもんじゃない。それ以上の何かが佐知にある。だんだん、強くなってる。黒崎が反応するはずだ。


「佐知が龍を見たって言ってたところって、霧根温泉だね?」


「ええ、よくわかったわね?…もしかして、そこも龍脈の九門…?」


嗣実は少ししぶい顔をして、頷いた。


「そうだ。霧根は、九門のうちの"神門"。"呼ばれし者"が現れし場所と言われてる」


佐知は一瞬どきっとしたが、平静を装った。


「……へぇ、そうなのね…。」


二人は、それはもしかして佐知?と心では思っていたが口には出さずにいた。



「佐知、君の両親に挨拶に行きたい。」


「えっ?」


「君と離れてから、私は今までになく気が乱れてしまった。佐知が居なくてはだめなんだ。結婚の許しを貰いに行ってもいいか?」


佐知は嬉しくて、嗣実を抱きしめた。


「もちろんよ!」


_____________


その日の夜、田嶋家は大変慌てていた。

朝から佐知が、結婚したい人を連れていくと言ってきたのだ。


「もう、あの子ったら急過ぎるでしょ!パパが早帰り出来なかったらどうするつもりだったのかしら!」


連絡を受けて仕事を切り上げてきた健一も、落ち着かない様子だ。

佐知が旅先で世話になっている神社。


その関係者なんだろうとだいたいは想像している。


そんな田舎の山奥から東京に出てきて、向こうのほうがカチカチになってるんじゃないか、ガッカリするような男だったら反対するべきなんだろうか。


バタバタとおもてなしの準備をしている京子を横目に、何度も同じ新聞の記事を見ていた。


しかし、そんな二人の心配は、嗣実に会った瞬間に吹き飛んだ。


都会でも目立つくらいの好青年。見た目の良さもさることながら、高学歴であり、佐知を養えるだけの所得もある。何を心配することもない、が、結婚すれば田舎に娘をやることになる。


「佐知は佐野君と結婚して、今の会社は辞めるんだな?」


佐知にとって、やりがいのある仕事だと知っている健一は、意思を確かめた。


「ええ、全く未練は無いわ。嗣実さんのところでやっていきたい」


嗣実と見つめ合う娘の決意に、反対する理由も無く、健一と京子は二人の結婚を承諾した。


「佐知は佐野さんのところから帰って、ずいぶん変わりました。たぶん、あなたのおかげなんでしょう。…私たちは今頃になって、本来の家庭になれたように思えるんです。」


「どうか佐知を大事にしてやって欲しい」


「もちろんです。」


嗣実は力強く、義父に答えた。



________________


次の日、嗣実と佐知は山奥の神社に向かっていた。


「隠山神社に行こう」


佐知の両親に結婚の承諾を得た直後、嗣実が唐突に言った。


「え?…あの黒崎さんのところに?」


佐知がちょっと嫌そうな顔をすると、


「大丈夫。もう気が整ったし、佐知にもあの神社に行ってみてほしい。」


「道中で、龍脈の九門の説明をするよ。」



嗣実は滑らかに、紺色の車で山間の高速道路を走らせながら、龍脈の九門の事を語り出す。


"龍脈"とは、中国風水において、大地に流れる氣の流れのこと。


山脈、川、断層など自然地形に沿って流れ、そこに龍が眠る、通る道だとされていた。


特に、龍穴は、"氣"が集中して、吹き出す地点となる。


「日本列島に、9つの龍穴が散らばっていて、それぞれそこが神域となっているんだ。」


「そこには、龍が眠る、通る、氣の柱が立つと言われている。…あの滝壺は龍穴の一つで、天倉神社は龍の神域なんだよ」


佐知は、嗣実の言葉をじっと聞いていた。


「大地に走る九本の龍脈が、それぞれ"氣"の門を通って天と地を繋いでいる。

それぞれの門には守り手がいて、それが九龍守と呼ばれてる。門の結界が緩むと、氣が乱れ、災いが広がると言われてるんだよ」


「その九龍守が、嗣実さんや黒崎さんなんですね」


嗣実はチラッと佐知を見やって、少しため息をついた。


「そうなんだ。九龍守は、9人いるんだけど、年齢や性別はさまざまで、龍門も役割がある」


「役割?」


「ああ、天倉神社は、"地門"。地の氣、鎮魂と再生という性質を持ってる」


「地の氣……、あの土地が豊かなのはそのせいなのかしら?」


嗣実はふっと笑って佐知を見た。


「佐知がそう言ってくれるのは嬉しいな」


しかし、それから少しだけ厳しい顔になり、静かに言った。


「佐知が行った龍穴、霧根には、九龍守は居ない。

あそこは、"神門"。神託や閃き、光という性質の場所だ。」


嗣実の言葉に、佐知は動悸がした。


「もしかしたら、君は神門の守人かもしれない。それを確かめたい。」


黒崎の隠山神社に向かう道が、大きな岐路に立たされているように思える。


(私が守人だったら、何かまた変わるんだろうか…?)


佐知は黙り込み、不安な気持ちを抑え込もうとしてみた。


そんな佐知の手を、嗣実はぎゅっと握りしめた。



_____


隠山神社は、標高の高い土地の山奥にある、パワースポットとして人気のある古い神社だ。


古い神社によくあるように、山自体を神と崇める山岳信仰をもとに建てられた。

一般にお詣りに来る最初の鳥居から、一番奥の祠まで、歩いて1時間くらいの参道を行かなければならない。


嗣実から連絡を受けた黒崎和巽は、初めの鳥居のところにある社務所に二人を案内した。


「菅谷君のところでは失礼しました。あれから大丈夫でしたか?」


黒崎は社務所の客間でお茶を勧めながら、嗣実の方を見て微笑んだ。


「すっかり元気になられた様で、よかった。佐野君の気に当てられそうでしたから」


佐知は、黒崎が自分に取った行動がまるで嗣実のせいだったように含ませた言い方に、ムッとなった。


嗣実は特に気にする様子でも無く、


「佐知とは、郷に帰り次第、結婚します。」


と、報告した。


「そうですか…。それはおめでとう御座います」


黒崎は、チラッと佐知を見たが、淡々とした表情で祝いの言葉を述べた。


「私が受けた神託の通り、鱗を拾った佐知と出会い、私の巫としての役目をしてもらうことになります。」


「彼女も、龍脈の九門に関わることになりますので、隠山神社の龍穴を見せていただきたいと思います。お願いできますか?」


黒崎は、二人をじっと見つめながら話を聞いていたが、

「もちろんです。ご案内しましょう。…遠いところをお疲れでしょうが、まあまあ歩きます。大丈夫ですか?」

と、佐知を気遣った。


「はい、大丈夫です。お願いいたします」


そう答えた佐知に、にこっと微笑み、黒崎は二人を最奥の祠に案内した。



「1時間ほど歩かなくてはなりません。」


参道は歩きやすく整備されてはいるが、両脇は鬱蒼とした深い森だ。


「この前まで、ヤマボウシの花が満開でしたが、今は実になってしまいましたね」


これ、食べられるんですよ、と、黒崎は赤い変わった形の実を採り、佐知に渡した。

黒崎は自分も摘んで食べながら、嗣実にも採って食べろと勧める。

3人は甘いヤマボウシの実を食べながら、長い道のりを進んでいく間に、最初にギクシャクしていた空気はいつのまにか和んでいった。


(黒崎さん、怖い人ではないのかも…)


佐知は、袴姿がよく似合う黒崎の後ろ姿を見ながら、最初の印象から少し変わったなと思った。


そんな道中、



最奥の祠まであと少しというところに来た時、


…ふわりと周りの空気が揺れた。


3人は同時に立ち止まる。


(…龍が来る……!)


佐知は行く方向から来る巨大な氣のうねりに、

総毛立った。








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