第9話 黒龍の宮司、隠された九つの門

生島修は、出張先のロサンゼルスから帰国した。

今回は、日向愛子も一時帰国で一緒だった。

出社した修は、営業部のオフィスですぐ、佐知の噂を聞くことになる。


"佐知が休暇先から呼び出されて、指名の案件に取り組んでいる"


"すごい勢いで仕上げてきて、もうじきUIチームと自分達セールスエンジニアと合同になる"


佐知の仕事ぶりと、彼女の醸し出す雰囲気が社内で注目されているというのだ。


「生島、佐知ちゃんと別れたんだってな?」


同僚の島本が確認するように言った。


「え?ああ。…たぶんな。」


修にとっては、神社でのことがあったにも関わらず、佐知との関係は中途半端なままだった。


「たぶんて、何だよ。彼女、手放すには勿体無いぞ。だけど、日向課長とはどうなんだ?」

島本は探りをいれてくる。


「日向課長は仕事人間だから。」


愛子への気持ちを、佐知で誤魔化していたことは認める。佐知の後腐れのないクールな性格に頼ってたんだなと思う。


(大事には思ってたんだけどな)


たぶん終わってるんだろう、俺たち。

そして、愛子とも中途半端だ。


修は佐知のいた神社の宮司を思い出す。


(やけに凛々しい奴だったな)


たぶん佐知は彼のことが気に入ってるんだろう。

オフィスでそんなことを考えていた時、愛子が興奮した様子でドアを開けた。


「生島君、田嶋佐知さんに会った?」


「え?」

(なんで佐知?話聞こえてた?)

「いえ、会ってないですよ」


愛子は修のデスクに椅子を持ってきて腰掛けた。

「田嶋さんの仕事がすごく良くって、上層部が注目してるって聞いてたんで、デザインチーム覗いてきたの。」


「…はぁ。」

相変わらず、即行動するよなと半ば呆れながら適当に相槌を打つ。


愛子はニヤっと笑って、

「私、あの子欲しいわ」

と続けた。


「はぁっ⁈」


また何を言い出すんだと、修は声が大きくなった。


「変なこと言うのやめてくださいよ。俺の彼女だったんですよ」


「知ってるわよ。」

鼻で笑って、愛子は足を組み直す。


「あの子、放ってるオーラがすごいわ。本社行っても注目されるわね。…あんな感じだったっけ?もっと地味なイメージだったんだけど」


修は、思ったら即実行の愛子の性格上、佐知に何を言い出すかわからないと心配になり、その日の退社時刻に佐知を探した。


自販機にコーヒーを買いに来ていた佐知を見つけた修は、"元気か?"と声をかけた。


佐知の横顔に、修は目を留めた。

何が変わったのかはわからない。ただ、確かに何かが整っている。


鼻先をかすめたコーヒーの香りまで、少し柔らかくなったような気がした。


「出張お疲れ様。」


落ち着いた佐知の声に、ホッとしている自分に気付いた。


「…休暇返上して頑張ってるらしいな。」


「まあね。」


「あの…、愛子先輩に会った?…いや、お前に、、お前の仕事にやけに反応してたから、」


「あぁ、うん。急になんか私に興味が出たみたい。よくわかんないけど。」


いたって普通の態度の佐知から、目が離せない。

彼女の周りの空気が、少し澄んでいる──そんな気がした。


「やっぱり、あの宮司の影響?」


「え?何が?」


「…佐知さ、彼と似た雰囲気だな。」


その言葉で嗣実を思い出したように、はにかむ顔をする佐知に、修は軽く嫉妬した。


「愛子先輩のことは、大丈夫。心配してくれてありがとう。これから仕事で関わることは無いから。」


「それって、どういう意味…?」


「私は、私の道を行くから。」



修はふと、佐知の瞳を見て動きを止めた。

その奥にある静けさが、まるで深い水面のように、なぜか胸の奥を揺らした。


ああ、もう手の届かないところにいるんだな。 

あの彼がこの子をこんなに変えたんだな。



「佐知が好きだったよ」


修は俯きながら、ポツリと呟いた。


佐知は一瞬、ハッとしたが、


「私も修が好きだったわ」


と笑顔で言い、じゃあ、と自分のオフィスに戻って行った。

修はその後ろ姿を、綺麗だと見送りながら、


(終わりで告白かよ…)


佐知との一連の会話を噛み締めた。



___________


クライアントへのプレゼンも、完璧だった佐知には、当然ながら注目されていた。


愛子からのアプローチも頻繁にあった。


「あなたの実力なら本社でも重要視されるわ。この仕事片付け次第、ロスに来てみない?休暇中よね?」


半ば強引な愛子の誘いは、以前の佐知なら憤りを感じていたかもしれない。

だけど今は、

"嗣実と龍の繋がり"を、自身の芯にしているからか、全く動じなかった。


「田舎の神社にいるんですって?勿体無いわ。本社に来てみて!自分の可能性を潰さないで。」


可能性を潰す?

自分の可能性はあの場所にある。

あの場所で整うことで、あの場所の整った秩序を持って来ることができる。

私自身がゼロ磁場になっている。


東京に帰ってから、佐知はそれに気づいていた。


佐知は胸の御守りに手を当てた。

そしてその手で、愛子の手を握った。


「日向課長、お誘いありがとうございます。でも私、拠り所を見つけたんです。本来、いるべき場所を。」


愛子は、佐知に手を握らせたまま、黙った。

そして少しの間、静かな時間が流れた。


佐知が手をそっと離したと同時に、愛子ははっとしたように喋り出した。


「…そうね、無理強いは出来ないわ。あなたの仕事は素晴らしいわ。私に出来ることがあったらいつでも協力するわね。…じゃあまた、次は飲みに行きましょ」


「ありがとうございます。楽しみにしてます。」


愛子が退室した後、春田がさっと近付き、面白そうに言った。


「佐知、なんか魔法でも使った?日向課長がすんなり退散するって、びっくりじゃない?」


「ふふふ、言っても無駄だと思ったんじゃない?」


「日向課長より、佐知の方が年上って感じだったよ。佐知、ほんとかっこいいわ」


「たぶん、日向課長は、自分の拠り所に気づいたんじゃないかな?」


独り言のように小さく呟いた佐知は、修のところへ行っただろう愛子の行く先を感じた。



____________


佐知が帰省してひと月以上経ち、

嗣実は毎日のメールや電話で、佐知が東京で上手くやっている様子を嬉しく思っていた。


しかし、なぜか自分自身の気の乱れに気付く。

それは徐々にはっきりとしてきている。

やっと現れた巫である自分の伴侶と離れる。

それがこんなにも自分にとって、大きなうねりになるとは思いもしなかった。

一人で頑張っている佐知に、こんなに側にいたい感情を抱くなんて。


その朝、嗣実は龍の気配を感じた。

(滝に呼ばれている)

嗣実は、禊の用意をし、滝壺に向かった。


滝は水飛沫を上げながら、深い滝壺に勢いよく落ちていた。

嗣実は、縁に立ち、龍が水底にいるのがわかっていた。たぶん、龍は降りてこいと言っている。

しかしまた、それは自分で決めろとも感じられる。佐知と出会い、佐知と通じ合えた事が、決して終わりでは無い。


これからが始まり。


龍の加護を持って、私は生まれてきた。

この聖地で浄化されたものを龍を通して各地へ伝える。そこへ訪れた人を浄化し、整えられた秩序を分散していく。

聖地はそういう役目。

その力が弱まってきた今、神託通り佐知という巫と出会った。


私一人では出来なかったことが、これから始まるんだ。


嗣実は、滝壺に入るのをやめ、東京の佐知の元へ行くことを決めた。

水底で、龍はくるりと向きを変えた。



帰宅した彼は、届いていた手紙を取り出した。

白と黒の箔押しの、洒落た招待状。

嗣実の家を建てた、大学の友人、菅谷から自身の設計事務所立ち上げパーティーの知らせだった。


嗣実は出席の返事を送った。


_______________


数日後、


佐知は、少し緊張した様子で、嗣実の隣に立っていた。


嗣実が友人のレセプションに出席のため上京。

佐知を同伴すると連絡があり、嗣実に会える嬉しさでテンションは上がった。

しかし、お互いの仕事の都合で、レセプション当日の再会となってしまった。


久しぶりに会う嗣実にくっついて触れたい気持ちを抑えて、はじめて紹介される嗣実の知人達に失礼が無いよう、服装にも気を使った。


嗣実も同じ気持ちで、佐知に会えた嬉しさを抑えつつ、お互いの心内を見つめ合う目で確かめた。


菅谷康平は今売れっ子の設計士。

都内にあるのに緑が多い、素晴らしい景観のこのレストランも彼の設計だ。

独立して初めてのレセプションで、各界の今を彩る面々が招待されていた。


「なんと、嗣実がとうとう身を固めるのか!」

挨拶もそこそこに、菅谷は嗣実の肩を抱いて喜んだ。 


「初めまして。あそこの住み心地はいかがですか?」


ご機嫌で佐知に尋ねる菅谷は、一見、遊び人のようにみえるが、頭の良さと芸術的な感性がある人物だとすぐわかるオーラがある。


「独立開業おめでとう御座います。佐知と申します。素晴らしい設計で住みやすい動線で、住まわせていただき嬉しいです。」


「嬉しいですね。…佐知さん、今度天倉神社に行きますよ。あの気をまた感じに行きたい。まあでも、今、あなたからけっこういい空気を感じるんだけど、僕だけかな?」


菅谷は佐知を観察するように見ながら、嗣実に問いかけた。


「…佐知は巫だから…」


嗣実が小さな声で呟くと、菅谷はやっぱりか!と手を打った。


「今日は神職がもう一人来てるんだ。隠山神社の宮司の黒崎氏だよ。嗣実は知ってるよね?」


「ああ、、」


天倉神社と同じ、ゼロ磁場の場所だと言われる、奥之院は最初の社からかなり奥深い森にある神秘的な聖域だ。

その、奥之院には、龍の池がある。


「佐知ちゃん、紹介するよ。」


菅谷は二人を黒崎の元へ案内した。


隠山神社の宮司、黒崎和巽(わたつみ)は、嗣実より一つ年上で、鋭い眼をした風格のある人物だ。

隠山神社の龍の池は、天倉神社の滝壺にも通じており、それは関連の宮司達には暗黙の了解なのである。

嗣実は会合で多少言葉を交わした事はあるが、お互い寡黙な性格なので、それほど交流は無い。


なぜかこの日、嗣実は佐知を黒崎に合わせたくなかった。妙な胸騒ぎがした。

しかし、菅谷はさっさと彼らを引き合わせしまう。


「黒崎さん、天倉神社の佐野君が来てくれましたよ。」

黒いスーツ姿の黒崎は、グラスを片手に振り向いた。

「やあ、ご無沙汰してます、佐野さん。」

黒崎は、オールバックに整えた髪がよく似合う、シャープな印象の顔を笑顔にし、嗣実と挨拶を交わした。

そしてチラリと佐知を見た。その目が、一瞬で佐知を値踏みしたように感じてしまい、佐知は怯んで嗣実の手を掴んでしまった。


「黒崎さん、こちらは私の婚約者の田嶋佐知さんです。」

紹介されて、佐知も挨拶をした。


「隠山神社の黒崎和巽です。」

名乗りながら、黒崎は佐知に握手を求めた。

一瞬、嗣実は出された佐知の手を遮ろうとしたが、そのまま二人が握手するのを見守った。


黒崎は、ほんの少し、普通の握手の挨拶より長く佐知の手を握っていた。

そして、佐知の顔をじっと見つめて、

「素晴らしい伴侶を見つけられましたね。羨ましい限りです。私はまだご縁が無いんですよ」

と、言った。


嗣実は佐知の手を取り、しっかり握りしめながら、黒崎を見据えた。


「ええ、本当に、やっと出会えた伴侶です。黒崎さんにも早く良いご縁がありますように。」


(うん?)

佐知は黒崎に対する嗣実の態度に、小さな違和感を感じた。


嗣実は、会場で佐知の横にぴったり着いたままでいたが、知人達に呼ばれ、仕方なく佐知を一人にすることになる。

佐知は、美味しそうな料理をつまみながら、会場の雰囲気にも慣れてきて、グラスを片手にテラスへ出てみた。


「素敵なレストランですよね。」


後ろから声がして振り向くと、黒崎が微笑んで立っていた。


「そうですね。菅谷さんは素晴らしい設計士ですね」


「私の自宅も菅谷氏に設計してもらったんですよ」


「まあ、そうなんですね。ではきっと素敵なお家なんですね」


「ええ、ぜひ一度お越しください。神社もお参りくださると嬉しいです。」


「はい、ありがとうございます。佐野と伺わせてください。」


黒崎は、節目がちに佐知を見た。


「佐野君とは、どういう出会いだったのですか?」


「あ、えっと、たまたまお参りに行きまして……」


佐知はどう説明するべきか、どこまで話していいのか迷っていた。すると黒崎がすっと佐知に近づいて、聞いた。


「佐知さん、あの場所で、何か印を拾われましたか?」


「……えっ?」


「龍の、鱗ですね?」


息がかかるほど耳元近くで、黒崎はそっと囁いた。



















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