第6話 晩酌と告白 二人の間に灯る火
「……大丈夫ですか?」
嗣実の声は、夏の風に紛れるように優しかった。
佐知は黙って頷いたまま、彼の袖を握りしめていた。
「…は、はい、大丈夫です。あ、こちらは私の会社の生島さんです」
「そうですか。失礼しました。セールスに捕まってるのかと思いまして。」
(セールスエンジニアだから違いないけどね)
佐知は苦笑いをして、今度は修に向かって言う。
「天倉神社の宮司をしておられる佐野さんです」
そこで嗣実と修は、ありふれた挨拶を交わした。
修は、いきなり佐知を守るように現れた、容姿端麗な青年を訝しげに見ていた。
嗣実は、佐知がコーヒー豆の袋を握りしめているのを見て、それを受け取り、
「ご案内しましょうか?」と、修を見た。
佐知が戸惑っていると、
「お願いします」と修が言い、佐知は困った状況になったと焦った。
が、歩き出した二人について行った。
(なんなの、これ…)
修、神社なんて興味無いくせに。
嗣実さんも、修が元彼だって、多分わかったくせに。あ、でも、私は嗣実さんは婚約者だと言うべきだったのかも?
佐知の頭はまとまらない質疑応答をひとりで繰り返した。
嗣実を先頭に、3人はゆっくり木漏れ日の中参道を進んだ。
嗣実は静かに、この神社の由来などを修に説明している。修は質問することもなく、黙って嗣実の言葉を聞き、神殿に参拝した。
参道の中程の捻り杉のところに来たとき、嗣実は立ち止まり、静かに目を閉じ、自らの気をわずかに整えた。
修の掌を通じて、木と水と空が繋がるように。
この地の気が、滞ったものを流してくれるように。
気の幹に手を当てながら修に言った。
「木の根は地中深くまで伸び、水を吸い上げます。それと共に地上にその水を拡散させ、気を循環しているのです」
「この木の奥から地球の核と繋がり、自分がそこに繋がっていることを感じられますよ」
佐知は、そんなスピリチュアルなこと、現実主義の修にわかるわけがないと、心配そうに二人を見ていた。
ところが、佐知の予想に反して、無言で聞いていた修は、両手を捻り杉の幹にしっかりと当てた。
見上げても天に繋がってているようで、木のてっぺんは見えない。
「…木肌が捻れていて、龍のようですね」
修は目を閉じ、しばらくじっとそのまま木と繋がっていた。
嗣実は静かに見守っている。
佐知はまさかの行動をしている修に驚き、その姿を凝視した。佐知の知ってる修なら、"ふうん、そうですか"と、嗣実の言葉を流してたはずだ。
(嗣実さん、何かした…?)
数分経ち、修はゆっくり手を離した。湿った木肌を触っていた手のひらを眺め、嗣実の方を見て
「水の気配を感じましたよ」
と言った。
嗣実は少し笑みを浮かべて、
「では、社務所で休憩なさってください。佐知、さっきのコーヒーを淹れてくれるかい?」
佐知はどきっとした。
(さ、さちって、呼び捨てにした…!)
ごゆっくり、と二人残された社務所でコーヒーを飲みながら、修が佐知に言った。
「美味しいコーヒーだな」
「そうでしょう?焙煎もいいけど、水も美味しいから」
佐知は少し自慢げに言った。
修が嗣実と参拝してから、少し雰囲気が変わったと気付いた。
(まさか修が木を触るとは思わなかったけど)
修はカップから視線を佐知に移した。
「ここが気に入ってるんだな」
「ええ。ここがとても好き。」
「いつまでだっけ?休暇は」
「え?10ヶ月くらいあるわよ」
「ずっとここにいるのか?」
ずっと……、?
そう聞かれて言葉に詰まったが、
「…しばらくは…」
と自信無さげな小声で呟いた。
「……そうか。」
修はそう言って、コーヒーを飲み切った。
「…あの宮司……」
言いかけて、急に話を変えた。
「今までの電話、繋いどけよ。俺だけじゃなくて、他の奴らも連絡取れなくて困ってたぞ。」
そして最後に一度だけ佐知を見て、少し口元をゆがめた。
「連れて帰るつもりで来たんだけどな、」
「一旦帰る。」
_______________
なんとか無事に修と別れ、佐知は嗣実を探した。
神社の森を巡回中だった嗣実を見つけ、走り寄る。
「嗣実さん!」
振り返った嗣実に頭を下げた。
「ありがとうございました。お恥ずかしいところを助けていただいて……」
「いえ、彼は大丈夫でしたか?」
「はい、もう帰りました」
二人は向かい合ったまま、しばらく無言でいた。
「あの!」
二人は同時に発した。
「あ、」
苦笑いしながら嗣実が先に話す。
「佐知さんが彼と東京に戻って行ったらどうしようと思ってたんです」
ふと顔を赤らめて、佐知に背を向けた。
「お恥ずかしいですね。嫉妬しました」
(えっ?ほんとに⁈)
その言葉に、佐知はどうしようもなく、心臓を鷲掴みにされたような切なさを感じた。
そして無意識のうちに、嗣実の背中に抱きついていた。
「佐知って、呼び捨てにされて、嬉しかったです。ずっと佐知って呼んでください!」
嗣実は腰に回された佐知の手をぎゅっと握った。
「…はい」
二人の鼓動が静かな森の中にこだましているようだった。
______________
嗣実は、自分の佐知に対する想いに、とっくに気が付いていた。
10年も待っていた人が現れたのだ。
自分より少し歳下で、伴侶として問題無い年頃。
飾ったところがなく、すっと背筋の伸びた、賢そうな女性。
都会の、外資系企業で仕事をしているから、この辺の田舎にはない洗練された雰囲気もある。
そうであっても、嗣実の田舎暮らしを楽しそうな顔で興味を持ってくれるのも嬉しかった。
二人で御神託に従い、氣の柱の記憶を体験した時から、もうすでに彼女に恋していたのだと思う。
いや、彼女を目の前にした時から、そうだったのかもしれない。
御神託に従うなら、佐知を伴侶にしなければならない。それが一番いい方法。
だから佐知が契約結婚の申し出を承諾してくれた事が人生で一番最高の出来事だった。
でも佐知がこの出会いをどう捉えてくれてるのか、いつまでと思ってくれているのか、常に不安があった。
"この者を、迎えよ。
交わりを急ぐことなかれ。
名を結ばずともよい。
ただ、ともにあれ。"
御神託の言葉を思い起こす。
(急ぐことなかれ、か…)
嗣実は、東京からやってきた佐知の元恋人を振り返る。
佐知は別れたと言っていた。東京には帰らず、まだここに居てくれている。
森で、自分を抱きしめてくれた。
佐知の気持ちを知りたいが怖い。
(まさかこんな気持ちになるとは…)
佐知と暮らしながら、婚約中と周りには言いながら、休暇が終われば帰ってしまうかもしれない。
佐知は御神託のせいで契約しているだけなんだろうから。
修の訪問以来、嗣実は悶々と考えることが増えた。
その日も、心を落ち着かせようと、杉の木肌に触れていた時、母の佳代子が竹箒で参道の掃除をしながら嗣実に声を掛けた。
「そろそろ蓮が咲いてきたよ。」
神社の裏手に、瓢箪形の池があり、たくさんの蓮が植っている。
「佐知ちゃん、見た事ないって言ってたから、明日にでも連れってあげな。花も取っきて」
もうそんな季節か。と、嗣実はわかったと返事をした。
______________
翌日の早朝、嗣実は蓮の池に小舟を浮かべ、佐知と乗り込んだ。
「すごい、すごいですね!」
佐知は初めて見る沼の蓮の林に、興奮している。
早朝だがすでに暑い初夏の日差しだが、大きく開いたピンクや白の蓮の花は、幻想的だ。
「夢の中にいるみたい…」
「ふわーっと、時々香りがしますね」
佐知は終始笑顔で、楽しんでいる。
嗣実はそんな佐知を見ながら、愛おしいと思った。
「お義母さんが、花を採ってきてと言ってましたね」
「ええ、蓮茶にするんでしょう」
「蓮茶?すてき!」
「あちらに香りの良い品種があるから、向こう岸に行きますね」
嗣実は瓢箪形の池の真ん中あたりに船を動かし、この辺りはちょっと花が違うでしょう?と見事に咲いた花を切り出す。
小舟に、蓮の切り花が積まれていく。
「毎年やってるんですか?」
蓮の花に埋もれながら、嗣実に聞く。
「そうですね、だいたい。」
「何もかもが素敵です、この村の生活…」
「…そうですか?」
「こんな暮らし方があるって、今まで知らなかったですから。」
佐知は丸いピンクの蓮の花をそっと撫でながら言う。
「ほんとにきれい」
小舟を元の場所に戻すまで、佐知はずっと、
「すてき」「綺麗」を繰り返す。
蓮の花や葉を縛って束ねている様子も、佐知は楽しそうに見ていた。
嗣実は、そんな佐知が愛おしいのと同時に、これから自分達はどうなっていくのかが気掛かりでしょうがない。
「ここは大昔からこんな蓮の池だったのかしら?」
「どうでしょうか?長い間に地形は変化しますからね。1000年も昔なら違う風景だったかもしれない」
「1000年昔に、私たちのように鱗を拾った御先祖様はこの蓮を見ていたのかしら」
暑いが、早朝のひんやりした風が、すぅーっと時折吹くのが気持ちいい。
「私たちより昔に鱗を拾った御先祖様は、ご夫婦だったのですよね?」
嗣実はどきりとしながら緩く返事をした。
「そのようですね…」
嗣実と佐知は蓮を佳代子に届け、佳代子は佐知に蓮の生け花を教えた。
社務所に生けられた蓮は、凛として美しく、佐知は長い時間じっとそれを眺めていた。
花びらを開いて発酵茶を詰め、蓮の香りを移す蓮茶も、佳代子や近所のご婦人達と作る。
優しい香りの蓮茶は、なぜか佐知を懐かしい気持ちにさせる。
佐知は朝からの蓮三昧な一日を堪能した。
まだ明るい夕方、
佳代子は佐知に燻製の仕方も教え、この日はカワマスの燻製に挑戦した。
仄暗い行燈が灯るリビングで、嗣実と佐知は燻製や畑の野菜の煮浸し、村の豆腐屋さんの寄せ豆腐などをつまみに晩酌を楽しんだ。
「こんなにここの暮らしが心地よいのは、私が遠い昔、ここに居たことがあったからなのかしら?」
ほろ酔いで佐知が呟く。
嗣実は自作の酒器で地酒を飲みながら、西の山に落ちていく夕陽を眺めていた。
濃い橙色の空にくっきりと浮かぶ山の端が絵画のようだ。
「秋は紅葉するのよね?冬は雪が降るのかしら?」
「美しいですよ」
嗣実は外を眺めていたが、佐知が朝の蓮池から楽しく過ごしていた様子を嬉しく感じていた。
そして、また来る季節も、佐知と過ごせたらという心の声が、口を突いて出ていた。
「秋も冬も、春も。…ずっとここで、二人で過ごしませんか?」
佐知は、え?と、隣に座る嗣実を見た。
(え?ずっと?)
嗣実は佐知と目を合わせた。
(…もう、言おう…)
「私と、ずっと一緒にいて欲しいと思ってます。
…佐知、あなたが好きです」
思いがけない告白だった。
お酒が入って、気分がよかったのかもしれない。
でも嗣実の真剣なその目に、彼にそう言って欲しかったと気付いた自分が映っていた。
(え……本当に言ってくれた)
心臓が跳ねて、喉が詰まりそうになる。
嬉しくて、でも怖い。こんなふうに誰かを好きになるなんて、久しぶりで──
(嬉しい…)
(どうしよう、嬉しくてたまらない…)
佐知はちゃんと答えなきゃと深く息をした。
「…私も、…嗣実さんが好きです…」
嗣実は一瞬目を見開き、そのまま、
佐知を引き寄せて口づけをした。
「…本当に?ずっと一緒にいてくれますか?」
佐知の顔を手で包み込み、鼻先をくっつけたまま嗣実が聞く。
「…はい、…ずっと一緒にいてください…」
二人は何度も口付けを交わした。
佐知はなぜか、涙が溢れた。
"こんなにも愛しい……"
二人は心の中で、同じ言葉を思っていた。
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