第5話 旧恋人の来訪、揺れる心
6月30日には夏越の大祓がある。
今年前半の穢れを祓って無事に過ごせたことに感謝し、後半も元気に過ごせるよう祈る行事だ。この日が近づくと、氏子の人たちが神社に集まり、茅の輪を作る。3メートル弱の大きな輪を村の男衆が慣れた調子で束ねていく。
佐知は、その作業を手伝うというよりは見学だ。
「ちがやという草を使うんですよ。」
ススキのような細い葉の植物が積み上げてあるところから1本取って、嗣実が佐知に手渡した。
穂の出かかったところを噛んでみろと言うので、恐る恐る噛んでみたら、甘い。
「サトウキビみたいでしょ?葉が尖っているから邪気避け、魔除けに使われる植物だけど、昔は子供のおやつにもなってたそうですよ」
「へぇ、面白いですね」
年配のベテラン方を中心に、何人もの人の手を経て、それはどんどん束ねられ、大きな円が作られていく。
「茅の輪作るの初めてみました」
佐知は、神社の行事はほとんど知らないので、見るもの全てが新鮮だ。
「こんな事も、佐知さんが楽しそうに見てくれて、嬉しいです」
佐知は嗣実の方を見た。
(この人は本当に、真っ直ぐだな)
視線に気づいた嗣実は佐知に微笑みかける。
側から見たら、本当に新婚さんのような二人に見える。
「つぐちゃん、ええ人見つかったなぁ」
総代の吉田さんがしみじみと言う。
「縁のある人やなきゃ、この土地には残れん。佐知ちゃんは導かれたんやな。」
「ほんまに、男前のつぐちゃんに、美人の佐知ちゃんで天倉神社もこれで安心や」
「佐知ちゃん見てると、昔からこの村の子だったような気がするよ」
(うん、多分私は過去世でここに居たわ)
佐知は一見気難しく見える吉田さん達がいい風に言ってくれるのを有り難く思っていた。
そして二人の様子に、茅の輪作りの村の男衆は満足そうに仕事を進めるのだった。
出来上がった茅の輪が設置され、みんなにお茶菓子を出した頃、猪田君が社務所から佐知に声をかけた。
「電話が鳴ってますよ」
(電話?)
佐知は、休暇を取るにあたり、アパートから整理して引き払い、旅に出ることにした。
携帯電話も、それまで使ってきたものは電源を切り全く使っていなかった。
ただ、会社と兄だけには、居場所と新しい電話番号が知らせてある。
久しぶりに鳴った電話は、兄からのものだった。
佐知は、出損なったそれの履歴を見ながら、かけ直すのを少し躊躇ったが、場所を変えて兄の真斗に電話をした。
『佐知、元気にしてるか?』
真斗に電話番号を教えてから1ヶ月ちょっと経っていた。
『うん、元気よ』
『まだしばらくそこに居るんだよな?』
『そうね、そのつもり』
佐知は何か言いたげな兄の口調が気になり、
『何かあった?』
と聞いた。
『いや…実は、夕べ居酒屋で偶然、生島君に会ってさ…』
『⁉︎……』
佐知は忘れかけていたその名前を聞いて、ドキリとした。
『お前のこと、かなり探してたよ。…電話番号は言ってない。けど、その辺の神社に居候してるようなこと喋ったような気がするんだ…すまん!酔っててつい…』
佐知は、ふぅっとため息をついた。
『……わかった。いいの、ありがとう連絡くれて』
悪かったな、しかしお前らどうなってるんだ?
連絡してやれよ、と心配する兄に対して、大丈夫だとなだめて電話を切った。
(…そりゃ出張から帰ったら一方的に別れの手紙が来て、連絡つかなくなってるなんて、変だと思うよね)
だけど今更。
(顔合わさなくていいようにしてあげたんじゃない)
佐知はみんなのところに戻った。
今年も茅の輪が上出来だと笑う、村のみんなの温かな空気に不穏な気持ちが和んだ。
嗣実は、戻った佐知の様子が変わったことを察したが、何も言わずに佐知の手を取った。
「まだご祈祷してませんが、くぐってみますか?」
「え?ええ。」
嗣実は手を繋ぎ、佐知と一緒に茅の輪をくぐる。
「左足から跨いで、左まわり、、」
佐知と2人でゆっくりと左右3回まわり、参拝した。
その様子を茅の輪作りのみんなは "ええのう"、"お似合いじゃのう"と口々に言いながら、嬉しそうに見ていた。
出来立ての茅の輪が、曇った佐知の心を浄化してくれたように感じた。
________________
6月30日の夏越の大祓で、佐知は今年半年の穢れをすっかり落とした気になっていた。
夏の気配もだんだん濃くなり、龍須川の下流では水遊びをする子供達も聞こえてきた。
夏越の大祓で参拝客が多く、忙しくしていたので、佐知は兄からの連絡のことを少し忘れかけていた。
そんな7月はじめ、嗣実に頼まれ、近くの焙煎所までコーヒー豆を買いに行った。
鼻唄を歌いながら神社に戻った佐知は、授与所の前に立つ男性を見て足がすくんだ。
男は、佐知に気付き、向かった。
「佐知…」
生島修は、薄いピンクのシャツにコットンのパンツを合わせ、垢抜けた都会の青年という印象の服装で佐知の前に立った。
呆然としている佐知をまじまじと見て、
「なんか雰囲気変わったな」
と言った。
「ずいぶん探したよ。こんなところに居たなんてな。…なあ佐知、これってゲーム?」
佐知は軽くショックを受けた。
「…ゲームって?」
あぁ、自分の前から消えた私を探して欲しかったと思ってるんだわ、だからゲームなんていうのね。
「出張から帰ったら、佐知いないし、連絡取れないし、アパートまで引き払ってるって。やりすぎだよ」
修は攻めるような口調で言った。
佐知は黙って、修の方を向いてはいたが、目はなんとなくシャツのボタンを見ていた。
修が探しにくるかも。そんなシチュエーションを考えてみない事もなかった。兄からの電話が無くても、旅に出る時にそう思っていた。
(だけどゲームじゃないわ)
(さよならって書いたじゃない!)
修をはじめ、佐知の会社の人たちは自分に自信がある人が多い。
彼は佐知が自分と距離を置きたくなっていたとは思ってないのだろう。
人当たりもよく、成績も良い彼もそれなりの自信家だ。
(出張先では大好きな人がいたから私のことなんて忘れてたくせに)
修はロサンゼルスの本社に出向している憧れの先輩・日向愛子のもとへ出張していた。
年に数回、修はロスに呼ばれる。
今回の約ひと月の長期出張の間、佐知から電話やメールはしても、修からくることは無かった。
佐知と修が付き合い出したのも、日向愛子のロス出向が決まってからだった。
(あからさまよね…三年も付き合ったのに…)
(日向さんが帰国したらどうするつもりなわけ?)
佐知はふぅーっとため息をついた。
「ゲームじゃないわ」
「手紙にも書いたわ」
佐知はしっかり修の目を見て言った。
「一人になりたかったの。いろんなこと御破算したくなったの。…修、あなたともよ」
「なにそれ?」
修はムッとした顔をした。
しかし何か思い出したような間があり、宥めるような言い方に変わった。
「出張から帰ってお前が消えててさ、社のみんなに言われたよ。佐知元気なかったって。出張中は忙しくてなかなか連絡できなくて悪かった。…誕生日も忘れてるわけじゃなかった。」
そう言って、修は鞄からリボンのかかったミントグリーンの小さな箱を取り出した。
「遅くなって悪かったな」
佐知は差し出されたそれをじっと見つめた。
「ご機嫌直して一緒に帰ろう」
ああ、この人はやっぱり、自分優位だよね。
「ごめん、受け取れない」
佐知は買って来たコーヒー豆の袋をぎゅっと握った。二人の間に焙煎したばかりのいい香りがしている。
「なんで?まだ怒ってるの?…てか、何で怒ってるの?俺たちってこんなこと言い合う要素あったっけ?」
「お前のこと、必死で探したんだぞ」
修は予想外の佐知の返答に腹が立った。
しかし、ハッと気が付いたように聞いた。
「お前、社で何か聞いたのか?」
佐知の心臓はドクンと大きく脈を打つ。
(ああ、やっぱりね。日向さんとはそんな仲なんだ)
日向愛子は生島修を必ず指名するっていうのは、一部では噂されている事で、そこに恋愛感情があるかどうかはただの憶測で退屈な噂話だ。
だけど、もうどうでもいい。
二人がロスでどう過ごしているのか、証拠が無くってもだいたい想像がつくのよ。
「…何も知らないよ。」
明らかに噂は聞いてるけど聞いてないという態度で佐知は答えた。
「でも修、私たち、なんとなく付き合ってただけで、これからも何の約束も無いよね?」
修は何か言いたげにしながら、黙っている。
「何も言わないで、手紙だけで居なくなったのは悪かったわ。でもあなたを焼きもきさせるゲームを始めたわけじゃない。私なりにいろいろ考えてした事なの。」
「ごめんね。何となく始まった関係だったから、何も言わなくてもいいって思ってた。」
意地悪な言い方してるなぁと思いながら、佐知は続けた。
「…好きだって、言われたこともないしね」
ハッとした顔の修に、佐知はフッと笑った。
「私、今ここをすごく気に入ってるの。しばらくこの生活を楽しみたいと思ってる。」
修は言葉が出ないまま、小さな箱を持ったまま、佐知を見ていた。
佐知は自分に惚れてると思い込んでいた。
確かにお互い、何となく始まった付き合いだった。だけど仕事も出来て、わりとドライな感じな佐知のことを、何でも許してくれるような人のように思っていたかもしれない。
(好きだって言ったこと無かったっけ?)
(てか、佐知ってそんな事にこだわるのか?)
戸惑う修を見て、佐知は余計に冷ややかな気持ちになる。
うん、わかってる。
修が来た事で、私が喜ぶって思ってたよね。
本当に私のこと見てなかったのよね。
「修、ゲームは終わったのよ。」
修は予想外だった佐知の言動に、困惑していたが、佐知に振られているこの現状を受け入れ難い様子だった。
「…いや、ちょっと待てよ、佐知、俺たちそんな簡単に終わる訳ないよな」
「……お前って、そんな冷たいやつだったっけ?」
修の声は、怒りというより、戸惑いに近かった。
(きっとこの人、私が“どれだけ傷ついていたか”なんて、最後まで気づかないんだ)
修が一歩近づいて「……まだ、やり直せるだろ?」と口にした瞬間──静かに砂利の音がした。
いつの間に来ていたのか、
嗣実が佐知の前に立った。
「…えっ?」
いきなりの嗣実の姿に、修はたじろいだ。
「嗣実さん!」
佐知は思わず嗣実の袖を掴んだ。
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