第4話 山里の暮らしと忘れかけた温もり

契約結婚を約束した佐知は、嗣実の自宅の一室で目覚めた。


さすがに昨日は疲れたらしい。


太陽は高く上がり、静かな山里も一日の活動をとっくに始めていた。


佐知は起き上がり、昨日の出来事が現実なんだと頭が理解するまで数分ぼーっとしていたが、パンっと膝を叩いて立ち上がり、台所に向かった。



嗣実の姿はなく、食卓には、おにぎりと卵焼きが皿に盛られ、「味噌汁あります」とメモが添えられていた。


梅雨に入る時期だが今日は良い天気だ。


朝から彼は畑の野菜でも採ったりしてたのかな?


たぶん早く起きてすでに仕事をしているだろう嗣実のことを考える。


(真面目というか、律儀というか…)


朝からおにぎりまで作ってくれていた嗣実を想像すると、ふと笑みが溢れる。


すると急に勝手口が開き、

野菜の入った籠を抱えた女性が入ってきた。


「あら!起きたかね?佐知さんだね?」


60代かと思われる女性は、畑作業の出立ちで、流しに籠をドサッと置いて佐知に振り返った。


「あ、あの、おはようございます…」


佐知はもしかしたら嗣実のお母さん?と直感がしたが、それは当たっていた。


「嗣実の母で、佳代子といいます。佐知さん、嗣実を受け入れてくれて、ほんとうにありがとうございます」

佳代子は佐知に深々と頭を下げた。


佳代子は小柄だがその雰囲気と笑顔が包容力の大きさを物語っていた。


「え?いえ!そんな…。」


佐知はもしかして、もう昨日のことが村中に広まっているのかもと、田舎のコミュニケーションの凄さに驚愕した。


民泊の野口さんが触れ回ってそうだし、嗣実も親には報告するのは当然だとはわかっているが、昨日の今朝だ。


佐知は苦笑いをしながら、佳代子に言った。


「田嶋佐知と申します。よろしくお願い申し上げます」


佳代子は、うっすら涙を浮かべながら、うんうんと頷いた。


佐野家は代々天倉神社の宮司を受け継ぐ家系ではあるが、嗣実の父親はその父が現役だったため宮司はしておらず、村の役場に勤めていた。


嗣実の祖父は、幼い頃から龍の夢を見たり、山からの気運を感じたりする嗣実を次の宮司に望んだ。

神職になり、東京にいた頃、その祖父が逝去し、嗣実が引き継いだ。


「この村はね、」


佳代子がお茶を淹れながら佐知に話す。


「一度も争いが起こった事が無いのよ。」


「そうなんですか?」


「大昔の戦いから、戦争まで、この辺りは一度も戦いが起こった事が無いの。」


なんだかわかるような気がする、

と佐知は思った。


ここの気は、それを今まで意識した事もない都会育ちの佐知でも、感じられる。


「それで皆さん穏やかなんですね」


そうね、と佳代子は微笑んだが、


「でも、龍がよく出てきたということは」


少し懸念を抱いたような表情に変わり、


「浄化が弱まってきたのだと嗣実はいうのよ」


「嗣実さんは、龍が見えるのですか?」


佐知は、食べながら聞いてと佳代子に言われたまま、食事をしていたが、手を止めて聞いてみた。


「あの子は小さい頃から不思議な子でね。たぶん見えるのかもね……。佐知さん、でもあなたも、そうなんだと思うわ」


佳代子は静かに言った。


佐知は、先日の湯治場で池に龍の影を見たことを思い出していた。

(あれは本当に龍だったのかしら?)



佐知は佳代子と嗣実の家の掃除を簡単に済ませ、畑や鶏小屋の世話の仕方をざっくり聞いていた。


一応姑となる佳代子とすっかり打ち解けていると、社務所の方から嗣実がやってきた。


「おはようございます。朝ごはんをありがとうございました」


佐知がお礼を言うと、仕事の区切りがついて慌てて戻ってきた様子の嗣実が二人を代わる代わる見た。


「いえ、お疲れだったでしょう。大丈夫ですか?」


「はい、お母様にいろいろ教えていただいていたところです」


嗣実はチラッと母を見て、気まずそうな顔をした。


「佐知さんと気が合いそうだから心配無用よ!」


佳代子は佐知と腕を組み、にっこり笑った。


「でも一旦帰るわね。佐知さんが必要そうなもの、後から持ってくるわ。あと、今日の夜はうちで夕飯ね。」


そう言って、佳代子はさっさと引き上げていった。


「すみません…」


嗣実は頭を掻きながら誤った。


「素敵なお母様ですね。」


「あ、…あの、こちらの勝手ばかり押し通して、田嶋さんお家のことなど、全く配慮もせず、申し訳ありません」


「…謝ってばかりですね。」


佐知は笑って続けた。


「嗣実さん…と呼ばせて下さい、私のことは佐知と。」


少し顔を赤らめて、はいと返事をする嗣実のこんなところに、佐知は好感を持っていた。



「私の実家は、嗣実さんところとは真逆です」



佐知は、少しだけ残念そうな顔で言った。


高級官僚の父、プライドの高い母。

幼い頃から、常に学歴や見た目をやかましく言われた。2つ年上の兄もエリートだ。


「兄は嗣実さんと同じ大学ですよ。私は失敗して私学に行きましたが。私だけ落ちこぼれなんです」


「…そうですか。私からしたら、佐知さんは十分賢くて魅力的な女性に思います。」


気を遣ってるんだろうな、と横目で嗣実を見ながら佐知は笑顔を作ってみた。


「側から見たら、それなりに幸せそうに見えていたかもしれませんね。でも私、全部リセットしたくなって、彼氏とも別れて、長期休暇を取ったんです。そして早々に嗣実さんとご縁を頂いて、私、ワクワクしています。」


(…恋人がいたのか……)


嗣実はさらっと流した佐知の話のそこに、少し引っかかったが、自分との縁に喜んでいると言われて安心した。




「ご実家には…ご挨拶に伺うべきかと」


「ううん、いいんです。たぶん、驚くだけだから」

少し笑って、佐知は肩をすくめた。


「あの人たちの前では、いまだに“大人しい優等生の娘"でいるから。私がここにいることも、きっと理解されないわ」


嗣実は、それ以上何も言わず、ただ小さく頷いた。


__________________

 

(うちとは真逆の家庭…)


その晩、佐野家で初めての食事に招かれた佐知は、帰り道でしんみりとした。


嗣実と同じく寡黙であるが、

息子達を信頼している父親。嗣実は父親似だなと思った。


兄を立てながら、父と同じ役場に勤める弟。

彼は佳代子と雰囲気が似ていて、明るく楽しい人だ。


田舎料理よ、と言って佳代子が準備してくれたご馳走は、ちらし寿司や天ぷら、フライ、ポテトサラダに煮物など飾らない家庭料理で、都会育ちの佐知は、これまでこんな風な食事をした事がなかった。どれもこれも美味しくて、たくさん食べた。


そして、こんな食べ物で作られているから、この人たちはこんな優しい人間なんだろう、と解釈した。


暗い道を手を繋いで帰る道、佐知はふと呟いた。


「ここの食事をしていたら、私も嗣実さん達みたいになれるかしら?」


「え?私たちみたいにですか?」


「穏やかで温かい、そんな人にですよ」


嗣実の握った手は少し熱くなった気がした。


「…そんなふうに言ってもらって嬉しいです」


夜道が暗いから、手を繋いでいるだけ。


そんな事はわかっているけれど、

契約なんだけれど、

何故繋いでいたいと思うんだろう?


2人はそれぞれに心の中で、同じ事を考えていた。



______________


六月のこの時期、天倉神社のある村では、紫陽花祭りが開催される。


山の麓に植えられた紫陽花が青や水色、ピンクや紫と、優しい色で咲き、村の道を彩る。

その開花に合わせて、田んぼで綱引きや、小川のあまごの掴み取り、餅まきなどが村総出で行われる。


佐知は、神社の業務を手伝ったり畑の作業をしたり、ここにきて10日ほど経ったのでずいぶん慣れてきていた。


村の住民たちにも顔見知りが多くなり、嗣実の嫁として徐々に村にも打ち解けてきていた。


紫陽花祭り前日、佳代子達婦人会に混ざって、紅白の餅をついて丸める、餅まきの準備にも参加していた。


「佐知ちゃん、餅つき初めてなんだって?」


この辺の人達が言う"おくどさん"(釜)でもち米を蒸しながら、村のご婦人達が聞く。みんな様々な柄のエプロンに三角巾でよく動き、頼もしい。


「はい、お餅つくのにこんなふうにお米を蒸すんですね」


「まあ〜街の子だねぇ!」


ご婦人達は手慣れた動作でテキパキ動きながら佐知をからかった。 


「毎年やるから覚えといてね!」


賑やかに喋りながら、もち米が蒸し上がると男衆がつきにくる。


湯気が立ち上る嗣実の実家の土間で、何人もの人が携わり、つきあがった餅は手のひらで丸められる。

佐知も見よう見まねで一生懸命作業した。


自分で丸めた餅はまだ柔らかく、なんだか愛おしい。


「佐知ちゃんたちの結婚式の時も、みんなで紅白餅作るからねー」 


「え?そうなんですか?」


「当たり前よー!たっくさん作るからね。楽しみやわ、ね、佳代ちゃん」

佳代子は終始笑顔で頷く。


佐知は、ありがとうございます、と笑って答えたものの、私たちは本当に結婚するのだろうか?と複雑な気持ちになった。


そもそも、佐知が休暇中、しばらく一緒にいるみたいな、中途半端な契約だ。


鱗を拾ったから、共に生きろと言われ、とりあえずそうしてみた、みたいな関係。


(結婚する前に同棲してみる、て感じ?いやでもそれは恋愛からの同棲だから、ちょっと違うわよね)


私がここに居ることで、何か変わる事があるのだろうか?


嗣実はどうするつもりだろうか?


私は、どうしたいのだろうか?



そんな事を考えていた次の日、紫陽花祭りのメインイベント、"田んぼで綱引き"に嗣実も出場すると聞き、佐知はびっくりした。 


「毎年でてるよ」


と当然のようにいうが、普段、着物と袴をピシッと着こなし、美しい佇まいをしている嗣実が田んぼで綱引きをしている姿が想像できない。 


しかし、


上半身裸でスエットパンツの村の若者達と一緒に、掛け声と共に走り込み、エンヤーと全身泥だらけになって綱を引く嗣実は、すごく楽しそうだった。


佐知はみんなと一緒に声援を送り、優勝した嗣実達チームには、村の米が賞品だった。


餅まきやあまごの掴み取りも参加し、たくさんの餅とあまごを取った。


こんな楽しい祭りは初めての体験だった。


準備から携わり、仲間と盛り上がる嗣実のいつもと違う一面も見られ、あまごを思い切り掴むと握った手の跡が付くのも、わかった。準備から片付けまで、へとへとに疲れたが、とても充実した日だった。



「こんな楽しい祭り初めてですよ」


夕方、取ったあまごを炭で焼きながら、そう言った佐知を嗣実は満足そうに見た。


「祭りって、みんなで発散するのがいいんですよ。踊ったり、競ったり、そこで発散すればあとに残らない。だから参加するのがいいんです」


「なるほど」


「でも、嗣実さんのあんな姿、レアですね」


「え?そうかな?毎年やりますよ」


ふふふと笑って、佐知は嗣実の顔を見た。


嗣実も佐知を見ていた。


「佐知さんが楽しくてよかった」


香ばしく焼き上がったあまごを佐知に渡す。

「頭からいけますよ」


ゆっくり焼いた川魚がこんなに美味しいなんて。


田舎の生活が、楽しい。


(でもそれって…)


嗣実がいるからだと、わかっている。


(このとりあえずの結婚の約束、いつまでなんだろう)


あまごを片手に地元の冷酒を飲み、一日の終わりを楽しんでいる嗣実を見ながら、馴染み始めた田舎の生活をぼんやり考えていた。


佐知の気持ちを読んだかのように、嗣実がふと呟く。

「……もし、この時間がずっと続いたらと思ってしまうんです」

「でも、そう思うだけにしておきます」


嗣実はそう言って、ゆっくりと冷酒を口に運んだ。





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