Ⅱ 再会
薄汚れた黄色を晒して背の高い草が揺れている。
「おはよう、世織」
「おはよう」
坂道を上る生徒の群れには、セーラー服と学ラン、それにブレザー姿が混じる。もともとは男子校だったのが、二十年ほど前に中高一貫の共学に変わったのだ。高等部に上がると男女ともに制服がブレザーに切り替わる。おかげで中等部と高等部の生徒を間違えることはない。
高台の学校へ向かう坂道の曲がり角から、ブレザー姿の世織は下界を眺めた。空き家が取り壊された後に地面からのびる群生は、在来のすすきをほとんど駆逐してしまった外来種だ。この辺りは、昔、白銀のすすきが海原に向かって風に揺れていたものだ。いつの時代の記憶かは分からないけれど。
海と学校のある丘のあいだを、単線の鉄道が走っている。線路の先に見えるのが、世織が暮らす
「祟り山」
そう呼ばれていることを世織は知った。
五年前、一度だけ世織は祟り山に登ったことがある。少し変わっているのは、その古墳は平地に墳丘として築かれたものではなく、海に面した山の上に築かれたということだ。
古墳の祟り。それは地域に怪談として語り継がれている。江戸から明治にかけて裾野の洞穴をあらたに拡張して隧道として整えた折も、携わった人夫は完成後にひとり残らず不審死を遂げた。さらには昭和初期に行われた第一次発掘調査においても、発掘調査団の真上に雷が落ちた。裾野から救援があがった時、山頂一帯は「熱い、熱い」と身を縮めている怪我人で埋まっていたという。
「わたしの名は、せおり。
その夜のことを世織は今も悔やんでいた。よりにもよって、
「
禁忌の山にいたのは、
「五年前にそんなことがあったのですか、世織さん」
「常季輪村に引っ越してきてすぐの夜のことよ」
世織は、
「遠慮なくどうぞ。お好きなだけ」
七斗は世織にすすめた。
高等部の世織に、中等部の学ラン姿の七斗がかいがいしく給仕しているその様子を、七斗の級友たちは奇妙なものを見る眼つきでいつものように遠巻きにしていた。とくに女子の眼は冷たい。中高をあわせても一位二位を争う美形の七斗が、高等部一年の女子に付きっ切りなのだ。そんな周囲のことは構わずに、世織と七斗は教室の真ん中で堂々と昼食をとっている。いつか誰かがおそるおそる、「二人は付き合っているのか」と訊いたが、その時、世織と七斗は同時に「えっ」と本気で訊き返してきた。
「靴紐にチップをつけていたら良かった」
「チップとは、精確なタイムを計測するために配布される陸上競技のあれですか」
「箱根駅伝走者と競争できるくらいの速度で山下りをしたとおもうわ」
それはない、と七斗は胸中でつっこんだ。それにしても危ないことをする。ひとりで夜にあの山に行くなど。
「山に入ったら、火斗玉に追われたのですか」
「うん」
相変わらずきれいな顔だと、世織は七斗の顔立ちを盗み見る。初対面の時には五年生と四年生。世織よりも身長が低かった七斗は、中学に入るとみるみる背が伸び、今では世織の背丈を超えて、私服の時にはどちらが年上か分からない。
詰襟姿の七斗が水筒を二つ机に並べた。
「世織さん、宇治茶と黒豆茶のどちらがいいですか」
「その二人、大学生くらいだった。だから今は社会人よね」
「なぜ今までそのことを」
「わたしも忘れていたの。部屋を整理していたら、その時の忘れ物が出てきたのよ」
火斗玉に追われて逃げている時に何処かで落とした髪どめのピン。それは翌日、世織の家の郵便受けに届けられていた。
「世織さん、口もとに飯粒がついてます」
七斗は指をのばして、世織の唇から米粒を取り除いた。目撃した女子がざわつく。世織と七斗は見つめ合った。真剣に。
「世織さん。
「うん。分かってる」
「高天原と常季輪は、同じ
「仇の間違いでは」
世織はつめたく応えた。
「わたしがあの時、人斗玉に追われたのは、高天原系の彼らが
「
廊下を通りがかった中等部の学年主任が教室に顔を出して叱りつけてきた。
「高等部一年、
慌てて世織は片付けを始めた。
「独り暮らしでも高校生なら自分で弁当を作ってきなさい。旭も。個人面談の時にお母さんにも話したが、旭家と百百家に家同士の付き合いがあっても、ここは学校だ。昼飯の提供はやめなさい」
「自分の分はちゃんとあります。先生」
「ご馳走さま。七斗、あとで数学教えて」
「宿題を中学生に頼るんじゃない、
高等部は向かいの校舎だ。「どっちなのよ」教師の言葉にぼやきながら、世織は中等部の教室を後にした。主任教諭は他県から来たよそ者だ。もしこの地域の出身ならば、理解を示してきっと口出しはしない。
中等部三学年から高等部校舎に戻るには、校舎と校舎のあいだを繋ぐ三階の連絡通路を使うのが近道だった。跨線橋のように左右に硝子窓が続くその渡り廊下を歩いていた世織は、途中で脚を止めた。
桜の花びらがいちまい、廊下に落ちている。
昼食後の休憩時間だった。雲もないのに陽が翳り、暗くなった。連絡通路にいたはずの他の生徒の姿は消えていた。すべての音がぱたりと絶え、向かい合って建つ中等部と高等部の校舎も霧の中にかき消えた。
窓の外の景色が歪んでいく。古い遊園地にあるビックリハウスのように、場所は動いていないのに足場のほうが回転しているように錯覚する。見慣れた景色が飛び去り、それにつれて、世織の四方に人影が現れた。
連絡通路の中に冷気が流れはじめた。世織は人影と距離をとって跳び退る代わりに、身を低めた。しかしそれは攻勢のための準備だった。
お昼を食べたばかりなのよ。勘弁して欲しいわ。
世織の身体は跳んだ。前に。
「あれはなに」
海外で暮らしていた頃、後ろから附いてくる影を指して、幼い頃の世織は何度も父と母に訊いた。そのたびに世織の両親はふしぎそうな顔をして振り返り、「どれ」「何もないよ、世織」と応えた。しかし常季輪村出身の両親には分かっていた。
この娘には、古代の兵士が見えるのだ。
通路に出現した人影はいまや、はっきりとした人型となった。古代様式の鎧をまとったそれらは、最初はぎくしゃくと、次第に足早に、世織に向かってやってきた。煤を集めたようなその影にはすでに目鼻立ちまであり、その手には殺意をしたたらせた槍や剣がある。
廊下を蹴った世織はその手に懐剣を握っていた。
「うそ」
兵がぐるりと振り返り、世織の剣を掴んで止めた。世織は床に落ちた。そこに流れる霧を分けて七斗が駈け込んできた。
「世織さん」
「七斗」
兵が槍で世織を貫こうとする。世織は床を転がった。
「七斗、
「世織さん」
走り込んできた七斗の手にも世織のものと同じ、青光りする懐剣があった。その隙に世織は兵から離れようとした。世織に煤の塊のような手が伸びる。避ける間もなかった。持ち上げた世織ごと腕を振り回すと、兵は世織を壁面に向かって叩きつけた。咄嗟に顔の前に腕を立てた世織の身体が連絡通路の窓硝子を突き破る前に、世織は誰かの身体にぶつかっていた。
「おっと」
窓を破って中庭に転落するかにみえた世織の身体は何者かによって抱きとめられた。
「危なっかしいな。やっぱり君と契りを交わして夫婦になったほうがよさそうだ」
世織を抱きとめたのは、五年前に山の中で逢った
》Ⅲ
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