Ⅲ 使命


 なにを云ってるの、この人。世織は唖然としていた。学校関係者でもない部外者がなぜ此処に。

封筒ふうつつが、学校内にも現れるとはね」

 立ち込める霧を小銛晃嗣こもりあきつぐは見廻した。

「この学校、高等部はブレザーで中等部はセーラー服と学ランなんだ」

 世織と七斗の制服を晃嗣は見比べた。

「俺と弟の早彌はやみが通った学校は学ランだった。学ランのランは、オランダ由来と知った時にはまさかとおもったけど、調べたら本当だったよ」

 両腕に世織を抱いたまま、晃嗣は連絡通路の壁ぎわに立ってのんびりとそんなことを云った。その間も七斗と古代兵の闘いは続いていた。まるで兵馬俑のような兵士の亡霊は、かくかくと鈍い動きをしたかとおもうと、突然、素早く移動した。七斗はたくみに兵を避けては、御魂剣みたまのつるぎで兵に斬りつけている。

「あなた。小銛こもり家の」

「久しぶりだね世織ちゃん。五年ぶりかな」

 馴れ馴れしい声を世織にかけたが、晃嗣の視線は七斗と古代兵に向いていた。封筒ふうつつの内外は霧に包まれている。しかし学校の校舎も薄っすらと見えている。世織は晃嗣の放った先刻の言葉の方が気になった。

「契る。契ると云ったの」

「云った」

 晃嗣は頷いた。その両腕に抱かれたまま世織は晃嗣を仰いだ。

「契るとは」

「まあそうだ」

「契る。それはつまり古典や保健で学ぶあの」

「契る契ると、女の子が昼間から口にするものじゃないよ」

 あんたが云ったんじゃない。陸揚げされた魚のようにばたばたと世織は暴れた。

「降ろしてよ、痴漢」

「昔から、志士玉ししたまの民は、志士玉同士で縁組をしてきたんだよ。君のご両親もそうだろう」

「だからって勝手に決めないでよ」

 晃嗣は七斗と古代の兵の闘いぶりを感心しながら眺めていた。びりびりと放電するようにして、あたりの霧が揺れ動いて振動している。古代兵が投げた槍を七斗がかわす。槍は通路の窓硝子を突き破り、割れた硝子の破片が音を立てて飛び散った。晃嗣は世織を連れて後退した。

「ひとりで四人を相手にしている。志士玉ししたまの力が強いあの中学生はあさひ家の七斗ななとくんだな」

「七斗を助けないと」

「そうしよう。君はここまでだ」

 急に晃嗣が世織を放り出した。世織の身体は霧をくぐって床も通り抜け、真下に落ちた。悲鳴を上げる間もなかった。三階の高さから地面に激突する途中で、またしても誰かにすくい上げられた。

「大丈夫か、百百ささ

 高等部のブレザー。

「だれ。誰ですか」

仲人なこうどだ」

「な、仲人」

 ぐっと世織は言葉に詰まった。

「違う。それが名まえ。名札みて。都城仲人つしろなこうど。この春、高等部三年に編入してきた」

「それでは、都城先輩」

 世織はいそいで仲人から離れると、上方を指した。

「連絡通路に封筒ふうつつが発生しました。あれが見えているのなら、加勢して下さい。先輩、剣を持っていますか」

「あ、御魂剣みたまのつるぎ。持ってないよ。学校だぞ、ここ」

弓納院ゆみないんから貸し出される時に、肌身離さずとあれほど」

「古代の兵が現れたんだろ。でも、もう終わったようだぞ」

 仲人は周囲の景色に世織の眼を向けさせた。そこは、昼食後の休み時間の学校だった。世織と仲人は花壇と創立記念碑のある中庭に立っていた。世織の上履きは大地をしっかりと踏んでおり、渦を巻いていた霧は晴れていた。

 左右の校舎のどの教室からも生徒の声が聴こえてくる。校舎と校舎を繋ぐ三階の渡り廊下もいつもどおりに頭上にあった。

 校内放送がかかった。

『養護教諭の宗鷺むなさぎ先生。至急、三階の連絡通路にお願いします。繰り返します。養護教諭の宗鷺先生』

「七斗だ」

 仲人をその場に残して、世織は中庭から校舎に飛び込んだ。


 

 三階の連絡通路にはすでに人垣が出来ていた。階段を駈け上がって連絡通路に戻った世織のすぐ後から、白衣をまとった養護教諭の宗鷺凪子むなさぎなぎこも到着する。地味な顔立ちながらも和服が似合いそうな美人で、「保健室に行く」と男子生徒がいえば、それは仮病をつかって凪子先生に逢いに行くことを意味していた。

「みんな離れて。昼休みが終わる予鈴は鳴りましたよ。教室に戻りなさい」

「七斗」

百百さささんも。高等部の教室にもどる」

 古代の鎧をまとった兵の姿は消えていた。窓硝子は春の午後の光を通してきれいに並んでおり、柱に貼られたポスターも元どおりの位置にあった。

「そこを退きなさい」

 野次馬を押し退けて男性教諭が簡易担架をはこんできた。教員が凪子と協力して通路の端に倒れている旭七斗あさひななとを担架にのせる。

「教室に戻ろう、世織」

 同じクラスの女性徒が世織の肩を叩いた。

「旭くん、何かを考え込むようにそこに立ち止まっていたかとおもうと、ばたりと倒れたのよ。イケメンの昏倒姿に女子が群がるのを、今までわたしが世織のためにガードしてたんだから」

「なぜわたしの為なの」

「またまた。今さら」

 高等部の校舎に向かいながら、世織は連絡通路を振り返った。一枚だけ落ちていた桜の花びらは、生徒たちに踏まれてすぐに消えてしまった。



 七斗は保健室で目覚めた。午後の薄黄色い光が天井を染めている。

「どう。あさひくん」

 寝台を囲む仕切りのカーテンが外から開いた。三つある寝台のうち奥の一つに七斗は寝かされていた。他の二つの寝台は空だ。

「すみません」

 顔を出した養護教諭の宗鷺凪子むなさぎなぎこに、七斗は申し訳なさそうな様子をつくって言葉を継いだ。

「修行不足です」

「中等部の女性徒が次から次へと君の見舞いに来るのを追い返すのが大変だったわ。ご家族に連絡を入れました。今から迎えに来てくれるそうです」

「ありがとうございます」

「旭くん。最近はどう」

 生徒の健康状態をまとめたファイルの頁をめくりながら、宗鷺凪子は何でもなさそうな口調で訊いた。 

「現状維持かしら」

「と云いたいところですが、封筒ふうつつが現れる頻度は明らかに増えています」

 七斗は半身を起こした。多少だるいが、起き上がれないことはない。椅子の上に畳まれている学ランを手にとる。その手がふと止まる。

「先生。御魂剣みたまのつるぎは」

「わたしも捜したけれど、通路には落ちていなかったわ。百百さささんが隠してくれたのでは」

 違う。あの時のことを想い出した七斗は、緊張をほどいて肩の力を抜いた。

「旭くん、保健室の決まりだから念のために熱を測って」

「外から救けが入ったことで、兵は消えました。御魂剣はその人が預かってくれているとおもいます」

「誰それ」

小銛こもり

「え、本当」

 軽く愕いた顔をして、宗鷺凪子は「小銛家の兄、弟、どちら」と訊いた。

「兄のほうでした」

晃嗣あきつぐくんね」

「兵を斃してくれたのは、その小銛さんです。封筒ふうつつの兵は小銛さんが睨みつけるなり、動きを止めていました」

「小銛が高天原たかまがはら系だからかしら」

 宗鷺凪子はファイルを閉じた。

日高見國ひだかみのくににいた志士玉ししたまの民には大別して高天原系と常季輪系の二つがあったけれど、呪われているのは、常季輪だけだもの」

「でも、それだけで兵が退散するものでしょうか」

 七斗はあやしんだ。晃嗣が進み出てくるなり、七斗と闘っていた古代の兵は恐懼するようにしてみるみる消えていったのだ。

 電子音がした。七斗は脇に挟んでいた電子体温計を凪子に返した。

「平熱ね」

「倒れたのは、寝不足だったことにしておいて下さい」

「学校構内で封筒ふうつつが発生するなんて」

「晃嗣さんも同じことを云っていました」

「霊魂の通り道となる封筒ふうつつは、橋や隧道のように、あちらとこちらを繋ぐ場所によく出現するものよ。だからといって学校の通路を撤去するわけにもいかないし、どうしたものかしら。ところで晃嗣くんは何処に。わたしが三階に駈けつけた時には、彼はもういなかったわ」

「帰ったようです」

「そう。逢いたかったな」

「凪子さん」

 上着の釦をはめると七斗は上履きを履いて立ち上がった。宗鷺凪子むなさぎなぎこは首をふった。

「学校ではその呼び方はやめなさい」 

「宗鷺先生」

「または凪子先生で。旭くん。旭くんも気づいているでしょう。古代の兵は百百さささんの居る処に頻繁に現れると。彼女の中にある記憶はいったい誰のものなのかしら」

「誰であってもいいんです。ぼくが護らなければならないのは、今の世織さんですから」

「そっか」

 少年の告白を茶化すことなく、凪子は指先でペンを回した。

「セオリ。わたしの祖母も同じ名だったわ。古代の媛に由来している特別な名」

 大和と戦った媛の名。

 白衣の背を向けて凪子は机に向かった。

「おかしなものね。はるか大昔の記憶を、自分の記憶のようにして脳裡にもつなんて。憑依だの、生まれ変わりだのと云われることもあるけれど、自分の人格とは完全に切り離された別の記憶があるとしか説明できないのよね」

「凪子先生には人斗玉や兵士の亡霊は見えないんですよね」

「気配を感じる程度ね。わたしは志士玉の力が薄いみたい。でも、自死した兄の天羽あもうには見えていたの」

 凪子はあまりその話はしたくなさそうだった。

大椎おおじ家に養子に出されたわたしの兄の宗鷺天羽むなさぎあもう。天羽が生きていたら、きっと力になったとおもうわ。でも兄がいなくても、わたしも命を懸けて君たちを護るわよ。そのために保健医になったのだから」

「同じことですよ、それ」

 七斗が笑ったところで、保健室の引き戸が外から叩かれた。

「はい。あら」

「旭くんのご両親から連絡をもらい、車で迎えにきました」

 体格のいい男がそこに立っていた。

「旭くんの従兄です」

 男は名乗り、「嘘つき」と、凪子は男の胸を叩いて笑った。



》Ⅳ

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