Ⅲ 使命
なにを云ってるの、この人。世織は唖然としていた。学校関係者でもない部外者がなぜ此処に。
「
立ち込める霧を
「この学校、高等部はブレザーで中等部はセーラー服と学ランなんだ」
世織と七斗の制服を晃嗣は見比べた。
「俺と弟の
両腕に世織を抱いたまま、晃嗣は連絡通路の壁ぎわに立ってのんびりとそんなことを云った。その間も七斗と古代兵の闘いは続いていた。まるで兵馬俑のような兵士の亡霊は、かくかくと鈍い動きをしたかとおもうと、突然、素早く移動した。七斗はたくみに兵を避けては、
「あなた。
「久しぶりだね世織ちゃん。五年ぶりかな」
馴れ馴れしい声を世織にかけたが、晃嗣の視線は七斗と古代兵に向いていた。
「契る。契ると云ったの」
「云った」
晃嗣は頷いた。その両腕に抱かれたまま世織は晃嗣を仰いだ。
「契るとは」
「まあそうだ」
「契る。それはつまり古典や保健で学ぶあの」
「契る契ると、女の子が昼間から口にするものじゃないよ」
あんたが云ったんじゃない。陸揚げされた魚のようにばたばたと世織は暴れた。
「降ろしてよ、痴漢」
「昔から、
「だからって勝手に決めないでよ」
晃嗣は七斗と古代の兵の闘いぶりを感心しながら眺めていた。びりびりと放電するようにして、あたりの霧が揺れ動いて振動している。古代兵が投げた槍を七斗がかわす。槍は通路の窓硝子を突き破り、割れた硝子の破片が音を立てて飛び散った。晃嗣は世織を連れて後退した。
「ひとりで四人を相手にしている。
「七斗を助けないと」
「そうしよう。君はここまでだ」
急に晃嗣が世織を放り出した。世織の身体は霧をくぐって床も通り抜け、真下に落ちた。悲鳴を上げる間もなかった。三階の高さから地面に激突する途中で、またしても誰かにすくい上げられた。
「大丈夫か、
高等部のブレザー。
「だれ。誰ですか」
「
「な、仲人」
ぐっと世織は言葉に詰まった。
「違う。それが名まえ。名札みて。
「それでは、都城先輩」
世織はいそいで仲人から離れると、上方を指した。
「連絡通路に
「あ、
「
「古代の兵が現れたんだろ。でも、もう終わったようだぞ」
仲人は周囲の景色に世織の眼を向けさせた。そこは、昼食後の休み時間の学校だった。世織と仲人は花壇と創立記念碑のある中庭に立っていた。世織の上履きは大地をしっかりと踏んでおり、渦を巻いていた霧は晴れていた。
左右の校舎のどの教室からも生徒の声が聴こえてくる。校舎と校舎を繋ぐ三階の渡り廊下もいつもどおりに頭上にあった。
校内放送がかかった。
『養護教諭の
「七斗だ」
仲人をその場に残して、世織は中庭から校舎に飛び込んだ。
三階の連絡通路にはすでに人垣が出来ていた。階段を駈け上がって連絡通路に戻った世織のすぐ後から、白衣をまとった養護教諭の
「みんな離れて。昼休みが終わる予鈴は鳴りましたよ。教室に戻りなさい」
「七斗」
「
古代の鎧をまとった兵の姿は消えていた。窓硝子は春の午後の光を通してきれいに並んでおり、柱に貼られたポスターも元どおりの位置にあった。
「そこを退きなさい」
野次馬を押し退けて男性教諭が簡易担架をはこんできた。教員が凪子と協力して通路の端に倒れている
「教室に戻ろう、世織」
同じクラスの女性徒が世織の肩を叩いた。
「旭くん、何かを考え込むようにそこに立ち止まっていたかとおもうと、ばたりと倒れたのよ。イケメンの昏倒姿に女子が群がるのを、今までわたしが世織のためにガードしてたんだから」
「なぜわたしの為なの」
「またまた。今さら」
高等部の校舎に向かいながら、世織は連絡通路を振り返った。一枚だけ落ちていた桜の花びらは、生徒たちに踏まれてすぐに消えてしまった。
七斗は保健室で目覚めた。午後の薄黄色い光が天井を染めている。
「どう。
寝台を囲む仕切りのカーテンが外から開いた。三つある寝台のうち奥の一つに七斗は寝かされていた。他の二つの寝台は空だ。
「すみません」
顔を出した養護教諭の
「修行不足です」
「中等部の女性徒が次から次へと君の見舞いに来るのを追い返すのが大変だったわ。ご家族に連絡を入れました。今から迎えに来てくれるそうです」
「ありがとうございます」
「旭くん。最近はどう」
生徒の健康状態をまとめたファイルの頁をめくりながら、宗鷺凪子は何でもなさそうな口調で訊いた。
「現状維持かしら」
「と云いたいところですが、
七斗は半身を起こした。多少だるいが、起き上がれないことはない。椅子の上に畳まれている学ランを手にとる。その手がふと止まる。
「先生。
「わたしも捜したけれど、通路には落ちていなかったわ。
違う。あの時のことを想い出した七斗は、緊張をほどいて肩の力を抜いた。
「旭くん、保健室の決まりだから念のために熱を測って」
「外から救けが入ったことで、兵は消えました。御魂剣はその人が預かってくれているとおもいます」
「誰それ」
「
「え、本当」
軽く愕いた顔をして、宗鷺凪子は「小銛家の兄、弟、どちら」と訊いた。
「兄のほうでした」
「
「兵を斃してくれたのは、その小銛さんです。
「小銛が
宗鷺凪子はファイルを閉じた。
「
「でも、それだけで兵が退散するものでしょうか」
七斗はあやしんだ。晃嗣が進み出てくるなり、七斗と闘っていた古代の兵は恐懼するようにしてみるみる消えていったのだ。
電子音がした。七斗は脇に挟んでいた電子体温計を凪子に返した。
「平熱ね」
「倒れたのは、寝不足だったことにしておいて下さい」
「学校構内で
「晃嗣さんも同じことを云っていました」
「霊魂の通り道となる
「帰ったようです」
「そう。逢いたかったな」
「凪子さん」
上着の釦をはめると七斗は上履きを履いて立ち上がった。
「学校ではその呼び方はやめなさい」
「宗鷺先生」
「または凪子先生で。旭くん。旭くんも気づいているでしょう。古代の兵は
「誰であってもいいんです。ぼくが護らなければならないのは、今の世織さんですから」
「そっか」
少年の告白を茶化すことなく、凪子は指先でペンを回した。
「セオリ。わたしの祖母も同じ名だったわ。古代の媛に由来している特別な名」
大和と戦った媛の名。
白衣の背を向けて凪子は机に向かった。
「おかしなものね。はるか大昔の記憶を、自分の記憶のようにして脳裡にもつなんて。憑依だの、生まれ変わりだのと云われることもあるけれど、自分の人格とは完全に切り離された別の記憶があるとしか説明できないのよね」
「凪子先生には人斗玉や兵士の亡霊は見えないんですよね」
「気配を感じる程度ね。わたしは志士玉の力が薄いみたい。でも、自死した兄の
凪子はあまりその話はしたくなさそうだった。
「
「同じことですよ、それ」
七斗が笑ったところで、保健室の引き戸が外から叩かれた。
「はい。あら」
「旭くんのご両親から連絡をもらい、車で迎えにきました」
体格のいい男がそこに立っていた。
「旭くんの従兄です」
男は名乗り、「嘘つき」と、凪子は男の胸を叩いて笑った。
》Ⅳ
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