◆第一章
Ⅰ 御陵(みささぎ)
一年生から六年生の全校児童に囲まれるようにして、五年生の
「世織ちゃんかぁ……」
くすくすと児童が笑い出す。
「字は違うけど、わたしもセオリ」
「俺のお姉さんもセオリ」
「学校だけでなく、
「あ、じいちゃん」
ランドセルを並べた児童が集団下校で帰宅するのを、時折、畠から親族が片手をあげて見送った。
「世織ちゃんは、今まで外国にいたんでしょ」
「うん。漢字が苦手だから、今日からお稽古なの」
世織は応えた。日本人学校に通っていたので本当は勉強に遅れはないが、それでも不得手なものはある。世織は新居の近くの書道教室に通うことになっていた。
「この
道端にある古ぼけた案内図の前で児童が世織に説明した。山が三日月型に町を包んでおり、片側が海だ。世織は黒い丸でかたち作られた三角形の印を地図の海側に発見した。
「これは」
「それは、山の上のみささぎ」
「
では、皇族の墓なのだろうか。
「違うよ。大昔の豪族の墓。多分」
豪族の墓ならば、陵墓ではなく、ただの古墳だ。しかし地元の者が「みささぎ」と呼んでいるのなら、そこには何かの意味があるのだろう。
「行ってみたい」
世織が云うと、子どもたちは首を横にふった。絶対に駄目。
「あの古墳は、祟りがあるから駄目」
「呪われるから駄目。でも、この裾のほうに洞穴をくりぬいた古道があって、そこまでは遠足で登ったことがあるよ」
「山を越えることなく近道できるから、古くは行商人や飛脚が抜け道として使っていた道なんだ。鎌倉時代の地図にも載っているくらい、古い道なんだよ」
すると後ろにいた、四年生の男子が小さな声で世織の注意をひいた。都会的なきれいな顔をした男の子だった。名札は「
「今は切通しがありますが、昔は山越えをするか、舟を使わないと、この
海に近い処に印のついた墳墓。世織は胸中で呟いた。
夜になったら行ってみよう。
海上に、赤い点が過ぎていく。
「自衛隊機の夜間灯火だ。隣県の基地に帰投するところだな」
「点滅している。左舷灯ではなく、あれは衝突防止灯だ」
波の音がする夜の山の中に、
「やっぱり無理だ、
弟の早彌が嘆いてみせた。山道はそこで絶えていた。彼らの前にあるのは鬱蒼とした樹木の重なりだ。
「この先はとても上がれない。
「千年も過ぎたら、どんな古墳でもこうなるさ」
毒蛇を放ち、部外者の侵入を拒んできたのも遠い昔のはなしだ。
「こんなお伽話があった気がする」
「眠りの森の美女」
「それだ」
弟の早彌は頭の上に被さった枝葉を押し退けた。
「駄目だ進めない」
早彌はぼやいた。
「運転免許取り立ての嬉しさでここまで車で来たけどさあ、枝葉が払われる草刈りの時期にまた出直そう。定期的な伐採は年一回くらいはやってるはずだ」
「この
晃嗣は道の先に眼を凝らした。
「墓所が今どうなっているのか、その手がかりくらいは欲しかったが」
まだ手先の冷える春の夜だった。静寂のなかにその音をとらえた彼らは同時に下方に眼を向けた。
「女の子だ」
「晃嗣。どうやらあの子、
「助けよう」
晃嗣の決断ははやかった。
「早彌は後から来い」
弟から離れた晃嗣は漆黒の山間を駈け下った。火斗玉に追われている少女は古い
隧道は、山の裾野を貫通している古道だ。時代ごとに何度か整備され、戦時中は物資の保管所としても使われていた歴史をもつが、鉄道の普及と幹線道路が旧街道から遠く離れた場所に敷設されたことによって、現在では閉鎖されて放置されるままになっている。いまでは隧道の内部は天井の漆喰から水が洩れ出し、煉瓦で固めた卵型の入り口にも蔦がたれ下がっていて、此処をわざわざ訪れるのはよほどの廃墟好きか、申しわけ程度に点検にくる役所の整備課に限られた。
ましてや今は真夜中。通りかかる者などもちろんいない。
少女が逃げ込んだ隧道に近づくと、周辺の空気が変わった。黒い霧が出ている。夜が圧縮されたような重い濃度をかき分け、晃嗣は隧道の中に踏み込んだ。
両手をだらりとさげて、少女はこちらを向いて立っていた。片手に懐剣を握っている。晃嗣はそっと声をかけた。
「火斗玉は祓ったよ」
青い火が隧道の中にまだ一つだけ浮遊していた。晃嗣が指を鳴らすと、それはすぐに消え失せた。
少女の腕を掴み、晃嗣は少女を連れて外に出た。昼ならば鮮やかな山のみどりが広がるところだが、今は枝葉の隙間からわずかに星空が透けるばかりの、暗い山の中だった。
晃嗣はしばし気配を探った。闇が凝縮されたようなあの空間の異常はすでに消えていた。
少女は無言で晃嗣の顔をみていた。
「送ろう。家はどこ」
「
少女の言葉に、今度は晃嗣の方が愕いた。少女の視線は晃嗣をまっすぐにとらえている。夜目が利く晃嗣や早彌と同様に、少女にも辺りが見えているのだ。
「
「うん」少女は頷いた。
「君は誰だい」
しんと冷え込んだ山奥で、火斗玉に追われていた少女は「せおり」と名乗った。
「わたしの名は、
「俺か」
晃嗣は迷った。名乗るべきだろうか。名残り雪にみえるものは、古煉瓦に覆われた隧道を包む山肌から冷たい風に吹かれて散る山桜だ。
「晃嗣(あきつぐ)だ」
「それから」
少女の指が上方にも向けられた。
「もう一人、あそこにいるでしょ」
「あれは一歳下の弟の早彌。
少女が黙り込んだ。
「おい」
晃嗣は世織を追いかけた。昨日の雨で湿ったままの細道を世織は全力で下っていく。樹々の根に持ち上げられて所々が割れている細い道は舗装はおろか、欄干すら設置されていない。
「抜身の剣を持ったままで走るな。危ない」
「お巡りさん、変質者です。痴漢が出ました」
「転ぶぞ」
変質者はないだろうと閉口しながら、晃嗣は少女を追いかけた。地獄の底のように風が吹き上げてくる真っ暗な道を少女は迷いなく走っている。
すぐに追いついた。世織は晃嗣の手を払いのけた。息を乱していたが、晃嗣を睨む力はまだあった。
「子銛家は
「そんな説も、確かにあるようだね。でも小銛も志士玉の民だよ」
「裏切者」
子どもらしい捨て台詞を残すと、もう振り返ることなく世織は村に向かって走り去ってしまった。
少女が消えるのを見送ると、晃嗣は崖道を戻った。隧道の前では早彌が待っていた。
「晃嗣。今の子は、どうして火斗玉に追いかけられていたんだろう」
「
「あ、それで」
早彌は、「
「
「こんな夜に百百家の女の子と
「可愛かったよ」
散り桜がまた雨のように落ちてきた。あの様子では、彼女はまだ何も知らないのだ。
「セオリヒメ」
「何か云ったか、晃嗣」
「なんでもない」
晃嗣は肩に積もった桜の花びらを掌で払い落とした。雲に隠れていた白い月が顔を出す。夜間演習中の自衛隊機の影が巨大な鴉のようにふたたび上空を通過する。遠ざかる赤い点を見送りながら、晃嗣は夜の風のなかで呟いた。分かっていることは一つだ。
海の波が寄せてくる。死にゆく間も想い続けたのは、憎くてならない君のことだけだったよ。
》Ⅱ
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