志士玉の媛と山人の皇子

朝吹

◆序

赤い鴉


 戦いは嫌い。わたしの夫は、鉄と馬を持つ大和との戦から帰ってはこなかった。山の向こうの戦場では、すすきヶ原の一面に骨が散り、まるで雪が積もっているようだったと、ずっと後になってきいた。

「セオリヒメ」

 西方の圧力に屈して、新しい夫を葦原あしはらから迎えた。まだ若い山人ヤマトの皇子だ。

 常季輪ときわの地に現れた、二人目の山人ヤマト

赤鉄せきてつ皇子です。贈り届けた飾りを髪につけて吾をお待ち下さっていたとは、嬉しいことです」

 赤鉄皇子の言葉どおり、わたしの黒髪は山葡萄で染めた飾り紐で束ねられていた。葦原の地にも山葡萄があるのだろうか。それとも、山葡萄が群生する集落を、葦原大和がすでに抑えたという誇示だろうか。

「セオリヒメ、これからはわれを兄皇子の代わりとおもって下さい。山人が山から葦原に降りて國を造る前、この弓ノ島には既に、日高見國ひだかみのくにがありました。山人ヤマトの葦原大和と、あなたがた志士玉ししたまの民の日高見國。共存は可能です」

 赤鉄せきてつ皇子は落ち着いており、その顔は自信に満ちていた。

「日高見國には二つの潮流があるとききました。高天原たかまがはらとこの常季輪ときわ。高天原はすでに大和と手を結んでおります。残るはこの常季輪だけです」

 お逃げ下さい、皇子。

 そんな悲鳴が遠くで上がる。赤鉄皇子にはいまのが聴こえただろうか。

「セオリヒメ、大和の皇子である吾をぜひ夫に。ともに手を携えて、この常季輪ときわの地を護っていきましょう」

 わたしは「否」と返答した。赤鉄皇子は愕いた顔をして、それから顔を引き締めた。怒ったのかもしれない。でも、いい。

 どうでもいい。

 銅鏡に映っているわたしの顔。珊瑚や翡翠。剣に漆器。届けられた珍しい宝の山も、わたしにとっては不要なものばかり。 

 黙っていると、赤鉄せきてつ皇子が膝を進めてわたしの肩に手をおいた。誰か教えて。これは正しいことなの。

 外がうるさい。

 皇子に付き従ってきた大和の舎人とねりたちが事態を知って騒いでいるのだ。それにからすの啼き声がまじる。

「あれは」

 赤鉄皇子がようやく不審の眼を居館の外に向けた。掘に柱を立てて地面より高く造られている居館。わたしは立て板をずらして、皇子からも外がよく見えるようにした。不気味な色をした夕空に鴉の群れが舞っている。

 わたしは赤鉄皇子を振り返った。

 鴉は蝙蝠のように飛び交いながら空を覆い尽くしていた。照り映える夕雲の下にある鴉の姿はあかかった。

 暗がりからわたしを見ている赤鉄皇子の半身がぐらりと揺れた。

「騙したな」

 皇子は酒壺や銅鏡を床に払い落し、剣に手をかけた。

志士玉ししたまの民はふたたび吾らを裏切るつもりか。高天原が陥落したいま、常季輪だけで葦原大和に逆らえるとおもうのか」

 外で何が起こっているのか知った赤鉄皇子はわたしの腕を掴んで床に引き倒した。板の間に倒されたわたしは皇子の喉に懐剣を突き付けた。赤鉄皇子が息をのむ。

「裏切るつもりかと訊くのですか。赤鉄皇子」

 では教えてやろう。

 大和やまとがわたしたちを護るのではない。わたしたちが、この地を護るのだ。




》第一章

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