第5話 上演
静かに幕が開く。
光が一筋、舞台を照らすと、そこにはひとりの娘が立っていた。ぼろ布のような服をまとい、膝には擦れた跡。その手は赤く、今にも凍えそうになくらい冷えていた……
彼女はいつも暖炉の側の煤けた場所に追いやられていた。それ故に灰にまみれていて、お尻はいつも灰だらけ。だから、
でも、心は一向に清く、穢はなく、いつも瞳だけは澄んでいて、それはどこか夢の続きを見ているようだった。
「今日も……お掃除、頑張らなくちゃ」
掃き掃除、洗濯、食器洗い。背後から聞こえるのは、つんざくような笑い声。濃く化粧をした義姉たちが、彼女の背中に命令を投げつけている。
「まだ終わってないの? 本当に使えない子ね!」
「お客様がいらっしゃるのよ? その手、灰で汚れてるじゃない!」
笑いと怒号は重なり、彼女の世界が薄暗く染まっていく。でも、彼女は言い返さない。唇を噛んで、ただ黙ってうなずいた。今は亡き母の影を追いかけるように、決して心を穢すことはなかった。
○
その家には、広い屋敷があった。けれど、彼女に与えられた部屋は屋根裏の、埃まみれの一角だけだった。細い窓から差し込む月明かりが、毎夜でも眠れぬ彼女のささくれだった指先を照らすのだ。
静かに針を運びながら、彼女は薄く微笑んでいた。糸の先には、義姉のドレス。レースのほつれを丁寧に繕っている。夜が明け、星が消えていっても、彼女は服を繕い続ける。
翌日、義姉たちは浮かれたようだった。
「今夜は舞踏会なのよ。王子様が妃を選ぶんですって」
「あなたは留守番ね。舞踏会なんて、灰かぶり姫にはふさわしくないわ」
相も変わらず酷い言葉を吐く義姉たちだったが、彼女はニコニコと着付けを手伝った。靴を磨き、髪に櫛を通してあげる。そのたび、鏡に映る義姉たちはどんどんと華やかになっていく。それでも嬉しかった、自分が手を入れたドレスを王子様が見てくれるだなんて……と。
○
(舞台中央に、薄暗い屋根裏部屋。積まれた箱、干からびた花瓶、木の枠の小さな窓。スポットが落ち、少女の影が静かに浮かび上がる)
シンデレラ(モノローグ)
(静かに、針を運びながら)
「わたしはいつも……目立たぬように、誰の邪魔にもならないように……だから、気づいてもらえなくても当然だって、思ってた……」
(衣装を整えながら姉の声)
継姉
「こっちのドレス、まだ縫い目が甘いじゃない! あんた、ほんと使えないわね!」
(シンデレラ、顔を伏せて)
シンデレラ(モノローグ)
「わたしの手で、誰かが綺麗になるなら、それでいいと思ってた。でも……綺麗って、なんだろう。嬉しいって、どんな気持ちだったっけ……?」
(姉たちが舞台袖に消えると、時計の音が鳴り響く。カーン、カーン、カーン。静寂のなか、月明かりが差し込み、風がカーテンを揺らす)
???(低く優しい声)
「おや、泣いてるのかい?」
(奥から杖を持った魔法使いが現れる。妖精のように神々しい。登場と共に、舞台が青白く照らされる)
魔法使い
「君は誰かのために、こんなに優しくなれた。なら、今度は君の番だよ」
(杖が振られるたび、部屋の小道具が変化していく)
効果音:ポンッ、パシャッ、ヒュウゥン……!
(古びたカボチャが舞台奥でせり上がり、金色に輝き始める。ネズミの人形が回転しながら白馬に変わり、壊れた箒が揺れて御者の鞭に)
魔法使い
「これはカボチャの馬車。君を夢へと運ぶ鍵。そして、これは……君の本当の姿だ」
杖を軽く振ると、窓から月光が舞い込み、部屋が淡い光に包まれた。灰色だった服が、ふわりと膨らみ、夜空のような深い青へと変わっていく。肩は透けて、胸元には花の刺繍。スカートの裾には、星のようなビーズがきらきらと瞬いた。
足元には、透き通るガラスの靴。冷たいのに、不思議と温かくて……
(灰色のドレスが青へと変わっていく。布地が舞いながら広がり、星屑がスカートの裾を飾る。ガラスの靴が舞台中央に落ちてくる)
魔法使い
「行きなさい。舞踏会は今夜限り。でも、気をつけて——魔法は、12時を過ぎると消えてしまうの」
(シンデレラ、ゆっくりと顔を上げる。スポットが当たり、その瞳が観客席に向けられる)
シンデレラ
「この夜が終わっても……わたしは、わたしでいられるでしょうか」
(舞台上に馬車のセットが現れ、ライトが煌めく)
魔法使い
「きらめく靴も、きらびやかなドレスも、魔法がくれるわけじゃない。誰かの幸せを願う気持ち、それが本当の美しさなのさ。私は背中を押すだけ」
亡き母から受けっとった愛と重なる。瞳を潤わせて綺麗にお辞儀をする。
シンデレラ
「感謝いたします」
魔法使い
「さあ、お行きなさい。十二時の鐘が鳴る前に」
(シンデレラが乗り込むと、舞台が暗転。そして再び明転、煌びやかな舞踏会のシーンへ)
○
(宮殿の広間。シャンデリアがゆれる。背景には月が輝き、豪奢な音楽が流れる。貴族役の部員たちが踊り、笑い声が飛び交う)
王子
(うんざりしたように)
「誰を選べばいい? 皆、同じ笑顔で、同じキラキラとしたドレス、同じ香水、同じ声……まったく全員同じようだ」
(そのとき、群衆がざわつく。誰かが舞台奥から歩いてくる。青いドレス、長いまつ毛、静かに微笑む少女)
群衆の囁き声
「あれは誰?」「初めて見る顔だわ……」「まるで天使よう……」
シンデレラ
「眩しいわ……ここが舞踏会なのね」
舞踏会の会場は、煌びやかな光に満ちていた。人々の笑い声、弦楽器の音。そして、階段の上から現れた、ひとりの青年。
すらりとした体躯に、深い色の燕尾服。その瞳が彼女を捉えた瞬間、まるで世界が止まったように──
(王子、無言で歩み寄り、そっと手を差し出す)
王子
「あなたは……どうしてそんな目をしているんだろう。夢を見てるみたいで……でも、寂しそうだ」
シンデレラ
「寂しいから、夢を見るのです」
王子
「踊ってくれますか?」
(シンデレラは小さくうなずき、手を伸ばす。足が、音もなく床をすべる。ふたりの影が一つに溶けて、観客席に向かって弧を描くように回る。ふたりは、音楽に合わせて踊りはじめる。バレエのように優雅な回転、引き寄せては離れ、また寄り添う)
ダンスは優雅で、柔らかく、そしてなによりまっすぐだった。彼女の動きに迷いはなく、まるで生まれながらの姫のようだった。でも、彼女は自分が姫ではないことを知っていた。
それでも、王子の目にはただの娘ではなく、誰よりも輝く、この世界の中の一人として、彼女が映っていた。
王子
「この手を離したら、もう会えなくなる気がする。この瞳を、二度と見つけられなくなる気がするんだ……」
誰もがその美しさに息を呑んだ。
けれど、時計の音が、その魔法に終わりを告げる。
(カン、カン、カン……。時計の鐘が鳴り出す。12時)
シンデレラ
「ありがとう……でも、行かなきゃ」
彼女はその手を離れ、裾をつまみ、一目散に舞台の端へと駆けていく。
(走り出すシンデレラ。片方の靴が舞台に残される。王子、叫ぶ)
王子
「待って! 君の名前を——!」
王子の声が響くが、彼女はもう踊り場を駆け抜けていた。靴は月明かりを反射し静かに光る。
(暗転)
○
(照明が戻ると、王子がガラスの靴を手に歩いている)
王子は、ガラスの靴を手に、国中を探し回った。誰の足にも合わない靴。けれど彼はあきらめなかった。どこかに、あの踊った娘がいると、信じていたから。
王子
「もう一度、あの瞳を見たい。ただそれだけなのに」
(そして、最後の屋敷。灰かぶりの娘が舞台端に静かに座っている)
継姉
「この子に合うはずがないわ。ほら、足も汚れてるし」
(しかし、王子は黙って、娘の前に膝をつく。靴をシンデレラの前にそっと差し出す。)
王子
「あなたの瞳を、忘れられなかった」
(ガラスの靴が、ぴたりと足に合う。ざわつく群衆。シンデレラ、立ち上がる)
シンデレラ
「どうして……わたしを選んだの?」
王子
「君が君だったからだよ。仮面の下でも、灰にまみれていても、君は君だった」
(静かに手を取って、そっと寄り添うふたり。スポットが落ちて、音楽が止まる。最後に、シンデレラのモノローグが残る)
シンデレラ(モノローグ)
「夢は終わる。魔法も消える。でも、わたしのなかの「ほんとう」だけは、もう誰にも隠さない——そう思えた夜……」
魔法が解けても、灰をかぶっていても、彼女のなかにあった美しさだけは、誰にも隠せなかった。
こうして、王子と娘は結ばれた。これは、誰かの夢だったかもしれないし、現実だったかもしれない。
けれど、ほんのひとときでも、誰かが誰かをちゃんと見つける——これは、奇跡のような素晴らしい夜のお話。
(幕が、静かに下りる)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます