第四章:森の追跡者とゼノスの登場

アルカディアを後にして、カイル、セレス、ライラの三人は、次の「時の欠片」の反応が示す方向へと進んでいた。ライラの示す古地図と、カイルの時の器が放つ微かな光が、彼らの道標となっていた。しかし、旅は順風満帆ではなかった。クロノスの追手が、彼らの後を執拗に追っていたのだ。

セレスは、常に周囲の気配に警戒を怠らなかった。彼女の幻惑の舞は、追手からの逃走中に何度か彼らの目を欺き、危機を回避するのに役立った。ライラもまた、歴史の守護者の能力を使い、森の中に隠された古い獣道や、追手の痕跡を読み取ることで、彼らを先導した。しかし、クロノスの追手もまた、時間操作の能力に長けており、彼らの追跡術は巧妙だった。

ある日、深い森の奥深くを進んでいた三人は、突然、周囲の空気が重くなったのを感じた。

「来るわ!」

セレスが叫んだ瞬間、木の陰から数人の黒い外套の男たちが現れた。彼らの眼は、獲物を狙う猛獣のように鋭く、カイルたちに狙いを定めていた。

「時の器を渡せ。さもなくば、力ずくで奪う!」

クロノスのリーダーらしき男が、冷たく言い放った。彼は手のひらから、時間を歪ませるかのような不気味な光を放っていた。

カイルは、古き契約の剣を抜き、戦闘態勢に入った。剣は、クロノスの魔力に反応するかのように、微かに振動していた。セレスは、星辰の短剣を構え、ライラは杖を握りしめ、詠唱を始めた。

しかし、クロノスの追手は、想像以上に手強かった。彼らは、時間を一時的に停止させたり、自らの動きを加速させたりする能力を使い、カイルたちを翻弄した。カイルの「時間を見る」能力は、相手の動きを予測するのに役立ったが、同時に複数の時間操作に晒されることで、彼の視界も混乱し始めていた。

セレスの素早い動きも、相手の時の縛鎖によって動きを封じられることがあった。ライラの魔法も、詠唱中に妨害され、なかなか発動できない。カイルは必死に剣を振るうが、数の上でも不利だった。

「くそっ…!」

カイルは、クロノスの男の一人が放った時間操作の攻撃を受け、わずかに動きが鈍った隙を突かれ、地面に膝をついた。その男が、時の器を奪おうとカイルに迫る。

その時、森の奥から、一本の矢が風を切って飛んできた。矢は正確に男の腕を貫き、男は苦痛に顔を歪ませた。

「何者だ!」

クロノスのリーダーが叫ぶ。その声が響く中、森の木々の間に、一人の男の影が姿を現した。彼は、質素な革の鎧を身につけ、背中には大きな長弓を背負っていた。手には、使い込まれた両刃斧を握っている。

その男の顔は、経験に裏打ちされた深い皺が刻まれており、その眼差しは、森の獣のように鋭く、それでいて静かだった。彼は、何も言わずに、ゆっくりとカイルたちの前に立ち塞がった。

「…狩人?」

セレスが呟いた。その男は、間違いなく旅の途中で噂に聞いた、腕利きの**孤高の狩人「ゼノス」**だった。

ゼノスは、斧を構えると、クロノスの男たちを睨みつけた。彼の全身から放たれる、研ぎ澄まされた集中力と、荒々しい自然の力が、あたりを圧していた。

「ここから先は、俺の狩り場だ。無用の争いはやめろ」

ゼノスの声は、低く、威圧的だった。クロノスの男たちは、彼のただならぬ気配に、一瞬、怯んだように見えた。

しかし、リーダーはすぐに冷静さを取り戻し、ゼノスに攻撃を仕掛けた。時間を歪ませる魔法が、ゼノスへと向かって放たれる。だが、ゼノスはそれを冷静に見切り、斧を振るって魔法を払いのけた。彼の動きは、見た目には素早くないが、寸分の狂いもなく、まるで相手の攻撃の「未来」を読んでいるかのようだった。

そして、ゼノスは動いた。彼は、おもむろに背中の長弓に手を伸ばし、矢を番えた。そして、ゆっくりと弓を引き絞る。彼の追跡者の眼が、クロノスの男たちを正確に捉えていた。

その瞬間、カイルにはゼノスの周りの空気が、僅かに揺らいだように見えた。ゼノスの瞳の奥に、極限まで研ぎ澄まされた集中力が宿る。

「バレットタイム…」

ゼノスは、そう呟いたかのように見えた。彼の周りの時間の流れが、カイルの目にはっきりと緩やかになった。クロノスの男たちが、彼に向かって一斉に飛びかかってくる。しかし、ゼノスには、その全ての動きが、まるで止まっているかのように見えた。

ゼノスは、矢を放った。一本、また一本と、放たれた矢は、まるで吸い込まれるかのように、正確にクロノスの男たちの弱点を射抜いていく。彼らは、自分たちの動きが遅くなっていることに気づき、困惑した表情を浮かべた。時間操作の魔法を使う彼らが、逆に時間を操られているかのような感覚に陥っていた。

あっという間に、数人のクロノスの男たちが倒れた。残りの男たちは、ゼノスの圧倒的な力に恐れをなし、退散していった。

ゼノスは、弓を下ろし、ゆっくりとカイルたちの方を振り返った。彼の表情には、疲労の色が微かに見えたが、その瞳の輝きは変わっていなかった。

「助かった…ありがとう」

カイルが礼を言うと、ゼノスは無言で頷いた。彼の視線は、カイルが持つ時の器に、一瞬だけ向けられたように見えた。

「なぜ、俺たちを助けてくれたんだ?」

セレスが警戒しながら尋ねた。ゼノスは、無愛想に答えた。

「この森は、俺の狩り場だ。無許可で騒ぎを起こす奴は、放っておけない」

しかし、彼の言葉の裏には、それ以上の意味が隠されているように感じられた。ゼノスが持つ両刃斧には、古めかしい紋様が刻まれており、それはどこか、時の神殿の壁画に描かれていたものと似ているように見えた。カイルの右目が、ゼノスが持つ斧に一瞬、青白い光の残像を捉えた気がした。

ライラは、ゼノスの姿を見つめながら、何かを思案していた。彼女の歴史の守護者の能力が、ゼノスの過去の断片を読み取ろうとしているのかもしれない。

「あなたも…時の欠片に関わっているのか?」

ライラが恐る恐る尋ねると、ゼノスの表情が微かに曇った。彼は何も答えず、ただ遠くの森の奥を見つめていた。その沈黙は、彼が抱える深い過去を示唆しているようだった。

「俺は、ある獲物を追っているだけだ。お前たちとは関係ない」

ゼノスはそう言い放つと、再び森の中へと足を踏み入れようとした。だが、カイルは彼を呼び止めた。

「待ってくれ!俺たちは、時の欠片と、時の神殿の真実を探している。君の力が必要だ」

ゼノスは、カイルの言葉に足を止めた。そして、ゆっくりと振り返り、カイルの目を見据えた。彼の瞳の奥に、一瞬、複雑な感情が揺らめいた。

「…俺には、関わる理由がない」

そう言いながらも、ゼノスの視線は、カイルが持つ時の器に再び向けられていた。その「時の器」が、彼が追う「獲物」と関係があるのか、あるいは彼自身の過去と繋がっているのか。ゼノスの心の中では、葛藤が渦巻いているようだった。

セレスは、ゼノスに一歩近づき、彼の目を見つめた。

「あなたの『獲物』が、この旅の終わりに、見つかるかもしれないわよ。クロノスは、ただの追手じゃない。彼らは、世界を変えようとしている。あなたの狩りのルールも、彼らによって破られるかもしれないわ」

セレスの言葉に、ゼノスは沈黙した。彼は、狩人としての誇りと、目の前の真実との間で揺れ動いているようだった。

やがて、ゼノスは重々しく口を開いた。

「…一つだけ、条件がある。俺が追う獲物が見つかった時、お前たちは口出ししないと誓え」

カイルは、ゼノスの言葉に、ためらうことなく頷いた。

「ああ、誓う!」

ゼノスは、小さくため息をつくと、彼らに背を向けた。

「ついて来い。だが、足手まといになるようなら、置いていく」

こうして、孤高の狩人ゼノスは、新たな仲間として、カイルたちの旅に加わることになった。彼のバレットタイムという能力が、単なる技術ではなく、彼自身の秘められた過去と「時の欠片」の影響を示唆していることを、カイルたちはまだ知る由もなかった。彼らの旅は、さらなる深みへと進んでいく。

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