第7話:『神官よ、死者を蘇らせてどうする』

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白亜の宗教都市サンクトゥスを後にして、俺たちの旅は、もはや統率という概念がビッグバン以前に消滅した、カオスそのものと化していた。


人数が増えれば旅は楽になる、などと誰が言ったのか。

俺たちの場合、人数とトラブルの発生率は、綺麗に正比例していた。


「聖勇者様! 本日の女神講座のお時間です!」

「本日のテーマは『女神様と豆料理の意外な関係』について!」

「ご存知ですか、女神様は、豆を三日三晩、聖水に浸したものを食することで、その神通力を維持しておられるのです!」


「は、はあ……」


俺の右側には、敬虔すぎて完全にズレているクルセイダー、アンジェラがいた。

馬に乗りながらも常に半身で俺の方を向き、キラキラした瞳で、もはやファンタジーの領域に突入した女神教の教義を説いてくる。

その熱意は本物なのだが、内容がぶっ飛びすぎていて、もはや相槌を打つことしかできない。


「師匠の右側は、私が護衛するのです! 離れなさい、筋肉ダルマのクルセイダー!」

「なんですって! 聖勇者様のお側に侍るのは、女神様の教えを正しく(?)理解する、この私こそが相相応しいのです!」

「貴女のような、魔力を暴発させるだけの危険物はお下がりなさい!」


俺の左側では、セレスティアとアンジェラが、俺の隣ポジションを巡って、熾烈な口論を繰り広げている。


「そもそも、ユウキの隣は、一番の古株のあたしのだから!」

「いえ、ユウキの背後を守るのは、斥候(シーフ)である私の役目です!」

「そもそも、ユウキの所有権は……」


そこに、サラとリナまで参戦し、事態は収拾不能な状態に陥っていた。

俺は、その中心で、ただただ遠い目をしていた。


街道の風景は、聖地の瑞々しい緑から、赤茶けた岩肌が目立つ、乾燥した荒野へと変わっていた。

乾いた風が吹き抜け、土埃の匂いが常に鼻をつく。

そんな殺風景な旅路も、この喧騒の前では些細なことだった。


ソフィアは、そんなカオスな一行から、いつも通り少しだけ距離を置いて歩いていた。

その完璧な微笑みは健在だが、その瞳の奥に宿る光は、明らかに以前とは違う、複雑な色合いを帯び始めていた。

彼女の嫉妬は、もはや無意識の小奇跡(いたずら)の段階を卒業し、より巧妙で、より意図的な「妨害工作」へと進化していたのだ。


例えば、サラが、手ずから作ったというサンドイッチを、「ユウキ、これ、食うか?」と俺に渡そうとした、その時だった。


ヒュン、と風を切る音と共に、どこからともなく一羽のハヤブサが急降下し、サラの手からサンドイッチだけを、見事に掻っ攫って飛び去っていったのだ。


「あーっ! 私のサンドイッチがーっ!」


呆然と空を見上げるサラ。

その隣で、ソフィアは「あらあら、お可哀想に。お腹を空かせた鳥がいたのですね」と、完璧な淑女の笑みで呟いた。

だが、その瞳の奥は、全く笑っていなかった。


またある時は、セレスティアが、「師匠! 今度こそ、完璧な補助魔法をお見せします! 師匠の身体能力を飛躍的に向上させる『ヘイスト』です!」と、俺に向かって杖を構えた。


「は、は、はっくしょん!」


セレスティアは、ありえないタイミングで、盛大なくしゃみをした。

その衝撃で、杖が手からすっぽ抜け、明後日の方向に飛んでいき、近くのサボテンに突き刺さった。


「あわわわ……私の杖が……」


「おや、埃っぽいせいでしょうか。お大事に、セレスティアさん」


ソフィアは、心底心配しているかのような表情で、ハンカチを差し出した。

だが、その行動は、セレスティアの魔法を未然に防ぎ、彼女がユウキに「貢献」する機会を、完璧に潰していた。


彼女の妨害は、あまりにも自然で、あまりにも巧妙だった。

誰もがそれを「不運な偶然」としか思わない。

ソフィア自身も、これはあくまで「ユウキの旅の安全を確保するための、当然の配慮」なのだと、自分自身に言い聞かせていた。

ユウキにまとわりつく、鬱陶しい虫を、事前に排除しているだけなのだ、と。


その行為が、女神としてあるまじき「嫉妬」から来るものだと、彼女はまだ、認めたくなかった。



荒野の旅を続けること数日。

俺たちは、地図に記された、寂れた鉱山の村「ダストピット」に到着した。


その村は、その名の通り、まるで世界から色を失ってしまったかのような場所だった。


白亜の聖地サンクトゥスとは、何もかもが対照的だった。

建物は、すべてがくすんだ灰色の木材でできており、屋根には分厚い粉塵が降り積もっている。

常に乾いた風が吹き荒れ、地面から舞い上がった灰色の土埃が、村全体を覆っていた。


道行く人々の顔にも、活気はない。

皆、疲労と、諦念の色を濃くにじませ、俯きがちに歩いている。

村の唯一の酒場に入っても、客はまばらで、聞こえてくるのは、荒い咳払いと、ため息ばかり。

希望という言葉が、この村の辞書からは削除されてしまったかのようだった。


村の長老から話を聞くと、この村の唯一の収入源であった鉄鉱山が、数週間前からアンデッドが大量発生したせいで、閉鎖に追い込まれているのだという。

ギルドに正式な討伐依頼を出す金もなく、村は、ただゆっくりと死を待つだけの状態だった。


「……依頼、受けましょう」


俺は、長老の皺だらけの手を握っていた。

報酬は、村に残されたなけなしの食料だけ。

割に合う仕事ではない。

だが、この村を見捨てることは、俺にはできなかった。


「聖勇者様! なんと慈悲深きご決断! これぞ、女神様の御心に適う、聖なる戦い! 聖戦(ジハード)です!」


アンジェラだけが、一人で目を輝かせ、拳を天に突き上げている。


他のメンバーは、「まあ、ユウキが決めたんなら、仕方ねえか」といった顔で、やれやれと肩をすくめていた。



問題の廃鉱は、村から少し離れた、岩山の麓に、ぽっかりと口を開けていた。


入り口に立つだけで、ひんやりとした湿った空気が、まるで死者の吐息のように流れ出してくる。

カビの匂いと、錆びた鉄の匂いが混じり合った、不快な臭気。

そして、闇の奥からは、ううう……、とか、カシャ、カシャ……とか、聞きたくない効果音のオンパレードだ。


「……よし、行くか」


俺の合図で、一行は、松明の明かりを頼りに、その暗黒の迷宮へと足を踏み入れた。


坑道の中は、まさに悪夢のような光景だった。


壁からは、常にじっとりと水が染み出し、足元はぬかるんでいる。

天井からは、鍾乳洞のように、不気味な形の鉱物が垂れ下がり、松明の光を鈍く反射していた。


そして、現れた。

アンデッドの群れだ。


腐りかけた肉を引きずりながら歩くゾンビ。

骨をきしませながら、錆びたツルハシを振りかざすスケルトン。

その数が、尋常ではなかった。


「うおおお! 俺に続け!」


先陣を切って、サラが突撃した。

しかし、彼女は、三歩進んだところで、右と左の坑道の分かれ道を見て、完全にフリーズした。


「ど、どっちだ!? こっちか! いや、あっちか!?」


見事に、その場で迷子になっていた。


「どきな、嬢ちゃん! こいつらは、俺の剣の錆にしてやるぜ!」


ジンが、サラを追い越し、スケルトンの一団に斬りかかった。

しかし、ぬかるんだ地面に足を取られ、派手な音を立ててすっ転んだ。


「ぐはっ!」


「皆さん、お下がりください! ここは、私の魔法で!」


セレスティアが、杖を構えた。


「闇を払う聖なる光よ、我らの道を照らしたまえ! 『ライト(灯り)』!」


彼女がそう叫んだ瞬間、仲間たちが身につけている鎧や武器が、太陽のように、まばゆい光を放ち始めた。

ピカーッ!


「「「目が、目がああああああ!」」」


敵も味方も、全員が、強烈な光に目を眩まされ、行動不能に陥った。


「女神の光よ! 邪悪を打ち滅ぼせ!」


アンジェラだけが、気合で視力を回復させ、ウォーハンマーを振り回した。

しかし、その一撃は、アンデッドではなく、坑道の天井を支える柱にクリーンヒットした。


ガラガラガラッ!


天井から、大量の岩石が降り注いでくる。

落盤だ。


もはや、戦闘どころではない。

ただの、集団自滅だ。


「あああああ! もう、めちゃくちゃだぁぁぁぁ!」


俺たちが、アンデッドの群れと、仲間たちが引き起こした二次災害に囲まれ、絶体絶命のピンチに陥った、その時だった。



「あらあら、お困りのようですね」


坑道の、さらに奥の闇から、おっとりとした、優しげな声が聞こえた。


松明の光の中に、ふわりと姿を現したのは、一人の、清純そうな神官僧侶の少女だった。

汚れ一つない純白の僧衣に、腰まである、柔らかな栗色の髪。

その瞳は、困っている人を見過ごせない、心優しさに満ちていた。


「アンデッドの皆さん、かわいそうに……。」

「安らかな眠りにつけるように、私が、お手伝いしますね」


彼女は、アンデッドたちを前にしても、全く臆した様子もなく、慈愛に満ちた表情で、胸の前で静かに祈りを捧げ始めた。


その姿は、まさしく聖女そのもの。

仲間たちも、「助かった……」と安堵の息を漏らした。


神官僧侶――マリアは、その澄んだ声で、祈りの言葉を紡ぎ始めた。


「おお、聖なる光よ。」

「永劫の闇を彷徨う、哀れな魂に、安らぎの眠りを与えたまえ……。」

「そして、その朽ち果てた肉体に、再び、温かな命の息吹を!」


……ん?


今、なんか、最後の一文、おかしくなかったか?


マリアは、その祈りの総仕上げとばかりに、両手を天に掲げ、高らかに宣言した。


「『リザレクション(完全蘇生)』!」


ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!


坑道全体が、凄まじい神聖な光に包まれた。


だが、その光は、アンデッドたちを浄化し、消滅させるものではなかった。


むしろ、逆だった。


光を浴びたゾンビたちの、腐りかけた肉が、みるみるうちに盛り上がり、生前を遥かに凌ぐ、ムキムキの筋肉へと変わっていく。

スケルトンたちの骨は、ミスリルのように白く輝き始め、その眼窩には、知性の光が宿り始めた。


「「「「グオオオオオオオオオ!(なんか、知らんけど、すっげえ、パワーアップしたアアアアア!)」」」」


アンデッドたちは、浄化されるどころか、生前の筋力、生命力、そして知能までをも取り戻し、より強力で、より凶悪な、「スーパーアンデッド」として、その場に完全復活を遂げてしまったのだ。


筋肉モリモリのマッチョゾンビが、ポージングを決めている。

スケルトンナイトは、錆びていた剣を捨て、近くに落ちていた新品同様の剣を拾い上げ、華麗な剣術の型を披露し始めた。


そして、なぜか、パワーアップさせてくれた恩人とばかりに、スーパーアンデッドたちは、マリアを担ぎ上げ、ワッショイワッショイと、歓喜の胴上げを始めた。


「あわわわわわわ、またやっちゃいました~! ごめんなさ~い!」


胴上げされながら、マリアは、頭を抱えて、大声で泣き出した。


このアンデッド騒動の、すべての元凶は、この、うっかり神官、マリアだったのである。



「……もう、どうにでもなれええええええ!」


スーパーアンデッド軍団に囲まれ、今度こそ本当に万事休すかと思われた、その時。

俺は、ヤケクソで、女神様謹製の聖剣を、力任せに振り回した。


その一振りは、聖なる光の津波となり、坑道全体を洗い流した。

光に飲み込まれたスーパーアンデッドたちは、今度こそ「ありがとう、マッチョになれて、俺は幸せだった……」的な断末魔を残し、塵となって消えていった。


戦いが終わり、村に戻った俺たち。

しかし、村人たちは、騒動の元凶であるマリアを、許しはしなかった。


「この疫病神め!」

「お前のせいで、被害が拡大したんだぞ!」

「出ていけ!」


村人たちから石を投げられ、マリアは、ただただ、その場にうずくまって泣いていた。


その姿を見て、俺は、もう、居ても立ってもいられなかった。


俺は、彼女の前に立ち、その小さな背中をかばった。

そして、いつもの、お人好しが、口をついて出た。


「じゃあ、俺たちと一緒に来いよ!」


俺は、泣きじゃくるマリアに、優しく、手を差し伸べた。


「あんたの力、きっと何かの役には立つって。大丈夫、俺がなんとかするから」


その、瞬間だった。


「お待ち、ユウキ」


凛とした、しかし、氷のように冷たい声が、俺の言葉を遮った。

声の主は、ソフィアだった。


彼女が、俺とマリアの間に、静かに、しかし、毅然として立ちはだかった。


その美しい顔からは、いつも浮かべていた、完璧な微笑みが、綺麗さっぱり消え去っていた。

その深く澄んだ青い瞳は、何の感情も映さず、ただ、氷のように冷たく、マリアを射抜いている。


それは、俺が初めて見る、女神ソフィアの姿だった。


「その方は、神官でありながら、アンデッドを意図せず強化してしまうという、致命的な欠陥をお持ちです」


ソフィアは、淡々と、しかし、否定の響きを込めて言った。


「はっきり申し上げて、私たちの旅の、足手まといになるだけではありませんか?」


その言葉には、これまでの彼女からは想像もできないほど、冷たく、刺々しい響きがあった。

それは、冷静な判断などではない。

明確な「拒絶」。

これ以上、ユウキの周りに、女が増えることに対する、剥き出しの「反対」の意思表示。


坑道内とは違う、ピリついた、凍てつくような空気が、その場を支配した。


ジンも、サラも、セレスティアも、アンジェラも、リナも、誰もが、息を呑んで、俺とソフィアを見つめている。


俺と、俺が絶対の信頼を寄せる女神との間に、初めて生まれた、明確な意見の対立。


物語が、ただのドタバタコメディではいられない、シリアスな緊張感を帯び始めた、瞬間だった。

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