第6話:『クルセイダーは女神を前にして、女神を語る』

***


水の都アクアリアの優雅な喧騒を後にして、俺たちの旅は西へと続いていた。


もはや「パーティ」というよりは、さながら移動サーカスの一座である。


その奇妙で騒々しい一団は、街道を行く他の旅人たちから、好奇と畏怖(主に呆れ)の入り混じった視線を一身に浴びていた。


「師匠(マスター)! ご覧ください!」

「今度こそ、完璧な魔力制御をお見せします!」

「すべてを凍てつかせる絶対零度の棺! 『アイス・コフィン』!」


「やめろセレスティアーっ!」

「あんたがそれをやると、俺たちの食料が永久氷漬けになるんだよ!」

「前回は街道がスケートリンクになったばかりだろうが!」


大魔法をぶっ放そうとするセレスティアを、ジンとサラとゴードンが三人がかりで羽交い締めにして止める。

リックは、その後ろで胃を押さえて青い顔をしていた。


「ユウキの水筒は、わ、私が持つ!」

「いえ、師匠の荷物持ちは、弟子である私の当然の務めです!」

「そもそも、ユウキの隣を歩く権利は、最初からパーティにいた私にある!」


俺の左右では、リナ、セレスティア、そしてなぜかサラが、俺の所持品や隣のポジションを巡って、水面下でバチバチと火花を散らしている。


俺は、その中心で「あはは……」と乾いた笑いを浮かべることしかできない。


俺たちの一行が進む街道の風景は、アクアリア周辺の瑞々しい緑の丘陵地帯から、少しずつ乾いた空気を帯びた、広大な平原へと姿を変えていた。


空はどこまでも高く、夏らしい積乱雲が、まるで巨大な綿菓子のように浮かんでいる。


道端には、巡礼者たちが建てたのであろう、女神像を祀る小さな石の祠が、等間隔に点在していた。


そんなカオスな状況の中、ただ一人、ソフィアだけが、いつもと変わらぬ優雅さで、少し離れた場所を歩いていた。


その完璧な微笑みは、もはや鉄壁の城壁のようだ。


だが、その行動には、ここ数日で、明らかな変化が見られた。


サラが、俺に剣の稽古について相談しようと、熱っぽく話しかけてきた時だった。


「ユウキ、さっきのジンの太刀筋だが、あれを避けるには……」


「ユウキ」


サラの言葉を遮るように、凛としたソフィアの声が響いた。


「少し、よろしいですか? この先の地図の確認をお願いしたいのですが」


「あ、はい! 今行きます!」


俺がソフィアの元へ駆け寄ると、彼女は地図を広げ、ごく自然に俺を自分の隣に立たせた。


その間、サラは話の腰を折られ、少し不満げな顔でこちらを見ている。


またある時は、セレスティアが「師匠! 私の新しいローブ、見てください! 師匠のお好きな青色にしてみました!」と、やけに体のラインを強調するデザインの服を見せびらかしに来た時。


「ユウキ」


またしても、絶妙なタイミングでソフィアの声がかかる。


「そこの崖は、足場が脆く危険です。私のそばを、あまり離れないように」


「は、はい! すみません!」


俺は、ソフィアの隣へと、すごすごと戻っていく。


彼女の言うことは、すべてが完璧な正論であり、俺への気遣いに満ちている。

だから、俺はそれに何の疑問も抱かない。


その完璧な正論と善意の裏で、ユウキと他の女性との間に、巧妙な「壁」が築かれていることに、このパーティの誰も、そしてソフィア自身すら、まだ明確には気づいていなかった。


彼女はただ、自分のパートナーが、他の些末なことに気を取られて危険な目に遭わないように、保護者として当然の務めを果たしているだけだ、と。


そう、自分に言い聞かせていた。



数日後、俺たちの目の前に、白い、巨大な都市が現れた。


その光景は、これまで見てきたどの街とも、全く異質だった。


城壁も、建物も、道も、すべてが磨き上げられた純白の大理石で出来ている。


街全体が、まるで巨大な一つの彫刻作品のようだ。


街の中心には、天を衝くかのような尖塔を持つ、壮麗な大聖堂がそびえ立ち、その鐘の音が、ゴォーン……ゴォーン……と、厳かに、しかしどこまでも優しく響き渡っていた。


行き交う人々は、豪華な鎧を着た騎士や、派手な服装の商人は少なく、質素な巡礼者のローブをまとった者がほとんどだ。


彼らの表情は、皆一様に穏やかで、その目には深い信仰の色が宿っている。


空気は、どこまでも澄み切り、大聖堂から流れてくる聖歌隊の歌声と、街の至る所で焚かれている聖なる香の匂いが、心を洗い清めるかのように、あたりを満たしていた。


「ここが……宗教都市サンクトゥス……」

リナが、ゴクリと唾を飲む。


「女神教の総本山。俺たちみたいな荒くれ者が来るところじゃねえな……」

ジンも、さすがにいつもの軽薄な態度は鳴りを潜め、神妙な顔つきをしていた。


この街全体が、俺の隣にいる女神、ソフィアを信仰する「女神教」の聖地なのだ。


もちろん、その事実を知っているのは、俺だけ。


ソフィア自身は、どこか懐かしそうに、しかし特に感慨もない様子で、自分の「信者たちの街」を眺めていた。


俺たちが、大聖堂へと続く中央広場に差し掛かった時、市場の一角で、何やら騒動が起こっていた。


人だかりの中心にいたのは、一人の、美しいクルセイダーだった。


陽光を浴びて白銀に輝く、流麗なデザインの全身鎧。


風に流れる髪は、澄み切った川の流れのような、美しいアクアブルー。


そして、その瞳には、いかなる不正も見逃さないという、強い正義の光が宿っていた。


非の打ち所のない、聖騎士という言葉を体現したかのような女性だ。


彼女は、高価な絹の服を着た、悪徳商人らしき男を、厳しい口調で断罪していた。


「神聖なるこの聖地で、巡礼者から法外な値段で粗悪品を売りつけるとは、言語道断!」

「その罪、女神ソフィア様への冒涜に値します!」


「ひ、ひぃぃ! お許しを! アンジェラ様!」


「問答無用!」

「神々の御前で、その汚れた魂を洗い清め、己の罪を心から悔い改めるのです!」


クルセイダー――アンジェラは、そう叫ぶと、右手に持った巨大なウォーハンマーを、天に突き上げた。


「いざ、神罰の鉄槌を! 『神罰・垂直上昇(ジャッジメント・ライズ)』!」


次の瞬間、アンジェラは、そのウォーハンマーを、地面に向かって振り下ろした。


ゴッ! という音と共に、衝撃波が地面を走り、悪徳商人の足元の石畳だけが、まるで火山が噴火するかのように、猛烈な勢いで天高く突き上がった。


「ぎゃあああああああああああああああああ!?」


悪徳商人は、断末魔の悲鳴を上げながら、空の彼方へと打ち上げられていく。

そして、放物線を描いて、遥か彼方へと落下していった。


……よく見ると、落下地点には、都合よく干し草を山積みにした荷馬車が停まっている。

どうやら、命までは取る気はないらしい。


「ふぅ。また一つ、聖地の穢れを浄化しました」

涼しい顔でハンマーを肩に担ぎ直すアンジェラ。


その正義感は本物なのだろうが、やり方が、あまりにも物理的で、どこか、致命的にズレていた。



騒動を収めたアンジェラが、ふと、俺たちの存在に気づいた。


そして、彼女の視線が、俺――正確には、俺が背負う女神様謹製の聖剣に注がれた瞬間、その表情が、劇的に変化した。


彼女の大きく見開かれた瞳が、信じられないものを見るかのように、俺と、俺の剣を交互に見つめている。


(な、なんという……!)

(この、微かでありながら、間違いなく聖剣から放たれる、清浄な波動……!)

(そして、この方自身から滲み出る、人知を超えたオーラ……!)

(まるで、歩く奇跡そのもの……!)


アンジェラの脳裏に、女神教に古くから伝わる、一つの預言が雷のように閃いた。


――聖地に最大の危機が訪れる時、女神の使徒たる『聖勇者』が現れる。

彼は、星の輝きを宿した剣を携え、森羅万象を味方につけ、あらゆる邪悪を滅するであろう――


「ま、まさか……! この方こそ、預言に伝えられし……!」


アンジェラの体が、わなわなと震え始めた。


そして、彼女は、俺の前に駆け寄ると、その場で恭しく、片膝をついた。

その動きは、騎士の礼法に則った、完璧なものだった。


「おお……! 聖勇者様!」

「この日を、このアンジェラ・アークライト、どれほど待ち望んだことか!」

「ようやく、お会いできました……!」


「…………はい?」


俺は、完全に思考が停止した。


俺の周りにいた仲間たちも、全員が「ポカーン」という顔で、この突拍子もない展開を見守っている。


「聖勇者様!」

「私は、女神教クルセイダー部隊の隊長、アンジェラと申します!」

「この命、今日この時より、貴方様に捧げます!」

「どうか、この私を、貴方様の忠実なる剣として、お側に置いてください!」


一方的に、忠誠を誓ってくるアンジェラ。

俺は、もはや「えっと」「あの」としか言えない。


そして、アンジェラは、俺の隣に立つソフィアを一瞥した。

ソフィアのあまりの美しさに、一瞬だけ息を呑んだようだったが、すぐに彼女を「聖勇者様の従者か、あるいは信徒の一人」だと判断したようだった。


そして、同志を見つけたと思ったのか、満面の笑みで、ソフィアに向かって語りかけ始めた。


「聖勇者様。そして、そちらの敬虔なる信徒の方」

「貴方様方も、我らが敬愛する、慈悲深き女神ソフィア様の教えを広めるために、この地を訪れたのですね!」

「素晴らしい! なんと素晴らしい信仰心でしょう!」


そして、ここから、アンジェラの、熱く、情熱的で、しかし、絶妙にズレている女神講座が、高らかに開幕したのだった。


「ご存知ですか!?」

「我らが女神ソフィア様は、清く、正しく、そして何よりも! カリカリに焼いたパンをこよなく愛するお方なのです!」

「ゆえに、我ら信徒は、毎朝の祈りの前に、女神様への感謝を込めて、三枚のトーストを捧げるのが、務めとされております!」


(…………パンは、別に好きでも嫌いでもありませんが……)

本物の女神は、心の中で、静かにツッコミを入れた。


「そして! 女神様が最もお好みになる色は、悪しき者を焼き尽くす、情熱の赤!」

「そう、この私の髪の色のような!」

「ゆえに、我らクルセイダーは、女神様への揺ぎなき忠誠の証として、皆、燃えるような赤い下着を身につけているのです!」

「さあ、そちらの信徒の方も、ご一緒に!」


(…………赤は、どちらかというと、少し目がチカチカするので苦手な色なのですが……)

本物の女神は、少しだけ、顔を引きつらせた。


「さらに! 女神様は、三日月に照らされる夜、こっそりと天から地上に降り立ち、日々の勤めに励む健気な信徒の靴下の中に、こっそりと甘いお菓子を入れてくださるという、大変お茶目な一面もお持ちなのです!」

「なんと、なんと心優しきお方でしょう!」


(…………それは、どこの世界の、どの神様の逸話と混ざっているのですか……)

本物の女神は、もはや、ツッコミを入れる気力すら、失いかけていた。


アンジェラは、キラキラとした瞳で、本物の女神を前にして、女神について、延々と熱弁をふるい続けている。


俺は、助けを求めるように仲間たちを見たが、ジンは腹を抱えて笑いをこらえるのに必死だし、サラとセレスティアは「またヤバいのが増えた……」という顔で遠い目をしている。


リナに至っては、アンジェラの鎧に興味津々で、こっそり触ろうとしていた。


誰も、助けてはくれない。



俺が、このカオスな状況をどう収拾しようかと頭を悩ませている間、隣に立つソフィアの心境は、複雑な変化を遂げていた。


最初は、自分のことを、自分自身を前にして熱く語るアンジェラに、ただただ困惑していた。

そして、その語られる内容の、あまりのズレっぷりに、呆れ果てていた。


(私のイメージは、一体どうなっているのですか……)


しかし。


アンジェラの語りは、どこまでも真剣で、その瞳には、一点の曇りもない、純粋で、ひたむきな信仰の光が宿っていた。


嘘や、欺瞞は、そこには一切ない。

ただ、女神ソフィアという存在を、心の底から敬愛していることだけは、痛いほどに伝わってきた。


その、あまりにもまっすぐな想いに触れているうちに、ソフィアの心の中の、呆れや困惑といった感情が、次第に毒気を抜かれるように、薄らいでいった。


(……まあ、私に対する解釈は、だいぶ、いえ、根本的に間違っていますが……)

(……それでも、この人間が、私をこれほどまでに強く想ってくれているのは、決して、悪い気は……しませんね……)


むしろ、なんだか、その一生懸命さが、少し可愛く見えてきた。


自分の知らないところで、自分の逸話が、こんなにも面白おかしく(本人は大真面目だが)創作されている。


それは、悠久の時を生きてきた彼女にとって、初めての、そして非常に新鮮な体験だった。


そして、アンジェラが、その熱弁のクライマックスとばかりに、天を仰ぎ、高らかに叫んだ。


「おお、我らが女神ソフィア様! なんと偉大で! なんと慈悲深く! そして、なんとパン想いのお方か!」


その時だった。


ソフィアは、ほんの少しだけ、くいっと胸を張った。


そして、その完璧な唇の端に、微かな、しかし確かな笑みを浮かべ、まるで「えっへん」とでも言うかのように、わずかに得意げな表情を、一瞬だけ、見せたのだ。


その、ほんの一瞬の、人間味あふれる、最高に愛らしい表情の変化を、俺、佐藤ユウキは見逃さなかった。


ドクン、と心臓が、また大きく跳ねる。


いつも完璧で、冷静で、慈愛に満ちた女神様が見せた、ほんの少しのドヤ顔。


そのギャップに、俺の心は、またしても、完全に鷲掴みにされてしまったのだった。


(うわあああああ、今のソフィアさん、めちゃくちゃ可愛い……!)


こうして、敬虔で、美人で、腕も立つが、致命的なまでにズレているクルセイダー、アンジェラが、俺たちの仲間に(強引に)加わった。


パーティのカオス度は、もはや計測不能の領域に達した。


ソフィアは、ユウキの周りに、またしても女性が増えたことに、一抹の、いや、かなりの不安を感じていた。


だが同時に、自分を熱烈に崇拝する、忠実なる(しかしズレている)信者が常にそばにいるという状況は、彼女の心を、少しだけ、くすぐったい優越感で満たしてもいた。


「……貴方は、本当に……」


ソフィアは、俺を見て、小さくため息をついた。


「面白い人間と、実に面白い信者を引き寄せる、特別な才能をお持ちのようですね」


その言葉には、呆れと、困惑と、そしてほんの少しの、機嫌の良さが混じり合っていた。


女神様の心は、ますます複雑に、そして豊かに、色づき始めていた。


そのすぐ隣で、新たな嵐が巻き起ころうとしていることなど、まだ誰も知らずに。

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