第9話:心(こころ)が打(う)ち鳴(な)る、パレードの鼓動(こどう)

スパチャラサイ競技場(きょうぎじょう)に響(ひび)く太鼓(たいこ)の音(おと)。

炎天下(えんてんか)の夏(なつ)、人々(ひとびと)は通(とお)りを埋(う)め尽(つ)くし、チュラロンコン大学(だいがく)とタマサート大学(だいがく)の伝統(でんとう)対抗戦(たいこうせん)のパレードを待(ま)っていた。

 

その列(れつ)の先頭(せんとう)に立(た)つのは、ピンクと白(しろ)のタイ風(ふう)ドラムメジャーの衣装(いしょう)を身(み)にまとったカナ。

髪(かみ)は美(うつく)しく編(あ)み上(あ)げられ、胸元(むなもと)に杖(つえ)を抱(かか)えて立(た)つ姿(すがた)は、まるでパレードの中(なか)の王女(おうじょ)そのものだった。

 

歓声(かんせい)が競技場(きょうぎじょう)にこだまする。

チュラ側(がわ)のパレードが動(うご)き始(はじ)めた。

 

── スタンド裏(うら)、もう一方(いっぽう)の風景(ふうけい)

ティーは大(おお)きな配達(はいたつ)バッグと十数(じゅうすう)個(こ)の飲(の)み物(もの)の袋(ふくろ)を抱(かか)えていた。

汗(あせ)だくでスタンドの裏手(うらて)をうろうろしながら、ぼやく。

 

「注文(ちゅうもん)多(おお)すぎだろ、これ…」

 

そのとき、周囲(しゅうい)から歓声(かんせい)が上(あ)がり、思(おも)わず顔(かお)を上(あ)げたティー。

 

彼(かれ)が見(み)たのは──

 

キラキラと輝(かがや)くカナの姿(すがた)。

銀色(ぎんいろ)の杖(つえ)を持(も)ち、淡(あわ)いピンクの飾(かざ)りが風(かぜ)に揺(ゆ)れ、天女(てんにょ)のように優雅(ゆうが)に歩(ある)いていた。

 

「カ、カナ…?」

 

ティーはその場(ば)で立(た)ち尽(つ)くし、息(いき)を呑(の)んだ。

 

── パレードの中(なか)には、もう一人(ひとり)目立(めだ)つ男(おとこ)が。

セイヤ・メタ。チュラのサッカーユニフォームを着(き)こなし、爽(さわ)やかに笑(わら)って手(て)を振(ふ)っている。

 

── 二日前(ふつかまえ)

 

カワイイカフェでは、カナが「สนามกีฬา(สนามกีฬา:สนามกีฬา)」「กีฬาสี(กีฬาสี:スポーツフェス)」とノートに書(か)いていた。

モクが尋(たず)ねる。

 

「カナちゃん、チュラの何学部(なにがくぶ)で、今(いま)何年生(なんねんせい)なの?」

 

「コミュニケーション学部(がくぶ)、3年生(ねんせい)です」

「それと…今年(ことし)の伝統(でんとう)イベントでドラムメジャーに選(えら)ばれました」

 

「えーっ、すごい!まるで本物(ほんもの)の王女様(おうじょさま)みたい!」

 

カナは照(て)れながらも、目(め)は強(つよ)い意志(いし)を秘(ひ)めていた。

 

── 再(ふたた)び競技場(きょうぎじょう)

 

パレードを終(お)えたカナは、舞台裏(ぶたいうら)に戻(もど)って着替(きが)えていた。

化粧室(けしょうしつ)で顔(かお)を拭(ふ)いていると、ノックの音(おと)が。

 

「カナさん、僕(ぼく)です。メタです」

 

ドアを開(あ)けると、メタがうっすら汗(あせ)をかきながらも笑顔(えがお)で立(た)っていた。

 

「今日(きょう)のカナさん、本当(ほんとう)に美(うつく)しかったです」

「パレードで隣(となり)を歩(ある)けて光栄(こうえい)でした」

 

カナは控(ひか)えめに微笑(ほほえ)む。

 

「ありがとうございます。毎日(まいにち)練習(れんしゅう)したんです」

 

── その頃(ころ)のティー

 

配達先(はいたつさき)を探(さが)していたティーの目(め)に、カナとメタが並(なら)んで歩(ある)く姿(すがた)が映(うつ)る。

ふたりは楽しそうに話(はな)し、メタが冷(つめ)たいタオルを手渡(てわた)す。

 

「たくさん汗(あせ)かいたね。これで顔(かお)を拭(ふ)いて」

 

ティーは声(こえ)も出(で)せず、配達票(はいたつひょう)を握(にぎ)りしめた。

心(こころ)に冷(つめ)たい氷(こおり)が落(お)ちたようだった。

 

── その夕方(ゆうがた)、カワイイカフェ

 

汗(あせ)だくで戻(もど)ったティーに、モクがそっと冷(つめ)たいおしぼりを差(さ)し出(だ)す。

 

「疲(つか)れたでしょ。顔(かお)拭(ふ)いて、体調(たいちょう)崩(くず)さないでね」

 

そして氷(こおり)の入(はい)った菊花茶(きっかちゃ)も出(だ)してくれた。

ティーはいつも通(どお)りの兄妹(きょうだい)みたいな笑顔(えがお)でお礼(れい)を言(い)い、モクも笑(わら)って返(かえ)した。

 

──でも、心(こころ)は沈黙(ちんもく)していた。

 

「…さっきの、カナちゃんとメタさんのパレード、見(み)たの?」

 

「…ああ、目(め)の前(まえ)で見(み)たよ」

 

「…焼(や)きもち?」

 

「いや…」

ティーはそう言(い)ったが、声(こえ)はかすれていた。

 

そのとき、ジェープロイが現(あらわ)れ、トレイに乗(の)せた月餅(げっぺい)を置(お)いて言(い)った。

 

「早(はや)くしないと、あのセイヤに先(さき)を越(こ)されちゃうわよ?」

 

── ティーの心(こころ)がささやいた。

 

カナ──君(きみ)がカフェにいるときは、すぐそばに感(かん)じられるのに

パレードで輝(かがや)く君(きみ)は、まるで遠(とお)い世界(せかい)の人(ひと)みたいだった。

 

── その夜(よる)

 

カナがコンドミニアムに帰宅(きたく)する。

静(しず)かにスマホを開(ひら)いて、数日前(すうじつまえ)の一枚(いちまい)の写真(しゃしん)を見(み)る。

 

それは──ティーがカフェで彼女(かのじょ)にコーヒーを手渡(てわた)す瞬間(しゅんかん)の写真(しゃしん)だった。

 

カナはそれを見(み)つめながら、静(しず)かに微笑(ほほえ)んだ。

 

つづく

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