第7話:止(と)まらぬ魅力(みりょく)と、あたたかな休日(きゅうじつ)

休日(きゅうじつ)の午後(ごご)、木漏(こも)れ日(び)が路上(ろじょう)にレース模様(もよう)を描(えが)いていた。

カナは手(て)に新鮮(しんせん)な花(はな)を持(も)ち、やさしい笑顔(えがお)を浮(う)かべて歩(ある)いている。

彼女(かのじょ)とモクは、ティーの小(ちい)さな家(いえ)へ向(む)かっていた。

その家(いえ)は三棟(さんせん)の静(しず)かな住宅街(じゅうたくがい)にある、清潔感(せいけつかん)のある木造(もくぞう)平屋(ひらや)だった。

その佇(たたず)まいは、昔(むかし)と変(か)らず素朴(そぼく)で、モクは門(もん)の前(まえ)に立(た)ち尽(つ)くした。

彼女(かのじょ)の視線(しせん)は、壁(かべ)の左側(ひだりがわ)に掛(か)けられていた杖(つえ)の跡(あと)を追(お)っていた。──あの頃(ころ)の記憶(きおく)が甦(よみがえ)る。

あの日(ひ)、ティーの母(はは)の声(こえ)が、今(いま)も心(こころ)に残(のこ)っている。

「モクちゃん…ありがとうね。もし将来(しょうらい)、あの子(こ)を支(ささ)えてくれるなら…お母(かあ)さんは安心(あんしん)だよ」

カナは横(よこ)に立(た)ち、静(しず)かにモクの表情(ひょうじょう)を見守(みまも)っていた。

モクはかすかに微笑(ほほえ)んで言(い)った。

「なんでもないよ…ちょっと、いなくなった人(ひと)を思(おも)い出(だ)してただけ」

 

ティーがドアを開(あ)けて迎(むか)えた。

少(すこ)し照(て)れたように笑(わら)いながらも、嬉(うれ)しそうだった。

「こんにちは、カナさん。あっ、モクも。さあ、入(はい)って。母(はは)は奥(おく)の部屋(へや)で待(ま)ってるよ」

カナは丁寧(ていねい)に玄関(げんかん)を上(あ)がる。

部屋(へや)にはやさしい光(ひかり)が差(さ)し、病床(びょうしょう)の女性(じょせい)の姿(すがた)があった。

肌(はだ)は少(すこ)し青白(あおじろ)かったが、目元(めもと)には穏(おだ)やかさが残(のこ)っていた。

「こんにちは、お母(かあ)さん」

カナはやさしい声(こえ)で挨拶(あいさつ)した。

「こんにちは、お母さん。お元気(げんき)ですか?」

モクは手(て)を合わせてお辞儀(じぎ)し、そっと足(あし)をさすってあげた。

ティーの母(はは)は微笑(ほほえ)みながら言(い)う。

「ありがとうね、モクちゃん。カナちゃんも来(き)てくれてうれしいよ」

「うちの子(こ)、よくカナちゃんのこと話(はな)してるの。とっても優(やさ)しくて礼儀正(れいぎただ)しいって」

ティーはうなずきながら言(い)った。

「母(はは)さん、カナが来(き)てくれて、僕(ぼく)も安心(あんしん)なんだ」

「ちょっと洗濯(せんたく)してくるね、カナ、母さん頼(たの)むよ」

 

モクの心(こころ)は、かつての記憶(きおく)に揺(ゆ)れていた。

彼女(かのじょ)は何度(なんど)もこの家(いえ)に来(き)て、病気(びょうき)の母(はは)を看病(かんびょう)した日々(ひび)を思(おも)い出(だ)していた。

暑(あつ)い日(ひ)、母(はは)の身体(からだ)を拭(ふ)いたり、ティーが薬(くすり)を買(か)いに行(い)ってる間(あいだ)にオムツを替(か)えたり…

そのとき、母(はは)は彼女(かのじょ)の手(て)を握(にぎ)って、こう言(い)った。

「モクちゃん…ありがとうね。もし将来(しょうらい)、あの子(こ)を支(ささ)えてくれるなら…お母(かあ)さんは安心(あんしん)だよ」

モクはほほえみながら、静(しず)かに答(こた)えた。

「私は…望(のぞ)むなんてできません。でも、彼(かれ)が誰(だれ)とも一緒(いっしょ)じゃなかったら、私(わたし)が支(ささ)えてあげたい」

 

カナはお湯(ゆ)を入(い)れた生姜茶(しょうがちゃ)を湯呑(ゆのみ)に注(そそ)ぎ、母(はは)へ手渡(てわた)した。

「生姜茶(しょうがちゃ)です。どうぞ」

「ありがとうね、カナちゃん」

その空気(くうき)は、静(しず)かで温(あたた)かく、やさしい時間(じかん)が流(なが)れていた。

 

── ティーが洗濯(せんたく)をしているあいだ、カナは昨日(きのう)のことを思(おも)い出(だ)していた。

あの午後(ごご)、カワイイカフェに…

メタ社長(しゃちょう)が現(あらわ)れた。

グレーのスーツを着(き)こなし、完璧(かんぺき)な笑顔(えがお)を浮(う)かべてカウンターに近(ちか)づいた。

「カナさん、今日は郊外(こうがい)で大事(だいじ)な商談(しょうだん)があるけど、その前(まえ)に一緒(いっしょ)にディナーに行(い)かない?」

「まさか、また断(ことわ)るんじゃないだろうね?」

カナは困(こま)ったように微笑(ほほえ)んだ。

「すみません、メタさん。まだお店(みせ)に仕事(しごと)が残(のこ)っていて…」

メタは軽(かる)く笑(わら)って言(い)った。

「たまには店(みせ)のことは忘(わす)れて、出(で)かけようよ」

「夕方(ゆうがた)5時(じ)、車(くるま)を迎(むか)えに行(い)かせますからね」

 

モクはその会話(かいわ)を聞(き)いていて、そっと耳元(みみもと)で言(い)った。

「気(き)をつけてね。あの人(ひと)、お金持(かねも)ちで派手(はで)だから…」

 

── そして夕方(ゆうがた)、高級車(こうきゅうしゃ)がカフェの前(まえ)に到着(とうちゃく)した。

だが、運転手(うんてんしゅ)に渡(わた)されたのは、カナの直筆(じきひつ)のメモだった。

申し訳(もうしわけ)ありません。

ご好意(こうい)には感謝(かんしゃ)いたしますが、私はふさわしくありません。

どうかご理解(りかい)くださいませ。

― カナ

 

── 現在(げんざい)、ティーの家(いえ)

カナと母(はは)は静(しず)かに語(かた)り合(あ)い、穏(おだ)やかな時間(じかん)が流(なが)れていた。

母(はは)はかすかな声(こえ)で言(い)った。

「モクちゃん、カナちゃん、本当(ほんとう)にありがとう」

「カナちゃんが息子(むすこ)の力(ちから)になってくれたら、お母(かあ)さんは嬉(うれ)しい」

二人(ふたり)は丁寧(ていねい)にお辞儀(じぎ)をした。

「私(わたし)、精一杯(せいいっぱい)がんばります」

カナはそう答(こた)え、

「お身体(からだ)に気(き)をつけてくださいね。お薬(くすり)も忘(わす)れずに」

モクも微笑(ほほえ)んだ。

 

── その夜(よる)

カナとモクが帰(かえ)る準備(じゅんび)をしていると、ティーが玄関(げんかん)まで見送(みおく)ってくれた。

夜空(よぞら)には星(ほし)がきらきらと瞬(またた)いている。

ティー:「今日は来(き)てくれてありがとうね」

モク:「ありがとう、モクも助(たす)かったよ」

カナは静(しず)かに笑(わら)って言(い)った。

「それじゃ、失礼(しつれい)します」

モク:「気(き)をつけてね。体(からだ)こわさないようにね」

 

── 彼女(かのじょ)は心(こころ)の中(なか)で叫(さけ)んでいた。

大好(だいす)きな人(ひと)が、別(べつ)の誰(だれ)かと幸(しあわ)せにな(な)っていく姿(すがた)…

応援(おうえん)すべきなのか、心(こころ)を閉(と)ざすべきなのか…

 

つづく

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