第3話 うろこが剥がれ

 馬車の中で魔法の変装を解く。

 紅茶色の髪と紅茶色の瞳は、本来の金色の髪と碧色の瞳へ。


 こうしてヘイゼル・シェード子爵令嬢は、ヘンリエッタ王女に戻った。

 「今日も大変有意義でした」


 向かい側に座る侍女が私の言葉にうなずく。

 この侍女はとても耳がいい。離れていても私たちの会話が聞こえていた。加えて記憶力もいい。

 これから私が出す指示も察知していることでしょう。自慢の侍女です。


 今までの私なら先ほどの話を信じられずに頑なになっていたことでしょう。

 これまでのエミリア・ホッジ伯爵令嬢とのお茶会での会話。

 自分で動いて確かめたこと。

 それらが先ほどの会話が信ずるに値するものだと背中を押す。


 私には確かめなくてはいけないことがある。




 ◇◇◇




 エミリア・ホッジ伯爵令嬢に興味を持ったのは、王妃からの嫌がらせが始まり激化しつつある時期と同じころだった。


 それまで王妃と側妃であるお母様との間に諍いらしい諍いはなかった。それぞれの派閥はあったけれど、こちらも特に争ってはいなかった。


 いつからなのか歯車が狂うように私の家族はうまくいかなくなっていった。

 ささいなことでお母様もお父様もイライラして不機嫌な時間が多くなり、それが波のように広がり宮全体の雰囲気が悪くなっていった。

 そのうちに、だんだんとお父様が帰ってくる日が減っていった。

 

 「王妃が悪い」 「原因は王妃の嫌がらせ」

 誰が最初に言い出したのか、いつからかそれが真実のようになっていった。


 王妃の嫌がらせは特に、まだ幼い私の弟をおびえさせ蝕んだ。

 この国の第二王子。まだ7歳のピーター。私の大切な弟。


 このままではいけないと王妃の嫌がらせの証拠をつかんでやめさせようとするけれど、尻尾すら捕まえられない。

 なんとか王妃の弱点や情報を得ようと探っているうちに見つけたのが、エミリア・ホッジ伯爵令嬢だ。

 

 同年代の伯爵令嬢がなぜ王妃と親しいのか。

 彼女から情報を得られればと、私は母方の親戚のつてを頼り年齢と身分をごまかし魔法で髪色と瞳の色も変えて、ヘイゼル・シェード子爵令嬢として彼女に接近した。


 探りを入れるために接近したのに、エミリア・ホッジ伯爵令嬢との時間は存外楽しかった。

 王女としてではなく子爵令嬢として親しくなったので、身分を気にせず付き合える友人ができたことが嬉しかった。

 流行のファッションやお菓子、普通の令嬢が好みそうな話題を身分を気にせず喋るのは楽しいものだと知った。


 エミリア嬢とホッジ家の穏やかな雰囲気は居心地がよかった。


 本来の目的も忘れてはいない。

 エミリア嬢から王妃の情報を引き出す。とはいえ、エミリア嬢から引き出せた王妃の情報は私が求めたようなものではなかった。

 エミリア嬢が語る王妃には、その為人など良い面しかなかった。


 そこでまた悩むことになる。

 お母様や使用人たちから聞く王妃像と、エミリア嬢から聞く王妃像が乖離しているのだ。

 親しい者と敵対している者に見せる顔が違うことはある。けれど、あまりに乖離しすぎている。

 それとなくエミリア嬢に悩んでいることを話すと、


 「ご自分の目で確かめられたらいかがでしょう」


 となんでもないようなことのように答えた。


 天啓を受けた気分だった。

 すぐに侍女に王妃の宮の使用人のお仕着せを入手してもらって、紅茶色の髪に紅茶色の瞳にさらに伊達メガネまでつけて変装して王妃の宮に潜入した。


 潜入といっても実際に使用人として働くわけではない。物陰からこっそり王妃の行動を覗き見るのだ。変装はもし見つかった時の用心。

 変装のおかげか、見つかることなく王妃の日常を垣間見ることができた。


 何度か潜入してみたけれど、王妃の日常はエミリア嬢から聞いたとおりだった。

 忙しい執務。普段は簡素な服を好む。休憩時間には趣味の畑仕事。

 

 王妃の周りでは笑顔が絶えない。作り笑いではなく心からの笑顔だ。使用人たちものびのびとしているように感じる。

 それはホッジ家で感じた穏やかで居心地のいい雰囲気と似ていた。


 エミリア嬢にそのことを話すと、難しい表情をしてから言葉を選ぶようにポツリポツリと

 「それは、使用人に対して求めるものが違うからではないでしょうか。

 どちらがいい悪いではないし、どちらが正解とかもないですよ」

 と前置きしてから、

 「主人が気持ちよく暮らせるように使用人に完璧な仕事を求める職場と、使用人も含めて全員が気持ちよく働けるように求める職場の違いではないでしょうか」


 エミリア嬢は自分の言葉に納得いっていないようだったが、言いたいことはなんとなくわかった。


 「我が家は父も私ものんびりした気質で、使用人たちがキビキビと完璧な仕事をしていたら緊張してしまうかもしれません」

 とエミリア嬢は照れ笑いした。


 振り返って我が家のことを考えると、お母様は使用人に完璧な仕事を求める人だったことに気づく。お父様もそういうところがある。使用人がミスをすれば不機嫌になる。

 なるほど、そういうことかと新しい気づきがあった。


 また別の日には、王妃の宮にエミリア嬢が遊びに来ている場面に遭遇した。もちろん物陰からだったが、エミリア嬢はこちらに気づいていない様子で可笑しかった。

 王妃と一緒に畑で収穫したばかりの大根を持って破願するエミリア嬢を見て、なぜか羨ましいという感情が溢れてきた。

 楽しそうなエミリア嬢が羨ましいのか、エミリア嬢と笑いあっている王妃が羨ましいのか。この気持ちを深堀する気にはなれなかった。


 王妃の生活を知れば知るほど、ますますお母様や側妃の宮で働く使用人たちの言う王妃像と乖離していく。


 良く働き、簡素な衣服、質素な生活。使用人たちとの関係も良好。仕事の時はやり手で、普段は穏やか。慕われるのもわかる。


 ひるがえって私のお母様はどうだろう? お父様は?

 私にとっては大好きで大切な両親だけど、使用人や他の人から見たらどうなのだろう? エミリア嬢から見たら? 王妃から見たら? 王妃の宮の使用人たちから見たら? 国民からは?


 怖い。

 今まで他人からどう見られているかなんて考えたこともなかった。

 怖いけど、気になる。

 好奇心が恐怖心に勝り、私はエミリア嬢に相談することにした。

 年下の伯爵令嬢に頼りすぎである。


 早速エミリア嬢に、側妃と国王、それに王女と第二王子の印象も聞いてみた。王妃からみた印象、他の貴族からの印象、国民からの印象も。

 エミリア嬢は「あまりお勧めしません」と難色を示した。それでもと請うと、エミリア嬢は難しい表情をしてウンウン唸り、尊いお方のことを話すのは不敬にあたりそうで怖いのですが、と前置きしながら話してくれた。


 「まず私からみた側妃様の印象は、お綺麗な方だと思います。王女様もお綺麗な方だと思います。第二王子殿下とは面識がないのですみません、わかりません。国王様に関してはノーコメントでお願いいたします」


 悩んでいた割には簡素な答えに拍子抜けした。


 「他の貴族からの印象は、誰に聞くかで変わりますでしょうし私が代弁できることではないので、すみません。

 王妃様からの印象も私から代弁できるようなものではないので、すみません。

 ただ、王妃様から側妃様ご一家への悪い話は聞いたことがありません。国王様に関してはノーコメントでお願いいたします」


 なんとなく察した。


 「あ、国民からは、ご立派な国王様とお綺麗な側妃様のご夫婦とお綺麗な王女殿下とおかわいらしい第二王子殿下のお子様で幸せそうなご一家だと慕われているようですよ」


 エミリア嬢はニコニコしている。

 国民からの印象が悪いものではなかったことにホッとしたのと同時に、ガッカリもした。

 王妃の印象を聞いた時には、その為人からどこそこでどんな仕事をして国民に慕われているなどの細かな情報を交えて教えてくれたのに。

 知らないから答えられないのね、と思ったけれど身近にいる娘の私がお母様の仕事ぶりについてほとんど何も知らないことに気づいて愕然とした。


 

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