第7話‐2
*
肝臓と大腸をやられた。
炎剣が貫いた位置に目を落とし、竜秋は理解する。それが意味する未来も。それでも腹に突き立った刀身に爪を立て、暴れ、気を失う寸前まで足掻いた。結局、この苦しい時間にもすべて意味はなかった。もう、死ぬ。最後に力いっぱい戦えて、清々しいほど完膚なきまでに敗けて――悪くなかった。
視界が高速でブレて、背中から硬い何かに激突し、ボトリと落下する。王が剣を振るって、切っ先に張りついたゴミを払い飛ばしたのだ。芋虫のように這いつくばり、焼けた地面を舐める。立ち上がろうにも、もう体の感覚がない。陽炎めいた覚束ない視界で、王がゆっくり剣を振りかぶるのが見えた。
悔いしかないはずなのに、竜秋は震える口角を上げ、最後に歯を見せて笑った。
「――【動くな】」
低く、呪詛のように響いた少女の声が、炎の大地に二重のクレーターを刻んだ。
『……ッ!?』
自らの掲げた巨剣に圧し潰されんばかりに、大地に走り続ける亀裂の中心で片膝をつく王の口から、初めて肉声らしい息が漏れる。
竜秋は呆然と視線を横へ滑らせる。世界の端で噴き上がる――濃密な、紫の火柱。
「まこ……と……?」
スラックススタイルの制服に身を包んだ、黒髪の少女。その特徴に当てはまる人物は一人しかいないはず。しかし、竜秋はそれを彼女だと思えなかった。
竜秋の知る誠は、無垢な子狸のように柔らかい垂れ目の、自己肯定感がやけに低くて、とても弱く見えて、でも芯は驚くほど強い、物好きにも自分なんかと友達になりたいなんて言い出すような――とにかく、そこにいるだけで何か安心する、そういうやつだ。
今、そこにいる少女は、その対極と言っていい。優しかった瞳を真円に近いほど見開き、柔らかな髪を逆立てて、右の手のひらを銃口の如く王へ突きつけている。
何より彼女を包む、巨大な火の玉を思わせる紫紺の光(オーラ)――一人の人間に漲る理力の輝きでは有り得ない。その相貌に焦点を合わせ、《キズナリンク》を起動する。瞬間、処理しきれない密度の情報が飛び込んできて、視神経がショートしたように熱を帯びた。
誠の理力量が――アクセルを踏み抜いたみたいに、高速でカウントアップしていく。
三桁から四桁、五桁、ついに六桁を突破して、それでも上昇は止まらない。馬鹿な。誠の理力は常人の僅か半分で、それも使い果たしたばかりのはず。
大地の中央が砕け、そこから一閃、誠目がけて紅蓮の光芒が翔けた。過重力の圧を強引に脱した王の突進が、迅速に脅威を刈り取りにかかる。
「――【動くな】」
火矢の如く駆けた王の体が、誠に到達する寸前で大地に叩きつけられた。まるで見えない巨人の手に張り倒されたみたいに。
「【動くな】、【動くな】、【動くな】」
ひび割れた唇が詠うたび、王を真上からの壮絶な衝撃が襲う。神の使いにも見えた王の強靭な肉体が、悍ましい圧力に悲鳴を上げ、変形していく。
「す……げぇ……」
恐ろしくも、爽快極まりない光景だった。竜秋が手も足も出なかった王を、誠がたった一人で圧倒している。規格外すぎて悔しさすら湧いてこない。いったい何がきっかけか分からないが、誠は覚醒したのだ。その潜在能力には畏怖の念すらあったが、まさかこれほど理不尽な力に目覚めるとは――
チクリと、胃の中を不穏な予感が転がる。
理不尽……そう、理不尽すぎる。誠の唐突な覚醒には、説得力がない。
これほどの理不尽を通すために、一体どれだけの代償がいる?
「――【動くな】ッ!!!」
悲鳴のような詠唱だった。王の体が軋み、数本の骨が砕ける音が鳴る。なおも誠は、両目から血が垂れるのにも気づかない壮絶な形相で、片手を激しく振り上げた。
「ハァ……ッ、ハァ……ッ、……【動く】――」
「――もう、いい」
息を荒げて震える誠を、竜秋は後ろから抱きしめた。
どうやってここまで歩いてきたか、竜秋は思い出せない。振り上げた格好で止まった、誠の強張った腕が、だらんと下がる。
「もういいよ、誠。ありがとう。よく頑張った」
少女の汗だくの体を、無理やり吊り上げて操っていた糸が切れたみたいに、誠の力が抜ける。それを丁寧に寝かせてから、竜秋は誠を背に隠した。こちらへ足を引きずりながら歩いてくる、炎の王から。
一度落としたはずの竜爪を握っている。覚えていないが、誠のもとへ向かいながら、ちゃんんと回収してきたらしい。右の脇腹がごっそり欠損している自分の身体を、あまり見ないようにして、辛うじて構える。
王も弱ってはいるが、こちらほどの致命傷でもなさそうだ。とにかく、一撃凌いで、一撃当てる。それを繰り返すしかない。やる。できる。王の剣が真横へ構えられた。来る――
竜爪を一ミリ持ち上げる間に、王の剣は竜秋の首に到達した。
「よう、問題児」
灼熱を切り裂く、春の香りをはらんだ風に、飛んでいた意識が引き戻される。
王に堂々と背を、こちらに呆れたような、苛立ったような顔を向けて、桜慧が立っていた。薙ぎ払われたはずの溶岩剣は、桜の首筋に直撃した瞬間のところで、凍りついたように硬直している。
「やってくれたもんだなぁ。バカだバカだとは思ってたけどここまでとは知らなかったよ」
いつもなら挑発的に笑うところだが、桜の端正な口元に笑みはない。竜秋を上から覗き込む、凍てつく空色の瞳。軽薄な声音とは裏腹に、途轍もなく、怒っているのが分かる。
彼の背後で業火が爆ぜた。一度は不可思議な現象に阻まれた炎剣を引き戻し、王渾身の袈裟斬りが桜の無防備な後頭部へ叩き込まれる。
音もなく。またしても命中と同時に、剣はピタリと急停止した。灼熱を帯びた風圧だけが、桜と竜秋の髪を激しくかき乱す。
「あぁ、ごめん。ちょっと後にしてくれる?」
まるで本当に、王の存在など今まで忘れていたみたいに、桜はそこらの生徒に謝るように片手を挙げて詫びた。友好的にウインクしながら。
「生徒指導中なんだ」
その瞬間、王の全身が電流を浴びたように硬直した。
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