第7話‐3

 異常な光景だった。


 滞ることなく時が流れる世界に、ただ一つ、王だけが静止画のように空間に縫い留められている。瞬きも、呼吸すら止まり、炎の如く揺らめいていた長い髪の一本一本まで、飴で固めたようにその座標から一ミリも動かない。


「【傷の施錠(スカー・ロック)】」


 ぽん、と竜秋の肩に手を置いて桜が詠う。反射的に身構えて、恐る恐る目を開ける。……なんともない。身体も問題なく動く。なんだ、何をされた。


「お前の傷の状態をロックした。今ある分はそれ以上悪くならないし血も流れない。治ったわけじゃないから後で治療受けろよ。普通に致命傷だから。つかなんでその傷で生きてんだよ、キモいな」


 気味悪げに目を細めつつ、ああそれから、と口早に付け足す。


「八百坂と常盤にも同じのをかけた。二人とも死んではないよ」


 それを聞いた途端、両脚の支えを失って、竜秋はその場にへたり込んだ。


「そうだ、先生、誠も……誠もお願いします。こいつ、さっきすごくて、でもなんか、嫌な感じで……」


「必要ない」


 え、とひび割れた声が喉から漏れ出た。


「そいつには、もう必要ない」


 温度のない声に、危うく掴みかかるところだった。


「なに言って……まだ生きてますよ!! 呼吸も落ち着いてるし、頭を強く打ったけど、でもさっきまで普通に……」


「黙れクソガキ。言いつけも守んねぇで、いざってなると俺に泣きつくのか? これはお前らの勝手な行動が招いた、当然の帰結だ」


 背を向けた桜の、張り手のような叱咤に歯噛みする。返す言葉もない。でも、それでも……誠を助けられないなんて、そんな、神みたいな力を持っておいて、桜にできないはずがないじゃないか。


「お願いします……俺の術を解いてくれても構わないから……誠を助けてください……」


 うずくまり、平伏する竜秋に、桜は低く舌打ちした。


 長い脚を折りたたんでしゃがみこんだ桜が、そっと誠の頬に触れる。ありがとうございます……震える声で繰り返す竜秋を、桜は苛立たしげに遮った。


「帰るぞ」


 気楽なことを言い出した桜に、顔を上げた竜秋は「どうやって」という疑問を辛うじて飲み込む。桜はスタスタと歩き出し、未だ寸分違わぬ格好で静止している王の前に立った。長い五本の指が、遺体にそっと打ち覆いを被せるように、王の頭に乗る。


 ブツン、と、電源を落とすような音がした。


 桜の手の中で、王の目から色が抜け落ちていく。体に走る紋様が薄れ、皮膚の生気がぼやけ、全身灰となって崩れる。なんの激しさもなく、桜のギフトは王の命を奪った。


「じゃあな」


 桜の呟きは、灰と共に風に乗って飛ばされていった。


 世界が、温かな紅色の光に包まれていく――




四月二六日、午前九時四七分。発生区域東京Ⅲにて【塔一一号】発生。


同刻、ステージ三に移行。


午前九時四九分。居合わせた塔伐科高校一年生四名が無許可で攻略を開始。


一二分後(塔内時間で約二〇時間後)、ハワイより現着した桜慧が攻略を開始。


四秒後(塔内時間で約六分半後)、【塔一一号】攻略完了。


候補生四名はいずれも重傷。命に別状なし。


候補生の重大な規約違反について、学園側は処分を検討している。

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