第2話:ううう、初心ちゃうわ!

――柔らかい……これが女の手なのか。



 雷志に異性経験は一度もない。


 周囲に同年代の女児はいたが、だからといってなにかしらの接点が必ずしもあるわけでもなく。


 刀ならば気が遠くなるほどずっと昔から握ってきたが、女子の手は未だない。


 それが今日、思わぬ形で果たすことになってしまった。これに緊張しないわけがない。


「もしかしてですけど、ライシさんってすごく初心な方なのですか?」


 何気ない質問だ、椿姫に悪気は決してないのは言霊が証明している。


 それ故に、雷志にとって彼女からの質問は残酷極まりないものだった。


 つまりは返答次第によっては揶揄されかねない――椿姫がそうするとは、これっぽっちも思わないが。


「い、いやそんなことはないぞ? まぁ多いとはさすがに言えないが、けどまったくないわけじゃあない。うん、ないわけじゃないぞ?」


「そこは何度も主張しなくてもよいのでは……。でも、そうですか。てっきり女の子と手を繋いだこともない心清らかな方なのかと」


「お、おいおい。俺はそこまできれいな人間じゃないぞ?」


 雷志は内心で安堵の息を盛大に吐いた。うまく誤魔化せたらしい。


 その過程で雷志は、椿姫の相手に対する警戒心のなさについて言及する。


「俺がいうのもなんだが、相手のことはもっと警戒した方がいいと思うぞ? これがもし、親切を装った野盗の類だったら今頃攫われていたかもしれないんだぞ?」


「その点に関しましては、なにも問題はありませんライシさん」


 笑みの中に確かな自信を宿す椿姫。紡がれる言葉にも揺らぎない自信で満ちていた。


「余は目が見えない分、音で善悪の区別をつけています。そう言う意味でライシさんの声は清々しいほど清らかで、それにどこかすごく安心できるなにかがあるんです」


「声で善悪の区別を、ねぇ……」


 椿姫を見やる雷志の視線はいぶかし気なものだった。


 音で物事を把握する――かの有名な剣客は、光を失ってからでもその生涯を剣にとした。


 盲目でありながら並み居る猛者をことごとく打倒した剣客曰く、光ではなく音がすべてを教えてくれる、とのこと。


 これが事実なのだとすれば、彼女のいっていることは正しい。


「普通の方にはピンとこないのは致し方がありませんね。ですが、その声で余も判別しています――ライシさんは、とてもいい人ですよ」


「いい人、か……」


「はい!」


 お世辞でもなく、本心からそう言っている。


 そう思えてしまうぐらい、椿姫の言葉は愚直すぎるぐらいとてもまっすぐだった。


「ふふっ。それでは太安京たいあんきょうまでのエスコートをお願いしますね?」


「え、えす?」


 聞いたことのない言葉だった。雷志ははて、と小首をひねった。


「あぁ、こちらは大陸の言葉で意味としてはちゃんと案内してくださいね、って感じでしょうか」


「な、なるほど」


 他愛もない会話をしながら太安京たいあんきょうを目指す。


 たったこれだけのことなのだが、その間の雷志の鼓動はいつになく早かった。


 すぐ隣には絵にかいたような美しい娘がいる。あろうことか手まで繋いでいる状態なのだ。


 口数が少ないわけではないが、この時ばかりは自然と口数もいつも以上に減っていた。



――くそぅ……俺としたことが、たかが女子と手を繋いだだけでこうも落ち着かないとは。

――いや、ちょっと待てよ。俺、手ぇ汚くないよな?



 ぐるぐると思考が巡る雷志の顔は、それはもう面白いことになっていた。


 ころころと変わる表情はまさに百面相で、それを椿姫がくすくすと笑って見ている。


 まるで表情が見えているかのような挙動に、雷志ははたと彼女を見やった。


「もしかして、見えていたりするのか?」


「まさか。表情こそは見えませんが、ですが感情はしっかりと読めます。感情を読めばあなたがどのような反応をしているのか、手に取るようにわかりますよ」


「そこまでわかるものなのか。すごいな」


「これも慣れ、でしょうか」


 他愛もない会話うぃしばし交わしていた、その時である。


 前方から突如として現れたそれに、雷志の表情に真剣みが帯びた。


 相手に向ける視線は氷のように冷たく、それでいて刀のように鋭い。


 猛禽類をも髣髴とする眼光に、そのモノたちはまるで動じていない。


 彼らは等しく、ヒトではなかった。赤黒い肌にぼろぼろの装い、ヒトのそれとはまるで違う造形の顔中で不気味に輝く金色の単眼。


 そして手には刀がしかと握られていた――えらくぼろぼろだ。あれでは満足に斬ることは叶うまい。


「ど、どうかされたのですかライシさん。そ、それよりもこの禍々しい感情……まさか!」


「そこまでわかるのなると、すごいとしか言いようがないな――察しのとおり禍鬼まがつきどもだ」



 高い信仰心や慈愛によって生ずる和魂にぎみたま


 強い憎悪や怒りによって生ずる荒魂あらみたま


 後者は人の死後、特に強く生じやすい。


 特に戦場によって散って逝った者たちの無念や生への執着はすさまじいものである。


 そうして生じた負の感情……荒魂あらみたまはやがて一つとなる。


 それらは巨大に膨れ上がり、そしてついには破裂――この世のモノではない存在。


 すなわち、禍鬼まがつきへと転じる。


 彼らの行動原理は等しく、凄まじい殺戮本能と破壊衝動だけだ。


 そこに慈愛の精神は欠片さえもなく、そして人はあまりにも無力だった。




「――、下がっていろ椿姫。ここは俺がなんとかする」


「む、無茶ですライシさん! 龍凪・・でもないあなたが禍鬼まがつきと対峙するなんて……無謀にもほどがあります!」


 声を荒げる椿姫――彼女の主張は、とても正しい。まったくもってそのとおりである。


 禍鬼まがつきは普通の人間ではまず、どうすることもできない。


 これは幼い子どもでも知っている常識であり、唯一の対抗策が龍凪りゅうなぎだった。


 龍に認められた人間のみが、その恩恵にあやかり超絶的な力の行使が許される。


「もしかして、ライシさんは龍凪りゅうなぎなのですか!?」


「いや。全然違うぞ」


「じゃあ駄目じゃないですか!」


「だってお前、龍凪になるのってめちゃくちゃ難しいんだぞ? 筆記試験に実技試験、それに家柄なんかも徹底して調べられる。そこまで晒してなりたいなんて、俺は思わないけどな」


 雷志はさも平然とばかりにそう答えた。


「やれやれ。仕事でもないのにこういう肉体労働はやめてほしいもんなんだがなぁ」


 そういって、雷志は腰にある二振の刀をすらりと抜き放った。


 どちらともその刃長は二尺三寸五分約67cmほど。重ねは非常に厚く、刃も入念に立てられている。


 陽光をたっぷりと浴びて銀に輝く白刃はまさしく、実戦を想定した業物と呼ぶに相応しい。


「それじゃあ、おっ始じめるとするか」


 雷志は不敵に笑った。


 彼が発したその一言が開戦の合図となった。


 けたたましい咆哮は滝の音さえもかき消す。とても不快感極まりないそれはどの生物にも該当しない。


 近くにいた一匹が真っ先に雷志に強襲した。


 手にはあの、ボロボロの刀がある。切れ味こそ皆無だが、常人離れした膂力によって圧倒的な殺傷能力を生もう。


 食らえば、ひとたまりもないのは言うまでもない。


「遅いな」


 雷志はひょいと軽やかに身をよじって避けた。


 ゆっくりとすぐ横を通過する刃に目もくれず、そのまま一気に右手の太刀を振るいあげる。


 ざん、という小気味よい音が鳴った。ことり、とおどろおどろしい首が地面に落ちた。


 たちまち周囲にはむせ返るほどの濃厚な鉄の香りが漂い始める。血の香りである。


「悪いな。お前ら如きにやられる俺じゃあないんだよ」


 雷志は地をどんと強く蹴った。


 瞬く間に間合いへと肉薄する様は疾風のごとく。


 左右の刀が縦横無尽に駆け巡れば、美しい銀閃に従って赤々とした花弁がわっと舞う。


 呆然とする椿姫の目前にて広がる光景は、もはや一方的な虐殺といっても過言ではなかった。


「はいおしまいっと」


 雷志は血払いをすると、二刀を静かに鞘へと納めた。


 鯉口と切羽がぱちん、と小気味よく重なる。


 再び森に平穏が訪れてからしばらくして、椿姫がハッとした。


「ラ、ライシさんお怪我はありませんか!?」


「あぁ、俺なら大丈夫だ。あの程度の奴らにやられるほど軟じゃない」


 からからと笑う雷志に椿姫がホッと安堵の表情を浮かべて、だがすぐにいぶかし気な顔を示す。


「で、ですが……どうしてライシさんはあの禍鬼まがつきたちを倒せたのですか? 龍凪でもないのに……」


「さぁな。こればっかりは俺にも思い当たる節がまったくないんだ。なんかこう、気が付いたらそれができるようになってたっていうか……気合か?」


「気合という言葉だけで到底片付けられるとは思えないのですが……」


「まぁ、細かいことは気にするな。俺もお前もこうして生きている、その結果があれば十分だろ」


「……確かに、そうですね。それでは引き続きお願いいたします」


 再び手を差し伸べた椿姫。


 雷志の顔がまたしても赤々と紅潮していく。


「な、なぁ……本当にその、手を繋がないといけないのか?」


「もちろんです。ほら、早く余をエスコートしてください」


 いたずらっぽく笑う椿姫に、やがて雷志もその口元を優しく緩めた。


 顔はリンゴのように相変わらず赤く染まったままである。


 柔らかな手の感触にどきまぎしながら雷志と椿姫は森を抜けた。


「あら」


 森を抜けた時、心地良い微風は頬をそっと優しく撫でていった。


 同時に微風に混じる甘い香りが、ふわりと鼻腔をくすぐっていく。


「これは、桜の香りですか?」


「正解だ。この香りがするっていうことはつまり、太安京たいあんきょうはこの先ってことだ」


 雷志が向けた視線の先、大きな城郭都市がそびえていた。


 真に注目すべきはそびえたつ城壁でもなければ天高くにそびえる天守閣でもない。


 金条城きんじょうじょうよりも更に高くにまで伸びた一本の巨大な桜の木。


 一年中美しく咲き乱れるあれこそ、龍桜りゅうおう――太安京たいあんきょうが誇る象徴である。

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竜恋歌 -ドラブロマンス- は玲瓏なる咆哮と共に~ずぼら声伝師、身バレした結果ドラゴンが通い妻しにくる件~ 龍威ユウ @yaibatosaya7895123

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