第13話

目が覚めた。

でも──なにか、おかしい。

起き上がれた。手も、足も、ちゃんと動く。なのに。


……なにも、感じない。


冷たくもない。あたたかくもない。

空気も、布も、肌も──全部、どこにも触れてないみたい。


わたしは、両手をぎゅっと握った。

でも、握った感触がなかった。指が、ついてるかすらわからない。


「……え……なにこれ……?」


動いてるのに、動いてる気がしない。

自分の中に、何も入ってないみたい。

まるで、わたしが……わたしじゃないみたいだった。


おそるおそる立ち上がって、壁に手を伸ばす。

でも、冷たさもざらつきも伝わってこない。

ただ、動きが止まったから「触れた」と判断しただけだった。


「なんで……なんで、こんな……っ」


震えるはずの指も、震えを感じなかった。

膝をついて崩れ落ちても、床の硬さすらわからなかった。


わたしは、わたしじゃない。

この体、なに? ほんとうに、わたしの?


混乱と焦りが、喉元までこみあげてくる。

涙が流れているはずなのに、その感覚さえもない。

ただ、止まらない嗚咽だけが、かすかに胸の奥を震わせていた。


「いや……やだ……やだやだやだ……!」


服をつかんでも、顔を叩いても、何も伝わってこない。

力を込めても、力が入ってるかどうかもわからない。

全部、どこにも届いていない気がした。


「これ……わたしじゃない……返して……わたしの体……」


そう思ったとき、初めて言葉が出た。

それは自然にではなく、喉の奥から搾り出すような、叫びに近かった。


「返して……返してよ……わたしの……わたしを……!」


届いているのかどうかもわからない声。

でも、それでも言わずにいられなかった。


──わたしは、ここにいるのに。

──なのに、どこにも、いないみたいだった。


床にうずくまって泣いていたいたわたしの前で、ギィ……と扉の開く音がした。

その気配が近づいてくる。

足音は静か。でも、確実にこっちに向かってきていた。


そして──あのフードの女が、しゃがみ込んで、わたしの顔を覗きこんできた。


「……ほら、やっぱり混乱してるね。わたしも最初そうだったもん」


笑ってる。まるで、なにもおかしくないみたいに。

その目が、わたしの体を見下ろして、少し首をかしげる。


「でもね、大丈夫だよ。じきに慣れるから」


慣れる……?


「最初は、全部おかしいよね。感覚ないし、体がどこにあるかもわからないし。

でも、そのうち慣れるから。何もないことに。」


わたしは、意味がわからなかった。

口を開こうとしたけど、声が出なかった。

震える手を引こうとしたら、彼女がするりと指を重ねてきた。


「ねぇ、そろそろごはんにしよう?」


ごはん……?


「お腹すいてないかもしれないけど、それ気づいてないだけだからね。

本当はエネルギー、減ってるの。体が欲しがってるのに、気づけないだけ。

ね? ちゃんと食べなきゃだめだよ」


わたしは首を横に振った。怖い。怖い。なにを言ってるの、この人。


「あとね、トイレも。行きたいって感じないかもしれないけど、ちゃんと行かないと詰まっちゃうから。

そろそろかな?って思ったら行っておくの。そういうのも、自分で管理していくんだよ」


まるで、先生が生徒に教えるみたいに。

この人、ほんとうに……おかしい。


「わたしも、最初のころは怖かったんだよ。でも、大丈夫だった。

あなたも、すぐ慣れるから」


そのすぐが、どれくらいなのか。

彼女の言葉の中には、何も具体的なことはなかった。


でも──ただ一つだけ、わかった。

この人は、わたしが変えられてしまったことを、完全に当然のことだと思っている。


わたしの体は……もう、元には戻らないの?


わたしは、答えのない不安を抱えたまま、ただ、首を横に振り続けていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る