第3話 嘘の上のぬくもり

 取調室の空気は、妙に湿っていた。壁際の換気扇は回っているはずなのに、空気の出口が見つからず部屋に停滞しているかのようだった。

 浦川中央署──その一室に、綿貫空郎わたぬきうつろは飄々と座っていた。


「……綿貫 空郎、だよね?」


 若い刑事が手元の書類を繰りながら、警戒を含んだ声で問いかける。 その横には無言の厳ついベテラン刑事が腕を組んで立っていた。


「そうや思いますけどォ? ていうか、この部屋……もうちょい明るうならへんの? 空気も重たいわぁ。僕ァ辛気臭い場所嫌いやねん。」


 空郎は両手を広げ、あくまで軽口を貫く。白の開襟シャツにアイロンをかけた形跡。だがその“きちんとさ”すらどこか胡散臭い。


 若手刑事がため息をつきながら調査資料の中から静かに一枚の写真を差し出す。そこには、笑顔の若い女性と並ぶ空郎の姿があった。


「……彼女、知ってるよな?」


 空郎は写真を一瞥し、にっこりと優しげな表情で笑った。


「あぁ!まゆちゃんやん。……懐かし。よう笑う子でな。ちょっとアホやけど、素直でなぁ。頑張り屋さんやったよ。うん、ちょっと頑張りすぎるとこあったけど」


「行方不明だ。最後に会ったのは──お前だよな?」


「うーん……そうかもしれへんし、ちゃうかもしれへんなァ。記憶っちゅうのは、ほら、曖昧でしょ?」


 若手刑事の目が険しくなる。


「彼女、金銭的に追い詰められてた。キャッシングも限度額。……それから風俗に。名前、空郎って書いた紹介欄、あったぞ」


「ええっ、僕ァ斡旋業者ちゃうで?」


 空郎は肩をすくめて笑う。だがその笑いの奥には、わずかに滲む緊張感があった。


 ──“証拠はない”。

 それが彼の確信だった。


「彼女が失踪した翌日、お前の部屋にクリーニング業者が入ってる。部屋に『異臭がする』って通報の記録もある。」


 空郎は沈黙した。

 だが──その沈黙を恐れと読んだ若手刑事が言葉を継ごうとした刹那、空郎はゆっくりと頬杖を組み替え、笑顔を作り直した。


「それって証拠になるんやろか?……まゆちゃん、失踪しただけやん?」


 ベテランの刑事が、空郎を睨むように見つめぼそりと呟く。


「……死体さえ出りゃ、お前は終わりだ」


 空郎の目元がすぅっと一瞬だけ細くなった。それが怒りか、恐れか、あるいは──ただの計算かは、誰にも分からなかった。



 取調べは、それ以上進展しなかった。証拠がなかった。

 空郎は、いつもどおり釈放された。


 署を出た瞬間、彼は眩しそうに目を細めて空を見上げ、ぐっと背伸びをした。


「……はぁ。しんどかったぁ。」


 ポケットからスマートフォンを取り出し、登録されていた連絡先の一つをタップする。


「……もしもし?八重山ちゃん? 」


 電話の向こう、女性の声が冷ややかに返す。


『また? 貴方のその声、ほんと気分悪いんだけど。』


「今回はちょっと急ぎや。ひとり分。まだ“置いてる”状態でさ、早めに"例の畑"、借りたいんよ。」


警察署をチラ見しながら足早に歩き空朗は照れ臭そうに言う。内容とは裏腹にその喋り口は友人に失敗談を話すが如く軽い。


『……はぁ。わたしは植物学者であって、あんた専属の始末屋じゃないんだけど。山も土も、こっちで手入れしてんのよ。で、金額は?』


「前回の三倍でどや。いや、四倍出すわ。……なにせ早く土になってもらわな困るんよ」


『金払いだけはいいのよね、ほんと。……場所は、いつものとこに自分でやって頂戴。』


「うん、それでええ。……あ、嫌ってるのは知ってるで。僕ァ女の敵やもんな。けど、そこはビジネスやろ?」


『……分かってるなら、いちいち口にしないで』


 通話を切る直前、空郎はポケットの中の鍵を弄びながら呟いた。


「ま、こっちも気持ちよかったけど……後始末めんどいから、今後はもぉちょい気ィ付けんとなぁ⋯」


 その声は、風の中へと消えていった。


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