第8話 踏み出した1歩【フェニス第3従響星】
ストックが溜まったので、今週は追加投稿します!
それでは本編をお楽しみください。
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「気をつけてね、アリシア」
「うん……じゃ」
バタン、と中空の金属でできた玄関の扉が閉まる音。
アリシアに向けて振った右手が、行き場を失って宙をさまよう。
ハンバーガー事件の翌朝、リメアとアリシアはほとんど言葉をかわすことなく、出勤の時間が来てしまった。
軽い挨拶を済ませ、揺れるショートボブを見送ったリメアは俯く。
薄暗い玄関に立ち尽くし、時間だけが過ぎていった。
時計の針の音だけが、虚しい機械音を響かせる。
「リメア様」
「……なぁに、リッキー」
「その、ご提案なのデスが」
「……?」
「お散歩にでも、出かけられてはいかがでショウ」
「……おさんぽ」
「大丈夫デス、アリシア様が返ってくるより前に戻れば、問題ありまセン。ベランダからの景色だけではなく、歩きながらだとお気持ちも整理できるはずデス」
「…………うん」
リメアは頷き、玄関のドアノブに手をかける。
ガチャリ、と錠前を開け扉を開くと、外は雨だった。
「アー……。申し訳ございまセン……」
「いいよ。行こう」
暗い階段に靴音を響かせ、アパートから出る。
分厚い曇り空から降り注いだ雨が、街中に水たまりを作っていた。
「傘は、よろしいのデスか?」
「いらない」
リメアは薄暗い商店街を歩き出す。
灰色の街並み、汚れたショーウィンドウ、道端に転がった空の瓶。
生ぬるい雨が、頭や肩を打つ。
「ねぇ、リッキー」
「ハイ、リメア様」
「新しい家に引っ越してから、わたし、なにか変わったかな」
「……イエ、特には」
「最近さ、アリシアとあまりおしゃべりできてないんだ」
「お忙しいので、仕方ないカト」
「分かってるよ。でも、思うの。最近は特にだけど、わたし、アリシアと出会ったときから、あんまりちゃんとおしゃべりできてないなって思ったんだ」
「……」
リメアは商店街を抜け、橋にさしかかる。
濡れた欄干に寄りかかり、下を覗けば茶色く濁った水が、街壁に沿って流れていく。
「楽しいお話とか、遊びに行く予定とか、お買い物に行ったりとか。そういうことはね、できるの。気づいたら、やってるの」
「ええ、いつも見守っておりマス」
「でもね、それだけなの。それだけしか、ないの」
「……それだけでは、ダメなのデスか? お友達とは、一緒にいて楽しいものだと思いマスが」
「………………ダメなの」
「……」
額から流れる雨水が、幾本も連なって鼻梁を流れ落ちていく。
遠くで雷鳴が轟いている。
川の濁流は、相変わらずゴーっと低い音を鳴らしながら流れ続ける。
「わたしね、昨日、何もできなかった。ビックリして、ハンバーガーを落としちゃってから、ずっと」
「……仕方ありまセン、あのハンバーガーはデータ上のどのハンバーガーとも異なりマス。この星郡は元々、観光地として設計されていた星々デス。しかし、今のところ、そのような面影はございまセン。おそらく、長い年月の間に、この星の文明、特に精霊の設計思想に大きな変化、不具合があったのでショウ。食料資源の枯渇、流通インフラの停滞などが原因で文化が変容したと考えられマス。リメア様が驚いてしまわれるのも、同意できマス」
リメアはボーっとリッキーの話を聞き流しながら川の流れを見つめていた。
未だうまくまとまらない思考の中で、昨日の情景が繰り返し脳裏に浮かぶ。
小さくため息をつきながら、リメアはぽつりぽつりと話し始めた。
「ううん、あのハンバーガーはいいの。大事なのはそのあとだったの。アリシアがね、急に怖いアリシアになっちゃって。目もわたしを見てなくて。いつものアリシアはどこに行っちゃったんだろうって思ったの」
「……そうデスね……」
「でもね、昨日の夜ずっと考えて、……今もまだ、考えてるんだけどね。なんとなく、思うの。いつもの優しいアリシアも、昨日の怖いアリシアも、どっちもアリシアなんじゃないかって」
「疲れが溜まっていただけでは、ないということデスか」
「うん。アリシアが笑う時、いつもちょっと無理してるの、気づいてた。お部屋に戻る時、ちょっとだけ横顔がホッとしているのも、アリシアには内緒だけど、気づいてた」
「……」
「いつもそんな時、胸の奥がぎゅってするんだけど……。なんて声をかければいいか、わからないの。今だって、ずっと、わからないの」
リメアは空を見上げる。
雨が心を洗い流してくれて、スッキリすればいいのにと思ったが、心も服も、ずっしりと重いままだった。
「ねぇ、どうすればいいの、リッキー」
「……」
銀色の球体は、やや俯いたまま、沈黙する。
リメアはそれに怒るでもなく、声を荒げるでもなく、ただ弱々しく尋ねた。
「ねぇ、なんで教えてくれないの……リッキー?」
リッキーはしばらく黙りこくり、とても答えづらそうに、言葉を選びながら音声を発する。
「…………リメア様、いえ、今のリメア様には、おそらく……どうすることも、できまセン……」
「……どうして?」
リメアは泣きそうになりながら聞き返す。
ただ返ってきたのは冷たく、正確な分析だった。
「街の方の反応や今までの情報からシテ、アリシア様の状況は、現在のこの星では珍しくもないと考えられマス。同じ状況の方は、大勢いらっしゃいマス。つまりこれが、日常なのデス。これが1点目、デス」
「……うん」
「2点目は、アリシア様の体調についてデス。客観的に見ても、病院にて適切な医療手当を受けるべき状態デス。しかし、御本人がそれを希望しておりまセン。おそらく、金銭的な問題が大きいのでショウ。しかし、リメア様はこの星の住民でない上に、決済するためのICチップもお持ちではありまセン、ですカラ――」
「そんなこと、わかってるよ! わかってるよ……」
握りしめたはずの手を、力なくだらりと垂らし、ため息を付く。
前髪から垂れた雫が、地面に向かって落ちていく。何度も、何度も。
「アリシアは、きっと、わたしが無理しないでって言っても、無理しちゃうの。気にしないでって言っても、なにかしてくれようとするの。それを、わたしは、やめてって、言えないの」
「……」
「どうしたら、アリシアを助けてあげられるの?」
「……リメア様には」
リッキーは一旦言葉を区切り、言い淀む。
しかし、リメアの翡翠の瞳は、まるで懇願するようにリッキーを見つめ続けた。
観念したようにリッキーは首を振り、残念そうに続けた。
「リメア様には、経験が、足りまセン」
「大人じゃないから、だめだってこと?」
「そういうことではございまセン」
「じゃあ、どういうこと?」
「それハ……難しい問いデス。デスが、今リメア様は、この状況でどうすればいいか、わからなくなってイル。つまりそれが、そのままその答えなのデス」
とても曖昧で、雲を掴むような話。
もどかしさについ言葉が強くなる。
「……じゃあ、アリシアを見捨てるってこと? リッキーはそうしろって言うの?」
「そういうことではございまセン」
「なにが、違うのよ……!」
ざあざあと、雨が激しく降り注ぐ。
通りには時折通過する車以外、誰も見当たらない。
街全体が、リメアたちを無視し続けているようだった。
――だったら、もういい。
リメアの中で、なにかがカッチリと固まった。
「わたし、決めたわ」
「……ハイ」
「次、アリシアに同じようなことがあったら、わたしが助ける」
「ハイ」
「なにがなんでも、助ける! 知識回路接続して、医療系の情報をインストールして、お医者さんの代わりになって助ける!」
「……ハイ」
「そしたら、そしたらきっと、アリシアだって」
リメアはぎゅっと歯を食いしばり、せり上がってくる喉を抑え込む。
「わたしのこと、しっかりしてるなって思って、いろんなこと、お話してくれると思うから……」
「……ええ、きっと」
リメアはゴシゴシと目をこすり、歩き出す。
雨で白む道の向こう、空っぽの家に向かって。
*
「……あれ? アリシア?」
ポーン、という電子音に起こされて、リメアは目を覚ます。
時刻は夜の12時を示していた。
雨に濡れて疲れたのか、連日の徹夜が響いたのか。
リメアはおさんぽから帰ってきた後、体を拭き、そのままソファで深い眠りについてしまったようだった。
部屋はベランダの外と同じく、真っ暗だ。
パチン、と照明をつけ、廊下を見る。
アリシアの靴はない。
「今日も、残業なのかな」
彼女がまだ帰ってきてないという事実に、リメアは少しホッとした。
以前、同じようにリメアが寝てしまっていた際、玄関が真っ暗だった事がある。
ドアの音を聞いてリメアが慌てて迎えに行ったのだが、その時アリシアはとても悲しくて寂しそうな顔をしていた。
電気をつけていれば、いつもアリシアはどんなに疲れていても、ホッとした顔で笑ってくれる。
だから、アリシアが帰る前に明かりをつけておく。これはリメアの仕事なのだ。
ベランダに顔を出し、通りを眺めてみる。
雨はいつの間にか上がっており、街中の水たまりにはネオンサインが反射していた。
……アリシアに似た背格好の人は、見当たらない。
「早く帰ってくるといいな」
リメアはソファに戻ると、毛布にくるまり、目を閉じた。
「……っ!」
気がつくと朝になっていた。
部屋全体がいやというほどに明るい。
ざわりと、胸騒ぎがした。
リメアはアリシアの閉じたままの部屋のドアを横目に、恐る恐る、玄関へと向かう。
靴が、ない。
アリシアは昨日、戻っていなかった。
思わず玄関から飛び出して階段を覗く。
薄暗い踊り場にアリシアが倒れているのではないかと思ったが、そこにも彼女の姿はなかった。
リメアはそろそろと玄関に戻り、そのままベランダに出た。
濡れて少し柔らかくなってしまった段ボールの箱によじ登り、手すりに身を乗り出す。
目を皿のようにし、通り全体を見渡した。
やはりアリシアはいない。
もしかしたら忙しすぎて、職場で寝てしまったのかもしれない。
雨がすごくて、会社の人のお家に泊まったのかもしれない。
そう自分に言い聞かせながら、栗色のショートボブを、探し続けた。
昼が過ぎ、夕方になり、夜になった。
遅すぎる。
アリシアがなんの連絡もなしに、これほど遅くなったのは初めてだった。
そもそも、日をまたいで帰ってきたことなんて、1度もない。
明らかに異常だった。
「リッキー」
「ハイ」
「どうしよう、アリシアが、帰ってこないの!」
「なにか、思い当たる点ハ」
リメアは首を横に振る。
「昨日の朝、家を出るときも、いつもと同じだった。なにも変なところはなかったよ」
「置き手紙ナドは?」
「ないよ。そんなのがあったら、わたしぜったい気づくもん」
「デシたら、アリシア様のお部屋に、なにか手がかりガ」
「アリシアの、お部屋――」
ベランダからリビングに戻ったリメアは、アリシアの部屋のドアを見つめる。
壁と同じ、白で塗られた木の扉。
リメアは、その向こうへ足を踏み入れたことがない。
以前入ろうとしたところ、アリシアから止められたからだ。
リメアも、それからというもの、部屋について言及することはなかった。
ごくり、とつばを飲み込む。
「いいの、かな?」
「緊急事態デスから、やむを得ないカト」
「そう、だよね……」
リメアの小さな手が、真鍮の冷たいドアノブに触れる。
悪いことをしているという感覚を振り払いながら、静かに回してみた。
カチャリ、という音とともに、ドアが開く。
部屋の窓は締め切られており、暗闇が広がっていた。
「お、おじゃまします……」
そろり、そろりと中へと入り、照明のスイッチを探す。
「あ、あった、これだ」
壁に向かい、背伸びしてスイッチを押し込むと、部屋が一気に明るくなった。
リメアは振り返り、息を呑んだ。
ベッド一面に、黒い血がこびりついている。
床にもところどころ血が滴り、乾ききっていた。
服は脱ぎ捨てられ、シーツはところどころ破けている。
血で汚れた枕からは羽毛が飛び出していた。
言葉を失い目を見張っていたリメアの双眸に、あるものが映った。
それは小さな長方形の箱。
孤児院から持ち出したのか、最近買ったにしてはやけに年季が入った、傷とサビに覆われた箱。
その正面には0から9までのボタンが付いていて、鍵がかかっている。
しかし。
「リッキー」
「えぇ」
そのボタンには、血がついたまま固まっていた。
押すべきボタンは、誰が見ても明らかだった。
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