第6話 事務屋と政治屋③

「はあ、頑張ります」


「とはいえ、今のアンタはただの徴税官だ。あたしも名前を聞いたことが無いくらいのね。“獅子が率いる小鬼の群れは、小鬼が率いる獅子の群れに勝る”んだろ? 責任者には箔の付く者を選ぶかもしれないよ。そうなったら、アンタはその下で汗をかきな」


 かえって有難い。

 トナリ市でそれなりに名の知れた人物が責任者になってくれるのであれば、色々と折衝が上手くいくはずだ。もちろん、よほどのトンマが来て、足を引っ張られる可能性もある。しかし、幻獣戦でそんな下手な人事はないだろう。


「竜を相手取る軍の長となると、先日の大鬼オーガを倒した戦士などでしょうか?」


「“鬼殺しのジョー”かい、ありゃダメだ。軍を率いるなんてできっこない、ただの我儘者だね」


 ベルチ執政官の顔が苦々しげに歪む。思わずチタルナル監督官を見ると、彼も不快気に頷いた。


「執政官の言うとおり、奴は無法者です。腕は立ちますが、軍を任せるなどということは、考えない方が良いでしょう」


 これにはベルチ執政官が何度も首肯する。


「そういうことさね。ところで、幻獣や竜を退治する官職となると、何になるんだい? 戦時の官職か神官系統の官職から見繕うのかい?」


「幻獣を討伐するための官職は、王国の法に存在しません。法外官職をその都度立法により創設して対応するのが一般的です。大鬼を討滅する時には鬼滅官、鉄鹿を狩る際には狩鹿官といった具合です」


「ふーん、そうかい。竜を退治する時には、どういう官職で、どういう権限を与えるんだい?」


「ジムクロウ将軍が竜を征討した際には、竜征官という官職でした。竜退治に限定した議案提出の権限が与えられましたので、同様にされると良いのではないでしょうか。具体的に挙げるならば、軍召集権と予算要求権は必ず行使します。そのほか、必要であれば徴発や土地使用、特別税の賦課徴収権ですが……」


「分かった。そのあたりは、議会と相談して決めておくよ」


「ありがとうございます。執政官と監督官にご推挙いただき、議会の賛同を得られるのであれば、これほど心強いことはありません。あとは護民官の同意も頂けるなら安泰かと思うのですが、ご挨拶させていただいても良いでしょうか」


 都市の長といえば、執政官だ。定められた範囲であれば自らの権限で決裁することが出来るだけでなく、重要案件について議会へ法案を上程し施策を進める権限を持つ。


 これに並ぶのは監督官と護民官の二つだ。

 監督官は、市民名簿や官職名簿を作成する職責を負うと同時に、不適格者を名簿から除名することで罷免し追放する権限を持つ。

 そして護民官は、民を守るために、執政官の決定や議会の議決を無効にする権限を持つ。


 この三つの役職こそ、味方にしておくべき都市の重鎮であると私は考えている。

 執政官がシム・ロークを竜征官に任命すべく議会へ提案したとしても、護民官はそれを撤回させる権限を持つという事だ。これは抑えねばならない点だと、当然に理解されるものと思っていた。

 しかし、私の言葉に執政官の表情は硬くなった。


「会いたければ会うがいいさ」


 煙草を深く吸い、そっぽを向いて煙を吐き捨てる。トナリ市では、護民官と貴族議会に距離があるのだろうか。


 護民官は、圧政から民衆を守るため、議会の決定に対して拒否権を行使することが出来る。その性質から、平民が構成する平民議会によって、平民へ与えられる官職だ。つまり、貴族によって構成される貴族議会とは対立する可能性を孕んでいる。


 とはいえ、貴族議会との対立を恐れずに拒否権を発動する護民官など、極めて稀だ。


 護民官に選任されるほどの者であれば、平民とはいえ裕福であるし、広く人々と結びつきを持っている。

 裕福な者が商売上で付き合いを持つ相手は、同じように裕福なものである。そして、貴族とは裕福な商売人であることがほとんどだ。


 貴族と日常的な付き合いがある者が、自ら貴族相手に軋轢を生むような行為はしない。そのような背景から、護民官の拒否権が行使されることなど稀だ。貴族や貴族議会と護民官が対立するなど、あまり聞いたことがない。


 だがトナリ市では、そんな稀な事態が起きていると言うのだろうか。

 ミュラの天秤があるのは好都合だ。あれが本物であるならば、執政官もこの場では嘘をつけない。ここは大いに情報をつかませてもらおう。


「私は、ここ少なくとも数年はトナリ市におりませんでした。ですので、情勢に疎いので教えていただけると幸いです。ベルチ執政官や貴族議会は、護民官と反目しているのでしょうか」


「いや、そんなことは無いよ」


 彼女の言葉に、天秤がギシと音を立てて揺れた。しかし執政官の胆力はさすがだ。顔色一つ変えずに言葉を続ける。


「……トナリ市の護民官は無法者なのさ。ちょっと前に大鬼が出た話は知ってるんだろう? その時に、貴族議会の命令を破って抜け駆けしたんだよ」

「それは、つまり……」


 護民官は、大鬼を撃退した戦士だということか。


「あの一件の後、“鬼殺しのジョー”とか呼ばれて、護民官にまで選出されて調子に乗っているようだけど、アタシからすれば、ならず者に過ぎないね」


 険のある声音で言い切った。天秤は動いていない。

 これは仲違いという程度の簡単な話ではないのかもしれない。ちらりとチタルナル監督官を見ると、肯定も否定も示さない無表情でいる。


「執政官に代わって、私がシム・ローク徴税官へ経緯の説明をします。よろしいですね?」


 チタルナル監督官が一歩前へ出ると、ベルチ執政官はそっぽを向きながら無言で頷いた。何にしても、詳しく聞かせてもらえるのであれば有り難い。


「我がトナリ市は、幻獣に不慣れだ。先日の大鬼の出現に際して、その対策を議論する貴族議会は、大いに紛糾した」


「経験が無い危機が目の前に現れたなら、それも無理はないかと思います」


 私の言葉に、チタルナル監督官は頷き、ベルチ執政官は横を向いたまま聞いている。


「ひとまず都市の門を閉ざし、防衛の備えを厚くし、女と子供を避難させるところまでは決定した。その間に対処を検討しようとしたのだ。私の目からすれば、やむを得ない範囲での混乱と遅滞であったと思う。だが……」


「そうは思わなかった者がいるという事ですね?」


「ああ。平民を中心に、貴族議会の動きを怯懦と見る向きが広がったのだ。直ちに門を開けて打って出るべきだとする主張が繰り返された。戦いを避けるなど言語道断ということだそうだ」


 ロムレス王国特有の風土だ。

 戦時の目的は、“勝つ”ことではなく、“戦って勝つ”ことなのだ。そのために損害が増えようとも、戦いを決断することは多くある。


「そんな論調が都市にはびこる中、一人の平民が独断で打って出た。執政官の話に出ていた“鬼殺しのジョー”だ。もともと優れた戦士だったのだが、大鬼を討伐した今では、“鬼殺し”として持て囃されている。だが貴族議会及び執政官の命令に反した行動を認めるわけにはいかない」


「分かります」


 貴族としても議会としても、法と権威を蔑ろにするわけにはいかない。たとえ功ある者であっても、不法行為には断固たる対応をしなくてはならない時もあるだろう。


「お話の内容を整理すると、独断専行ながらも事態を解決してしまった平民がおり、これを支持する平民勢力と秩序維持を重視する貴族とで、意見が割れている。その渦中の人物が護民官に選任されてしまっている……という、実に厄介な図式であるということで、よろしいでしょうか」


「おおよそ、そんなところだ」


 さて、困った。


 護民官は、執政官や議会の決定をほとんど全て無効にすることが出来る権限を持つ。何事も円滑に進めるには、この護民官と良い関係を築いておく必要がある。だが、この状況では叶わないだろう。

 私の困惑を見て取ったのか、ベルチ執政官がにやりと笑った。


「そうだね、アンタの言うとおり護民官を味方につけておけば、万事安泰だろうね。それに、大鬼を退治したんだ。剣の腕は確かだろう。あの跳ねっ返りを手懐けて、竜退治に参加させること。それが私からの最初の命令だ、いいね?」


「ベルチ執政官、それは難題が過ぎるのでは? 護民官と貴族議会との反目は、極めて強いと言えます。加えてシム・ローク徴税官は、トナリ市民ではあるものの、最近は市を離れていて情勢に疎い。適任とは言い難いです」


「そんなのは百も承知だよ。でもね、竜を倒そうって言うんだ、一人の人間を意のままにするくらい、こなしてもらわなくちゃね」


 詭弁だ。

 だが、私の立場では反論出来るものではない。


「承知いたしました。取り組んでみます」


「ジ……シム・ローク徴税官、出来もしないことを約束するべきでは……」


「本人がやると言っているんだ、これ以上言う事は無いよ。さて、竜征官とやらを任命する準備で忙しくなるね。議会を招集しないとならないし、上程する議案も作らなきゃならない。昼食時も近いし、今日のところは帰りな」


 ベルチ執政官が邪険に手を振った。

 ここまでのようだ。


「畏まりました。本日はありがとうござました」


 深く一礼して、チタルナル監督官と共に踵を返した。

 退室すると、二人でため息を吐いた。


「竜退治の前に、無理難題を押し付けられたな。早速、護民官の居場所を調べさせる。……それにしても、大丈夫か?」


 端正な顔のチタルナル監督官が、眉根を寄せている。私は口の端を少し持ち上げて、何の根拠も無くゆったりと微笑んで見せた。


「大丈夫です、何の問題もありませんよ。まずは昼食でも摂りましょう。“軍隊の進軍は補給次第”と言いますからね」


 さて、口ではこういったものの、本当に困った。

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