第5話 事務屋と政治屋②
「なんでも、アンタ自身はへなちょこの事務屋に過ぎないが、幻獣退治の軍を率いることができるって言うじゃないかい?」
「ええ、大方そんなところです。獅子が率いる小鬼の群れは、小鬼が率いる獅子の群れに勝ると言います。つまり、明確な目的と具体的な手段を示し、そこへ向けて不安なく取りかかれるような環境を整えれば、幻獣戦に不慣れな兵であってもやり遂げられるのです。そのためには、権限と予算、書類の調製が必要不可欠です」
「なるほど、なるほど。つまり、トナリ市の兵が弱いっているのかい? そんでもって、アンタが獅子だと?」
「幻獣を前にすれば、ロムレス王国の自由市民であっても、ほとんどが満足に働けないでしょう。人間同士の戦争とは違います。トナリ市民が弱いのではなく、幻獣戦が特別なのです」
「ふん、もう少し詳しく知りたいね。いくつか質問させてもらうよ」
「ええ、何なりとご質問ください」
「そうかい。それじゃあ、これを使うけど、もちろん問題ないだろうね」
ベルチ執政官が顎で合図をすると、従者が女神の像を運んできた。左手に天秤を持ち、右手に短剣を持っていることから、女神ミュラの天秤像であると分かった。
「こいつのことは知っているかい?」
「審判と真実を司る女神ミュラの加護を受けた天秤像ですね。証言の虚偽を見抜く神威がある……と言われています」
私の説明に、ベルチ執政官は目を見開いて笑った。
「良く知っているじゃないか。今日のためにわざわざ神殿から借り出したのさ」
さて、困った。受け答えが難しくなった。
あの神器が本物であるかどうかは分からない。
だが、神の加護を受けているのであれば、真偽の判別をする権能を持ち合わせている。こんな貴重品は、大掛かりな裁判でもなければお目にかかれるものではないが、執政官であれば、その影響力を行使すれば持ち出すこともできるだろう。
ちらりとチタルナル監督官を見ると、戸惑ったように眉を曲げている。想定していなかった事態のようだ。
ここは、神器が本物であるとして言葉を選んだ方が良い。
女神ミュラの天秤像は、発言者が虚偽と認識している発言があれば、天秤が揺らぐ。
そして私は、すでに嘘を抱えている。
姓名はシム・ロークではないし、トナリ市民でもない。ジムクロウ将軍の配下として幻獣戦に参加したという経歴を名乗っているが、そもそも私自身がジムクロウだ。
これを隠したままに彼女と会話し、その信頼を勝ち取るとなれば、ちょっとした問答にも気が抜けない。
「さあ、早速聞かせてもらおうかい。アンタは、あの幻獣殺しのジムクロウ将軍の下で働いたことがあるらしいね。ジムクロウ将軍といえば、王国に並ぶ者のいない伝説的な偉人だ。アンタはその下で、具体的に何をしたんだい?」
「ジムクロウ将軍は、西方連山から現れた
ミュラの天秤は微動だにしていない。
「飯の準備くらいで、どれだけ貢献したって言うんだい? 自分を幻獣退治の第一人者だと、胸を張って言えるのかい?」
「幻獣退治の勇者は、実際に前線で矢を放ち、盾を構え、槍を振るう者達です。彼らの不安や不都合を減らし、しっかりと討伐できるよう段取りを組み、遺漏無く準備する事こそが、幻獣退治において肝心肝要と考えています」
「ふん、これまでの幻獣戦で特に困難だったことは?」
「
「もっと具体的に言いな。誤魔化しは効かないよ」
「多頭蛇の住む湖沼は腰までの深さがあったので、まともに戦うために知恵を絞る必要がありました」
「なんだい、船でも用意したのかい? 海軍に協力させたとか?」
「いえ、土木技師に依頼して湖沼の水を抜きました。流れ込む川の向きを変え、排水路を構築して土地を乾かしたのです。土木技師達にとっては慣れぬ幻獣戦です。彼らに不安なく気持ちよく討伐へ参加してもらうため、報酬や役務内容の交渉に手を焼きました」
「黄金獅子の方は?」
「幻獣の出没する山林が
「そんなことがあるのかい? 黄金獅子と言えば、象みたいに大きいうえに鳥より速く駆けるんだろう? そんなのが山にいたら、木を卸してる場合じゃないだろうに」
「複数の都市からなる組合でしたから、色々としがらみや考え方の違いがあったようですね。伝統を重視し、木こり以外は山に入るべからずという者。組合内で非主流派であったので、組合の考えには何でも反対したい者。理由は様々ですが、反対する者はいました」
「ああ、そういうことはあるだろうね」
さもありなんといった顔で執政官が頷く。
「それで、どうしたんだい?」
「ジムクロウ将軍を林業者組合に加入させて、黄金獅子討伐も森林保全の狩猟行為だとして切り抜けました」
「ははっ、それは痛快じゃないか! 幻獣退治も兎狩りも変わらないっていうのかい。好きだよ、そういう詭弁と強気は」
「はあ、恐縮です」
私の答えに、執政官はフンと鼻を鳴らし、目つきを険しくした。
「それらは、アンタが頭の中から捻り出した考えかい? それとも、ジムクロウ将軍の指示どおりに、使いっ走りをしただけなのか、どっちだい?」
「ジムクロウ将軍が思い付かなかった案を私が提案したわけではないですし、私が全くの使いっ走りであったわけでもありません。私の考えとジムクロウ将軍の考えは、一体的で不可分のものとでも申しましょうか……」
「ほう。ジムクロウ将軍といえば、ロムレス王国の生ける伝説だ。その伝説の男と自分を並べるなんて、随分と鼻っ柱が高いね。シム・ローク、アンタはジムクロウ将軍より優れているって言うのかい?」
「それは……回答が難しい質問ですね」
私の答えに、執政官は破顔した。
「自信家じゃないの! 気に入ったよ。アンタに竜討伐の官職を任せよう。近いうちに議会を招集して、議案を提出しようじゃないか」
「はあ、ありがとうございます」
彼女は、きっと勘違いをしたのだろう。
貴族であれば、元老院議員より自分自身が優れているなどと公言しない。するわけがない。相手の体面を損なうからだ。だが、事実として自らの方が優れていると確信しているならば、女神ミュラの像の前で嘘のおべっかを言うわけにもいかない。だから答えに困った。きっと、そんな勘違いだ。
実際には、シム・ロークとジムクロウが同一人物なので、優劣をつけられなかっただけだ。
釈然としないところはある。だが、上手くいったのならばそれで良しとする。
「竜が出るなんて、ここいらじゃあ120年ぶりだ。どこの都市も腰を抜かしてるだろうよ。トナリ市が何の助力も得ずに竜退治を遂げたとなれば、名が上がる。大いに上がる。幻獣退治の経験がある市民がいたなんて、腰を抜かすほど幸運だね。実に幸運だ」
ベルチ執政官は、口角を上げ、目を見開いて笑っている。興奮しているのか、口調も速くなり、語気も強くなっている。
「農業と商業は上手くいっているからね。あとは武力だ。王国中に強さを示せれば、いやが上にもトナリ市の存在感が増すってわけさ。王や大貴族の行幸を迎えたり、元老院の議員を輩出したり、しっかりとした名誉を掴みたいもんだね」
元老院議員とは、王国中に号令をかけることもできる地位であり、名誉もある。都市に一人でも元老院議員がいれば、その影響力は段違いに増すだろう。
「そのためには、シム・ローク。あんたには気張ってもらうよ。竜退治のためなら、アタシらも協力を惜しまないからね」
ベルチ執政官が、欲望を隠さぬ笑みを投げかけてくる。
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