第7話 事務屋と鬼殺し①

 トナリ市に急拵えした仮の住まいで、チタルナル監督官と向かい合って座った。


 彼との間には、昼食を並べたテーブルがある。鮫の香草焼きや豚肉の果物蒸し、麦とラム肉のスープなどが並び、美味しそうな湯気を立てている。そんなごちそうを前に、チタルナル監督官は端正な顔立ちを曇らせている。


「どうかしましたか?」


「大皿が20……これは……」


「足りませんか? 追加させましょう」


「いや、結構。これ全部が昼食なのか?」


「ええ、私とチタルナル監督官の二人分です。私の料理人が、腕を振るってくれました。味は保証しますよ」


「……大層なもてなしで、とてもありがたい」


「足りなければ追加します。遠慮なさらずに」


 監督官の皿に、豚肉の塊を取り分けてやる。野菜や果物と一緒に焼いているので、柔らかく香ばしいはずだ。手ずから、葡萄酒も注ぐ。

 チタルナル監督官は、黄金の髪をくしゃくしゃとかきながら開き直ったように酌を受け入れた。

「……義母はは……ベルチ執政官との面談は、ひとまず上手くいったな」


「ええ、これで私は竜退治に関われそうです。もしかすると“シム・ローク竜征官”になるかもしれませんね」


 言いながら、鮫の香草焼きを一口つまんだ。美味い。

 トナリ市は海が近いので、魚が新鮮で種類も豊富だ。しばらくは海産物を楽しめるかもしれない。チタルナル監督官には、麦とラム肉のスープを大皿ごと渡した。旬の香草とラム肉が薫る逸品だ。


「ミュラの天秤像が出てきたときには冷や汗をかいたが、流石に百戦錬磨のジムクロウ将軍だ。論理と弁舌が上手い」


「本音を言えばあまり納得していないのですが、結果が良かったので、これで良しとしましょう」


「そうだな。ところで、新居はどうかな?」


 そう言って、ぐるりと部屋を見回す。


「おかげさまで、生活に支障はありません」


「それはよかった」


 チタルナル監督官の伝手で見つけた借家は、城壁に近い小さな一戸建てだ。広さは期待できないが、浴場が近いし、井戸と下水が使える。壁はレンガ造りでしっかりしているし、窓にはガラスだけでなく鉄格子もあり安心できる。何より馬をつないでおくことができる小屋が付いている上等な物件だ。


 身の回りの世話を頼むための奴隷を少ししか連れて来ることができなかったので、あらかたが揃っているこの家は、とても便利だ。狭いという点も、かえってありがたい。


「それにしても、執政官は無理難題を課してきたな。護民官……鬼殺しのジョーを懐柔せよというのは、明らかに無理な話だ」


「ええ。恐らく彼女は、失敗してもよいと考えているのでしょう」


 推測だが、ベルチ執政官ほどの腹黒い政治家ならば、既に護民官に対して融和や屈服を求める複数の手回しを行っているだろう。


 つまり、私は無数の矢の一つに過ぎない。成功は期待されていないのだ。


しかし私は、失敗をすればベルチ執政官に許しを乞うことになる。そこで彼女は寛容な態度を示して、私を許すだろう。そうして精神的にも優位に立とうとしているのだ。


 相手にわざと失敗させ、これを寛大に許すことで手綱を握る手法は、今まで幾度か見てきた。おそらくベルチ執政官は、専門的な知識や技術を武器とするのではなく、人との関係における優位性を掴むことで自身の勢力を伸ばしてきたのだろう。そういう人間は、屈服も失敗もしない人間を嫌う。


 それなりに服従の姿勢を見せたつもりだが、まだ足りなかったのだろう。賄賂でも渡しておけば違ったのかもしれない。


「なるほど、君の言うとおりかもしれない。執政官は、そういう駆け引きが得意だ」


 流石に若くして監督官になるだけあって、鋭敏だ。私の考えもベルチ執政官の思惑も、読み取っている。


「大人しくベルチ執政官に降伏するか?」


「いえ、ひとまずは挑戦してみますよ。“神に祈ったなら、あとは無心で剣を振れ”と言うでしょう。やってみれば、意外と道が開けるかもしれない」


「しかし、全くの無策では身動きをとれないだろう」


「まずは護民官に……鬼殺しのジョーに会って話します。為人を知り、その心に寄り添えば上手くいくこともあるでしょう。例えば……」


 私は、机の上に乗っている籠を人差し指で押し、卓から落とした。中には銀製の小皿や杯がいくつか入っており、大きな音を立てて床を転がった。


 その音が止む前に勢いよく扉が開かれ、奴隷の子がこん棒を持って現れた。鋭い目付きでチタルナル監督官を睨んでいる。その気勢をなだめるように、優しく声をかける。


「大丈夫、問題はないよ。食器を落としただけだ。すまないが、片付けてくれないか。ありがとう」


 私が落ち着いて座っている様子を見ると、床の籠と食器をまとめ、素早く退室していった。


「私が所有する奴隷の子で、イーオという名です。あなたが私に危害を加えていないか、心配して駆けつけてくれたんですよ」


「類まれな忠誠心だ」


「あの子は、将来、家屋設計師になりたいそうです。ですので、家庭教師をつけてやっています。そして、仕事をする上で賃金を与えています。働き方次第では、成人するまでには、自分を買い戻すことができるでしょう」


「奴隷に家庭教師をつける? そのうえ賃金まで? 随分と珍しいことをしているな」


「その結果が、ご覧のとおりです。あの子は、手に職をつけて自由になりたい。私としては、心から信頼できる仲間が欲しい。私達二人の希望を、上手く折り合わせることが出来ているのです」


「なるほど」


「ちなみに、これはイーオに限ったことではありません。部屋に飛び込んできたのはあの子だけですが、扉の前と窓の外に一人ずつ、様子をうかがっている者たちがいます」


 私の言葉に、チタルナル監督官が素早く左右に目を配る。

 窓の外では馬飼の奴隷が、蹄鉄用の金づちを持って様子を伺っている。

 隣室への扉では、少し開いた隙間から包丁を握った料理番が覗いている。

 何かあれば、駆けつけてくれるだろう。この二人も、私の心強い奴隷たちだ。


「人心掌握などと偉ぶるつもりはありません。相手についてよく知り、相応の段取りを踏んだだけです。そして幻獣討伐も同じです。屈強な戦士一人を連れて行けば解決する場合もあるでしょうが、大抵はそうではありません。然るべき手順で、一朝一夕ではない準備をもって討伐に取り組む必要があるのです。そしてまた、これは鬼殺しのジョーとの対話にも通じるでしょう」


「……君に任せておけば、全てが上手くいってしまいそうだ」


 そんなことはない。


 葡萄酒酢ワインビネガーを使ったキャベツサラダを彼に取り分けつつ、そう言おうとしたところで、扉が叩かれた。「どうぞ」と声をかけると、イーオが再び現れた。「監督官の使いという人が、これを」と紙片を持ってきたので、机に広げて見ると「マルスの丘」とだけ書かれている。


 マルスは戦神の名だ。この名が付く地名など、ロムレス王国中に数えきれないほどある。だが答えはチタルナル監督官がして知っていた。


「護民官の居場所だ。人を使って確認していたのだ。しかし、ここは……」


「何か曰く付きの土地ですか?」


 干ブドウのパンにオリーブオイルと塩を塗ったものを渡しながら尋ねると、チタルナル監督官は鋭い目付きで端的に回答した。


「トナリ市の東に位置する丘だ。ここから竜が目撃された」


 思わぬ情報に手を止めた。


「早速、会いに行きたいのですが、案内をお願いしても?」


「もちろん。今すぐに向かう」


 チタルナル監督官は、パンと果物を頬張り葡萄酒で流し込んで立ち上がった。


「ところで……あまり食べてないようですが、大丈夫ですか?」


 並んだ皿のうち、チタルナル監督官が手を付けたのは、ほんの一部だ。ちゃんと満腹になったのだろうか。


「……大皿を5つも空にした。大人の男だとしても、十分な量だ。君は……大皿を10も食べているが、大丈夫か?」


「私は少し足りないですね。5皿程度で腹が足りているなら良いのですが」


 今は彼の小食を心配しても仕方ない。

 イーオに声をかけてから家を出る。


正午を過ぎているので、石畳の街路を歩く人は減りつつある。商人が多く歩いていた朝とは違い、道を行くのは職人や技術者、奴隷たちだ。

 多くの市民は、宴会か浴場に向かったのだろう。


「馬を使わせてもらう。君は後ろに」


 そう言ってチタルナル監督官は、私の愛馬ファルクスに跨った。ハミを噛ませてから手綱を取るまでの動きは、手馴れている。

 監督官に選任されるだけあって、軍人としての経験があるのだろう。騎兵だったのかもしれない。


 実に頼もしい。

 だが、不服だ。


 チタルナル監督官は自前の馬を連れていないので、相乗りをすることになる。彼が手綱を取ったという事は、私が後ろに乗るのだろう。実に不服だ。


 けれど私は道を知らないし、街中では監督官である彼でなければ騎乗出来ない。急ぐ理由も分かるので、不承不承、大人しく彼の後ろに飛び乗った。

 チタルナル監督官は長身だが細身であるし、私は小柄と言ってもいい。そしてファルクスは抜群の名馬だ。二人を乗せて、苦も無く走る。


 街中を疾走する馬に人々は驚くが、チタルナル監督官の顔を見ると納得したように道を譲る。

 市民に広く知られ、なおかつ尊敬されているのだろう。普段の彼の仕事ぶりが、よく分かる。


 城門で「マルスの丘に急用だ、暮れまでに戻る」と叫ぶと、衛兵が最敬礼で道を開けた。初めて乗る馬を巧みに操るし、発言は短く的確だ。優れた軍人だったことが分かる。だが、先ほどまでの落ち着いた雰囲気は無く、剣呑さをまとっている。


「チタルナル監督官は、もしかすると怒っていますか?」


「ああ! 激しい憤りを感じている。マルスの丘を含めた竜の出現域は、物見の兵を除いて、立ち入りを禁じている。執政官が議会に提案し議決された命令で、適法かつ正式なものだ。鬼殺しのジョーは、護民官という要職にありながら、これを破っている。違法を看過するわけにはいかない」


 法と秩序を愛する正義の男としては、何より法を犯す行為は我慢がならないということだろう。この点、私としては好ましいと感じる部分であるし、やれやれと思わないでもない。


 怒気をまき散らしながら手綱を握る男の駆る馬に乗って、トナリ市を飛び出した。

 城壁を抜け、都市を囲う水掘りに架かる石橋を渡り、都市を囲む麦畑の間を駆け抜ける。麦秋なつが近い。広大な畑は、黄金色に染まりつつある。


「もし竜がこの畑を焼いたら、トナリ市に住む10万人は、餓えと貧困に直面しますね」


「そのとおりだ。今のところは街から離れた農場で牛を襲う程度だ。竜を下手に刺激して他所が被害に遭わぬよう、無闇に寄るなと布告している」


 至極まっとうなやり口だ。

 合理的で必要な措置であるし、何より適法な命令であるのだ。これを破られては、青筋を立てる様子にも納得できる。


 畑を抜けて、いくつかの川を越えた辺りで丘が見えてきた。歩兵が500もあれば包囲できそうなほどの小さな丘だ。

 その丘の上に、身の丈ほどの大きな剣を佩いた人影がある。


「あれですか?」


「あれだ」


 鬼殺しのジョーを見つけたチタルナル監督官は、その目前まで馬を走らせて止まった。


「ここで何をしている、鬼殺し!」


 チタルナル監督官の怒鳴り声に振り返ったのは、鋭い目つきの女性だった。

 軍人や戦士にしては珍しく、長髪だ。黒髪をなびかせ、同じく黒い瞳がこちらを睨んでいる。


わたくしの名はジョセフィーヌ・クインですけれど? いつから愛称で呼ぶほど仲良くなったと勘違いいたしまして? 勝手に懐かないでもらいたいのですけれども」


 驚いた。

 今まで、鬼殺しのジョーは男性だと思っていた。だが、可憐な少女だった。

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