第10話
お祭りの次の日は、朝から強い風が吹いていた。
「この付近に台風が上陸するらしいよ。それで、動物園の人から、別の日に行きますって、さっき連絡があったよ」
僕は、密かに「ヤッター」と思った。
「今夜は二人共、家に帰った方がいい。僕が一人でここに泊まるよ」
「いや! 絶対ここにいる!」
サキちゃんが言った。
「じゃあ、草太君は家に帰りなさい。何かあったら大変だから」
「いや! 絶対ここにいる!」
僕も言った。高杉先生は、
「やれやれ・・・君達のそういう頑固な性格は、ゴリラみたいだ」
と、苦笑いしながら言った。
午後になり、空はどんよりとした雨雲に覆われ、風がゴーゴーと音をたてて吹きまくり、木や草もザワザワと揺れ始めた。けれど、リキは平気そうで、いつもどおり、森の中で元気に遊んでいた。
サキちゃんと僕は、パソコンとか宿題とか本や資料など、ぬれては困るものを「人隠しの穴」から家へ運んだ。高杉先生は、急な往診や怪我をした犬の手術で、その日は夕方まで戻ってこなかった。
牛舎でも、外に置いてある道具を建物の中にしまい、普段開けっ放しにしている窓を閉め、台風対策をしていた。
おじいちゃんの家でも、おばあちゃんが、忙しそうに、縁側の雨戸を閉めたり、ラジオや懐中電灯を用意していた。
その夜僕達は、横なぶりの雨をしのぐ為に「人隠しの穴」の中にテントを張った。リキは、その横にベッドを作った。そして、台風に荒れ狂う森を眺めていた。風がとても恐ろしい音をたてて吹いていた。その音に混じって、時々間違ったようにセミや鳥の鳴き声が聞こえた。
僕達は、ラジオの台風情報を聞きながら、ランタンの明かりの下でトランプをし、いつもと違う森の夜をちょっぴり楽しんでいた。
リキは、ラムネのビンで遊んでいた。ランタンに照らされたラムネのビンがきれいに輝き、それを見つめるリキの瞳も輝いていた。
しばらくすると、突然リキがラムネのビンを放り出して、立ち上がってソワソワ歩き始めた。そして「グッ グフウウウム、グッ グフウウウム」とゲップ音を出しながら、ペコペコペコとドラミングをし、穴の奥へ走り寄ってはまた戻って来る、を繰り返した。僕達は、トランプの手を休め、リキの行動に目をやった。
「リキ、どうしたの?」
サキちゃんが近づいて抱きしめたり、僕が手を繋いだりしたけれど、その行動は止まらなかった。
高杉先生が、不審な顔をしながらラジオを消した。
「ちょっと、何か聞こえない? ねえ、ほら?」
穴の奥から「グッ グフウウウム、グッ グフウウウム」というゲップ音が聞こえてきた。そして、その音は次第に大きくなって近づいてきた。リキは、その音に合図するみたいに「グルグルグル、グルグルグル」と、小さく喉を鳴らした。
「シルバーバックだ・・・・・・」
高杉先生とサキちゃんが、同時に言った。
僕は、驚きながら、穴の奥に目をやると、シルバーバックの銀色に輝いた体がくっきりと浮かび上がり、ナックルウォークでゆっくりと近づいて来ているのがわかった。
リキはその姿に興奮しながらも、甘えるような声で「グッ グフウウウム、グッ グフウウウム」と、ゲップ音を繰り返していた。その音に答えるように、シルバーバックも「グッ グフウウウム、グッ グフウウウム」と、やわらかなゲップ音を出した。そして、シルバーバックは僕達から少し離れた所で立ち止まり、まっすぐな目で僕達の方を見たので、僕は二、三歩後ずさりをしてしまった。
よく見ると、シルバーバックの体には幾つかの傷跡があった。けれど、とても優しい、穏やかな目でリキを見つめていた。その姿からは、「ここから先はいけないから、ここで待っているよ。さあ、どうする?」と言っている様に見えた。
リキは、繋いでいた僕の手をするりと解き、「フヌフヌフヌ」と甘えたような鼻声を出しながら、穴の奥の暗闇へ向かって歩いて行った。途中、転がっていたラムネのビンに足があたり、ビンはカラカラカラという小さな音を立てて転がっていったけれど、リキは気にしない様子で、シルバーバックに歩み寄っていった。そして、シルバーバックの体に抱きつくようにしがみついた。
シルバーバックは「グッ グフウウウム」と優しいゲップ音を出しながら、包み込む様に抱きしめ、そして二頭のゴリラは、穴の奥に向かって歩いていった。
途中でリキは僕達の方を一回だけ振り向き、しばらくじっと見つめていた。黒くてまん丸で、良く動く瞳が潤んでいた様に見えたのは、僕の目が潤んでいたからかも知れない。
僕は、消えてゆくリキの後ろ姿に向かって「リキ、いつか会いに行くから、アフリカの森の中でまた会おう。それまで、元気でいてね、立派なシルバーバックになって僕を忘れずに待っていてね」と、心の中で語りかけた。涙がたくさん出て、声にならなかったし、そういう気持ちを、言葉にするのが恥ずかしかったから。
サキちゃんが僕の肩を抱きながら、
「『さよなら』を言わない別れは、本当の『さよなら』じゃないから、いつか必ず、会えるよ」
と、言った。サキちゃんも泣いていた。
リキがいなくなった「人隠しの穴」で、僕達はその夜を過ごした。もしかしたら、リキが戻ってくるかもしれない、という期待も少しあったから。でも、リキは戻ってこなかった。
「人隠しの穴」が、どこに繋がっているのか、解らない。未来なのか、過去なのか、アフリカなのか、未知の世界なのか、天国なのか。闇は、どこにでも、繋がっているのかも知れない。
翌朝、台風は何処かにいってしまったようで、いつものような夏の青空に戻っていた。雨に濡れた森の緑はいっそう濃くなり、樹や草の青々しい香りに満たされていた。もし、今ここにリキがいたら、一番に目覚め、僕達を起こし、雨上がりの青い空を見上げ、新鮮な朝の空気を吸い込み、思いっきり森の中を駆け回っただろう。そんな、迷惑なくらい早起きのリキに揺り起こされる事もなく、僕達の森でのキャンプ生活は終わった。
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