第7話
翌朝、誰かが僕の腕をツンツンと押したり、軽くひっぱったりするので、それで目が覚めた。そしたらそこに、リキがいて、黒い瞳を輝かせながら、「朝だよ。起きて一緒に遊ぼうよ」と、言っているみたいだった。
サキちゃんと高杉先生も、リキに起こされたみたい。
リキはまだ、元気に動ける様子ではなかったけれど、ゆっくり、よたよたと、ナックルウォークというゴリラ特有の歩き方で、テントと寝ていた藁の間を移動していた。時々、バナナや野菜や果物を食べ、僕達の行動を横目で見ながらゴロゴロし、そのうち眠ってしまう。食べて、寝て、食べて、寝て、の繰り返しだ。
僕達は、リキの様子を見ながら順番に家に戻ってご飯を食べたり、仕事をしたり、お風呂に入ったりした。
タロウは放牧している牛の番をする仕事があるので、牛舎へ行ったり、牧場へ行ったり、おじいちゃんの所に行ったりしながら、時々僕達の所にやって来た。
高杉先生が、折り畳み式のレジャーテーブルとイスを持って来てくれたので、僕はそこで宿題をしたり、本を読んだり、絵を書いたりした。
サキちゃんも、パソコンをたっぷり充電して、そこでレポートを打っていた。
高杉先生は、時間があいた時はリキの様子を見に来たし、夜は一緒に泊まってくれた。高杉先生は、来る度にゴリラに関する本や資料を持って来たので、「人隠しの穴」はちょっとした資料室みたいになっていった。
そんなふうに、僕達は、森の中で静かに過ごした。
「人隠しの穴」での暮らしは、なかなか快適だった。穴の奥からは、ひんやりとした風が吹いて来るからそれ程暑くないし、木に囲まれているから日差しは優しい。リキも、おとなしくしていて、自分の体に元気が沸いてくるのを待っているみたいだった。
そして、リキと出会って4日目の朝、目を覚ましたら、リキの姿が消えていた。僕は、慌ててサキちゃんと高杉先生を起こし、3人でリキを探した。まだ太陽が昇ったばかりで、道端に咲いている草には、朝露が光っていた。
いったい、いつからいなくなったんだろう。そんなに遠くへは行っていないはずだ。僕は、雑草を掻き分けてリキを探した。すると、何かが僕の頭の上に落ちてきた。それと同時に「グコグコグコ」と低いあぶくの様な音が聞こえた。見上げたら、リキが木の上で、とぼけた表情をしながらバナナを食べていた。僕の頭の上に落ちてきたのは、バナナの皮だった。僕は、
「リキ! あぶないぞ!」
と、大きな声で言った。でも、リキは知らん顔をしていたから、僕はその木によじ登った。リキは、僕が登ってくるのを木の上から「登れるのかい?」って言う顔をしながら見ていた。そして、僕がリキの隣に座った時、クルクルした黒い瞳で僕を見ながらバナナを一本くれた。この森の中には、バナナの木なんてないから、リキが食料を入れてあるカゴから持って来たんだろう。
「危ないじゃないか、リキ。もう、木に登ったりして大丈夫なの?」
近くでサキちゃんと高杉先生の「リキー!」と言う声が聞こえている。僕は「ここだよー!」と、叫んだ。リキも「ウォッ ウォッ」と、ゲップみたいな、しゃっくりみたいな音を出した。
サキちゃんと高杉先生が木の下にきた時、僕とリキは二人の頭を目指してバナナの皮を落とした。サキちゃんと、高杉先生のびっくりした表情を見て、僕達は笑った。「グコグコグコ」と低いあぶくのような音は、リキの笑い声だったんだ。
その日から、リキは元気になって、僕達をとても困らせたり、笑わせたり、感心させるようになった。
まずリキは、腕に巻いた包帯を嫌がって自分で取ってしまった。まるで、「もう治ったよ。痛くないよ」と主張しているみたいだった。それから、昼寝をする時や夜寝る時は、草や木のつるや、藁を使って、自分でベッドを作った。それは、とても寝心地の良さそうなベッドだった。僕も、真似をしてその隣にベッドを作って見たけれど、リキの様に上手に作る事はできなかった。
リキはそのベッドの上に、丸くてコロコロしたうんちをした。出会ったばかりの時は、下痢っぽいうんちだったけれど、近頃はなかなかいいうんちだ。高杉先生が調べた本によると、『ゴリラは恐怖心やストレスによって下痢便が続く事がある』と書いてあったので、今僕達と一緒にいる事は、リキにとっていい事なんだろう。
それから、いろいろな物に興味をしめす。きっと、好奇心いっぱいなんだ。ある時、高杉先生がカメラを持ってきて僕達を写してくれた。リキは、カシャッ、カシャッ、と音がするカメラに興味を持ったようで、そのカメラを持って木に登ってしまった。僕には登れないくらい高い木で、リキはしばらく下に降りてこなかった。木の上では、カシャッ、カシャッ、とシャッターを切る音や、フラッシュが光ったりしていた。リキはカメラが気に入ってしまったようで、手ぶらで木から降りてきた。そして、時々その木に登っては、カメラをいじっていた。
高杉先生は、バナナやオレンジを前にして「カメラと交換」と言いながら木の上を指差したりしたけれども、そういう時に限って、リキは知らん顔をした。
僕が宿題をしている時にも、僕の真似をして、小枝を拾ってきては地面に何かを書いていた。僕がサキちゃんに「リキってすごいよ。僕の真似をして字を書いているよ」と言うと、リキは得意げに、横目でチラッと僕らを見るんだ。リキのそんな仕草がおかしくて、僕らはよくリキを誉めた。リキは、聞こえないふりや、関心がないふりをしているけれども、でも本当はちゃんと聞こえていると思う。
それから、きれいな花が咲いていると、その匂いをかいだり、じっと見つめたりしている。そして、時々サキちゃんにプレゼントしたりするので、サキちゃんはその度にとても喜ぶ。何で、花一本であんなに喜ぶんだろう。僕にはわからなかったけれど、高杉先生は「リキのジェントルマンな所には、僕はかなわないなあ」と呟いていた。
こんなふうに、毎日リキと一緒に過ごしていると、リキが豊かな表情を持っている事や、ゴリラ語がある事がわかるようになってきた。
表情は、だいたい僕達人間と同じだ。そして、リキは時々、人の目をじっと見つめる事がある。そんな時は、何だか僕の方が恥ずかしくて目をそらしてしまう。心の中を見透かされるってこんな気持ちなんだろうか。
ゴリラ語は、なかなか難しい。人が話す言葉とは違った種類のもので、ゲップ音や喉を鳴らす「音」のようなものだ。
例えば、楽しい時は「グコグコグコ」と低いあぶくのような声で笑う。そういう時は、明らかに顔も笑っている。安心して寝ている時には「フルルルル」という鼾のような音をだすし、朝起きると「グルルルル」と喉をならして「おはよう」の挨拶をする。何かよく解らない物を見つけたり、聞きなれない音を聞いた時には「フニック」としゃっくりのような音をだしたり、「コッコッコッコ」という音を出しながら警戒する時もある。そして、ドラミングといって胸の辺りを叩く事がある。リキはまだ子供だから「ペコペコペコ」と、かわいらしい音しかでないけれども、シルバーバックのドラミングは、地響きかと思うくらいすごい迫力があるらしい。リキも大人になって立派なシルバーバックになる頃には、そんなゴリラらしいドラミングをするのだろうか。
そんな事を考えていると、高杉先生が言っていた、ゴリラがすむ森の話を思い出してしまう。リキはいろいろな危険から逃れて、立派なシルバーバックになる事ができるのだろうか・・・。僕がそんな事を心配してサキちゃんに言うと、
「立派な大人になれるかどうかっていう心配は、草太にだっていえる事だよ」
と言った。僕は、「なるほど・・・」と思った。
僕は、一日に一回はリキと森の中を散歩し、ターザンごっこをしたり、虫取りをしたり、追いかけっこやかくれんぼをした。森の中では、リキの方が有利のような気がした。木に登るのも、かくれるのも、虫を採るのも、リキは上手だった。でも、リキは川の中に入るのは苦手だった。僕が川の中で水浴びをしていても、中に入ってこない。「はやくこっちにおいでよ」と言いたそうに、川岸から「ウーウー」と口をつぼめて文句を言っている。僕が、「冷たくて気持ちがいいよ、おいでよ」と言いながら水をかけると、慌てて逃げてしまう。そして、ちょっと離れた所で様子を見ているんだ。
直樹や和弥に約束したカブトムシとクワガタを捕まえる時にも、リキは一緒になって虫を採った。リキのお気に入りはカエルだ。カエルは、リキの腕の上でゲコゲコないたり、ジャンプをしたり、目玉をクルクルさせているから、見ていて面白いのだろう。
リキは、大きくてゴツイ手で、虫やカエルを優しく捕まえる。そして、腕の上に乗せて、動きをじっと目で追っている。時々、ニタっと笑ったりしている。けして、虫やカエルをいじめたり、傷つけたりしない。逃げてもほおっておく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます