第6話
夕方の搾乳が終わってから、サキちゃんと一緒にリキの所へ戻った。リキは、僕達が近づくと身体を起こした。
これから、リキをどうしたらいいのか、僕にはわからなかった。でも、このままたくさんの人に知られて、騒がれ、リキを不安な気持ちにさせるのは、嫌だなあと思っていた。
「家に帰って、信頼できる人に相談してみよう」
「信頼? しんらいってどういう意味? 信頼できる人って誰? おじいちゃん?」
「信頼っていうのは、信じて頼れるって事。おじいちゃんもそうだけど、昼間来た獣医さんに相談してみようと思っているんだ。高杉さんって言って、子供の頃から知っている人で、大学の先輩なの。今はもう卒業して、実家の動物病院を継いでいるんだ。草太のお母さんと同級生なんだよ。それから、この事はなるべく秘密にしておこう。おじいちゃんや、おばあちゃんにもね。田舎って、すぐに噂が広まるから」
賛成だ。それで、僕達はいったん家に戻った。段々と暗くなってゆくのに、タロウとリキを森に置いていくのは、とても心配だったし、かわいそうな気がしたけれども、今はそうするのが一番いい方法だと思ったから。
おじいちゃんの家に帰っても、リキの事が頭から離れなかった。サキちゃんも同じみたいだ。それで、リキを家に連れてくるか、それとも僕達が「人隠しの穴」に泊まるか? と、サキちゃんと話し合った。リキを、おじいちゃんの家に連れて行き、誰にも解らない様に看病する事は、無理だと思う。おじいちゃんの家には、毎日、いろんな人が来るから、もし、他の人が見て騒ぎ立てたりしたら、リキが怯えてしまう。
リキにとっては森の方が安心できると思う。それで、僕達がしばらく、森にすんでみようという事になり、直ぐにキャンプの仕度をした。
懐中電灯・ランタン・カセットコンロ・寝袋・蚊取線香・宿題・水筒などをリュックにつめ、一輪車に乗せた。
サキちゃんが、おじいちゃんとおばあちゃんに、
「草太と一緒に、しばらく、森でキャンプするけど、ご飯は家で食べるから。搾乳と分娩には戻ってくるから」
と、言った。
森へ出かける前に、サキちゃんは高杉先生に電話をしていた。サキちゃんらしくない、深刻な顔をしていた。大人は子供よりもいろんな事を知っているから、僕が思いつかないような最悪の状態っていうのが、たくさんあるのかも知れない。
僕達はまた、一輪車を押しながら、懐中電灯の明かりを頼りに、真っ暗な森の中を進んで行った。おじいちゃんの家の玄関から、「人隠しの穴」までは普通に歩いて8分くらい。そんなに離れている距離ではないけれど、ちょっぴり不安な気持ちもあった。いつもは静かな小川なのに、夜の暗闇の中では、流れの音が大きく聞こえるし、木々のざわめきも、森の中で聞くのと外で聞くのとではちがう。それから、生き物達が息づく気配をそこらじゅうに感じる。幽霊とか、お化けとかが本当にいるのなら、こんな所に住んでいるように思えてくる。
「怖い?」
サキちゃんが言った。
「少しね・・・」
僕は、答えた。
「大丈夫。あとから高杉先輩も来てくれるから。森の音をね、心の耳で聞いてごらん。自然の声だと思って。そのうち怖くなくなるから」
「人隠しの穴」に近づくと、タロウが近くまで迎えにきた。リキも、身体を起こしてこちらを見ていた。僕は、8分間の暗闇を我慢して来たかいがあったと思った。
リキの近くに荷物を降ろし、キャンプの仕度をし、タロウとリキに、遅めの夕食をあげた。
しばらくするとタロウが、何かの気配を感じた様子で、ピクッと遠くを見るように首筋をまっすぐのばした。リキも何かを感じたみたいで、口を尖らせ、ソワソワし始めた。
ゆっくりと足音が近づき、懐中電灯の明かりが見え、その明かりの中から高杉先生が現れた。すごい大荷物を抱えていた。
「サキ、来たぞー」と言いながら、高杉先生は「人隠しの穴」に入って来た。そして、リキを見て、
「おお、本当に本物のゴリラだ。どれ、どれ、ちょっと診察してみようなー。大丈夫、大丈夫」
と、リキに話しかけながら、持ってきた大きな黒い鞄からいろいろ取り出して、診察を始めた。
リキは、高杉先生が近づくと、口を尖らせながらサキちゃんにしがみついた。サキちゃんは、リキを抱きかかえ、身体をさすって安心させていた。注射をする時には、リキが僕の腕の上に自分の手を乗せた。僕はちょっとびっくりしたけど、その手をとってそっと握ってやった。すると、リキは安心したように僕の目を見つめていた。僕も不安な時は、お母さんに手を繋いでもらうと少し落ちつく。ゴリラも人間と同じなんだなあと思った。
それから、高杉先生は、傷に塗る薬をくれた。
「先生、これはゴリラの薬なの?」
僕が訪ねると、高杉先生は笑いながら、
「残念ながら、これはゴリラ専用じゃあないんだ。人間の子供用の薬。僕も、ゴリラの患者さんは初めてなんだよ」
と、言った。
「先輩、リキの状態はどうですか?」
「腕の傷は、毎日消毒をして清潔にしていれば直に治るよ。傷跡は残りそうだけどね。他の傷は浅いし、二、三日もすればすぐに元気になると思う。ところで、このゴリラはどこから来たんだい?」
「先生、ゴリラじゃなくて、リキって呼んで下さい」
僕は言った。
「ああ、ごめん、ごめん。君は、草太君だったよね。第一発見者は君?」
「はい。今日の午後、虫を採りに森へ来たら、急にタロウが走り出して、それでここに来たらリキが倒れていました。調度この辺です」
僕はリキが倒れていた所に立った。高杉先生は、その辺りを懐中電灯で照らし、穴の奥の方から続いているリキの足跡を見た。
「不思議だね。まるで、穴の奥の暗闇から、助けを求めてやってきたみたいだ」
「先輩、ゴリラって、アフリカの一部の地域にしか生存していないんですよね? 確か、ワシントン条約で、輸入も禁止されているんですよね?」
「うん・・・・。この傷後と衰弱状態からみて、逃げてきた様子だね。人に対してそんなに抵抗しないけれど、雰囲気から察して、野生で育った感じがするな。まあ、少し様子をみてみよう。さて、君達はここで寝泊りするんだろ? 僕も付き合うよ。テントを持って来たんだ。このままじゃあ、蚊の餌食だ」
そう言いながら、高杉先生は「人隠しの穴」の前にテントを張ってくれた。僕もサキちゃんも手伝った。リキは安心したのか? 疲れたのか? わからないけれど、藁の上で眠ってしまった。
高杉先生は、テントを張りながら、ゴリラについて話をしてくれた。
「ゴリラは、アフリカという国の、限られた森の中にしか住んでいない生き物なんだ。種類は、マウンテンゴリラ、イースタンローランドゴリラ、ウェスタンローランドゴリラの三亜種に分かれていて、それぞれ少しずつ顔や体系、毛などに特徴があるんだ。
日本の動物園にいるゴリラは、みんなウェスタンローランドゴリラなんだよ。
今、野生で暮らしているゴリラの数は年々減っていて、このままでは絶滅してしまう恐れがあるんだ。その原因の多くは、ゴリラが住む森の木を人間が切ってしまったり、ゴリラをつかまえて動物商人に売ったりするからなんだ。ゴリラにとって一番の敵は、人間なのかもしれないな。でも、そういうことをする人間の方にもいろいろ事情があって、戦争から避難してきた人々がしかたなく森の木を切って畑にしたり、薪に使ったり、生きていくためのお金が欲しくてゴリラを捕まえて売ったりしているんだ。そして、そんな人達からゴリラを守っているのもまた、人間なんだよ。
1973年にワシントン条約という、絶滅のおそれがある野生動植物種の国際取引に関する約束事が決められ、ゴリラはアフリカから他の国に出す事ができなくなったんだ。それでも、密猟をしてゴリラを捕まえようとしている人達がいるんだ。
ゴリラは、シルバーバックと呼ばれる一頭の大人のオスを中心に、群れで生活をしているから、密猟者は、売りやすい子供のゴリラを捕まえるために、たくさんの大人ゴリラを殺すんだ。草太君、君のゴリラのイメージってどんな感じ?」
「強い、大きい、力持ちっていう感じがしていたけど、でも、リキを見たら少し変わってきた。リキはまだ子供だけど、僕の言っている事がちゃんとわかるみたいだし、真似をする事もできる。それから、今は怪我をしているから弱々しく見えるし、人間みたいに心があるような気がする」
「そうだね。僕も、心があるって思うよ。それは、どんな生き物もそうだけど、ゴリラは特に人に近いね。と言うか、人間がゴリラに近いのかもしれないなあ。ゴリラが住むアフリカは、人類発祥の地と言われる土地でね、ゴリラも人間も祖先は同じと言われているんだ。そして、ゴリラの方が、人間よりずっと昔からこの地球に住んでいたんだよ」
風がやんで、木のざわめきもおさまり、空にはたくさんの星が輝き、森は静かな夜に包まれているようだった。ホーホーと、フクロウの鳴き声がした。昨日の夕方ここで聞いた「ヴゥー、ヴゥー」という声は、フクロウではなく、リキの声だったのだろう。リキは、この穴で夜を過ごしたんだ。一人っきりで。怖かっただろうなあ。僕は、そんな事を思いながら、眠っているリキの隣で日記を書いた。
『今日は、森の中へ虫とりに行き、そこで友達ができました。名前はリキです。いっしょにバナナを食べました。明日もリキと一緒に遊びたいと思います』
そして、テントの中で横になった。目をつむりながら、高杉先生の話を思い出していた。
初めて聞いた、ゴリラの世界の話を。
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