第4話

 翌朝、目覚まし時計の音と、サキちゃんの声で目が覚めた。そうだ、僕は昨日からおじいちゃんの家に泊まっていたんだ。時計を見ると6時。

「草太、どうする? 寝ていてもいいんだよ。私は先に行ってるね」

 サキちゃんは、上着を羽織りながら、部屋を出て行った。

 僕はまだ眠かったけれど、仏壇の事を思い出したら、怖くなり、急に眠気が覚めてしまった。そして、着替えをして牛舎へ向かった。

 外に出たら、大ばあちゃんが、庭においてある椅子に座りながら、両手を合わせて何かを拝んでいた。

「何しているの、大ばあちゃん?」

「神様にお祈りしているんじゃよ。草太も一緒にやんなさい」

 と、言った。大ばあちゃんは、

「北の神様、今日も皆が無事に過ごせますように、お願いします」

 と、言って向きをかえ

「東の神様、今日も皆が無事に過ごせますように、お願いします」

 と、言ってまた向きをかえ、

「南の神様、今日も皆が無事に過ごせますように、お願いします」

と、言ってまたまた向きをかえ、

「西の神様、今日も皆が無事に過ごせますように、お願いします」

 と、言って、最後に手を二回叩いた。

 こんなふうに、大ばあちゃんは、毎朝4つの向きの神様にお祈りをしていた。他にも、仏壇の仏様や、神棚、畑や、田んぼにもお祈りをしていた。昔から、毎日お祈りをしているんだって。僕は、神様の種類ってたくさんあるんだなぁと思った。

 お祈りの後、走って牛舎へ向かった。澄みきった朝の空気は、とても気持ちがよくて、山も森も畑も、朝露にぬれてキラキラ輝いていた。

 僕が牛舎についた頃には、もうバルククーラーの中にはたっぷりと牛乳が入っていて、ヘルパーのおばさんに、朝の搾り立ての牛乳を飲ませてもらった。最高に美味しい。それから、サキちゃんと一緒に仔牛の部屋の掃除をし、新しい藁を敷いて、仔牛たちに牛乳を飲ませた。

 朝ご飯の後、夏休みの友を一ページやって、昨日の日記を書いた。そして、帽子をかぶって虫かごと網をもって森へ向かった。玄関先で、おばあちゃんが、虫よけスプレーを、僕の腕と足にかけてくれた。

「気を付けてね。お昼には戻ってきなさいね」

「はーい!」

 森の入口には小川が流れている。木でできた橋を渡って森の中へ入っていくんだ。小川をのぞくと、小さな魚が泳いでいた。森の中には人が歩ける道があって、両脇にはたくさんの木がうっそうと生い茂っていた。風に揺れる木の音と、鳥なのか、獣なのかわからないキケケケケケという鳴き声や、カナカナカナという鳴き声も聞こえた。

 僕は、慎重に木の幹を見ながら道を進んだ。いろいろな方向からセミの鳴き声が聞こえてくるから、何処にいるのか良く解らない。しかも、いろいろな鳴き声が混ざっている。僕が知っているのは、ミーンミーンミーンと鳴くミンミンゼミとジージージーと鳴くアブラゼミだけだ。けれども、だんだん目が森の景色になれてくると、セミが木にいるのがわかるようになってきた。樹皮のあいだから、樹液が出ている。そんな所には、蝶や蜂や小さい虫達が集まって蜜をなめている。

 僕は、木漏れ日の中、網をふってセミ採りに夢中になった。 

 そして、気が付くと洞窟の前に立っていたんだ。洞窟の横には、赤い小さな鳥居があって、きれいな花が生けてあった。おじいちゃんの家の庭に咲いていた花と同じ花だ。僕は洞窟の前に立って中をのぞいて見た。奥の方は真っ暗でここからは何も見えないし、風の音がヒューヒュー聞こえ、一人では怖くて入っていけない気がした。

 お昼ご飯の時、僕は洞窟を見つけた話をした。すると、大ばあちゃんが、怒った様な声で言った。

「あそこには、むやみに入ったらだめだ。あそこは『人隠しの穴』だ」

「人隠し? ひとかくしって、何?」

 僕が聞くと、おばあちゃんが、説明してくれた。

「あそこは昔から『人隠しの穴』って言われていてね、中に入ったまま帰ってこなかった人がいるそうだよ。戦争中は防空壕のかわりにしていたらしいの。小さな赤い鳥居があったでしょ? 時々、大ばあちゃんが花をいけて拝んでいるのよ」

「そんなの迷信、迷信。でも、危ないから一人では入らない方がいいな」

 おじいちゃんが言った。

「私も子供の頃、よく行ったよ。肝試しをしたり、奥の方まで探検してみたけれど、ずっと暗闇ばかりが続いていて、途中で戻ってきちゃった。夏には友達とキャンプもしたし。でも、何もなかったし、こうして無事に元気でご飯を食べているよ」

「防空壕って何?」

「昔、日本でも戦争があってね、飛行機で爆弾を落とされたんだ。その爆撃から避難して隠れる為の所だよ。おじいちゃんも、おばあちゃんも、戦争中はまだ生まれていなかったから、聞いた話だけど、こんな田舎にも一度だけ、防空壕に隠れなきゃならないくらいの爆弾が落とされたそうだよ」

「あの時は、みんながあの穴に逃げ込んだんじゃ。怖かったよう」

 大ばあちゃんが、また、怒った様に言った。

 お昼ご飯の後は、大ばあちゃんも、おじいちゃんも、おばあちゃんも、昼寝をしたり、TVを見ながら横になったりしている。

 僕は縁側にすわって昆虫図鑑をひろげ、さっき採ってきたセミの名前を調べていたら、サキちゃんが来て、虫かごの中を覗いた。

「草太、セミばっかりじゃん。カブトムシとかクワガタは?」

「ダメだった。何処にかくれているのか、わからないよ」

「たいていのカブトムシやクワガタは、昼は土の中や朽木や落ち葉の下にいて、夕方になると活動を始めるんだよ。その方が鳥に見つからないし、好物の樹液も夜のほうがたくさん出ているからね。それに、カブトムシとクワガタには、好きな木があるんだよ。クヌギとかコナラっていう木で、ドングリが生る木だよ」

 さすがサキちゃんだ。

「好きな木、教えて!」

 それで、僕とサキちゃんは夕方の搾乳が終わったら、森へ行く事にした。サキちゃんは、昆虫寄せの蜜を作ってくれた。お水と、黒砂糖という茶色い色の砂糖をドロドロになるまで煮詰め、最後にお酒とお酢をちょっぴり入れていた。僕はちょっと舐めさせてもらった。電車の中で、おばさんにもらったカリントウみたいな味がした。

 夕方の6時頃になっても、夏の空はまだ明るい。西の空が、少しオレンジ色になっているくらいだ。森の中は、昼間聞いた鳴き声が、いっそうよく聞こえる。キケケケケケという鳴き声や、カナカナカナっていう鳴き声だ。サキちゃんに聞いたら、

「これは、セミだよ。キケケケケケはエゾハルゼミで、カナカナカナっていうのはヒグラシっていうんだよ」

 と、教えてくれた。

 サキちゃんには目的の場所があるみたいで、まわりの木には見向きもしないで、どんどん進んでいく。僕の後ろにはタロウもいる。タロウは、時々立ち止まっては草むらを覗いて、匂いを確認し、何かを捕まえようとしていてなかなか前に進まない。僕は心配になって、「タロウ!」と呼ぶと、走って近づいてくる。

 しばらく歩き進んで行くと、サキちゃんが、一本の大きな木の所で立ち止まった。そして、盛り上がった根っこの所に足をかけて、上を見た。

「あった、あった、この木だよ。これ、私が子供の頃からあって、だいたいカブトムシやクワガタがいたんだよ。ほら、ここを見てごらん」

 サキちゃんが指差したところに、クワガタが二匹いた。クログロとしたりっぱなクワガタのオスとメスだ。木の皮の剥れた場所から樹液がにじみ出ていて、その液をなめているようだった。図鑑以外で、本物がこうして木にとまっている所は、初めて見た。すごいぞ! さすが田舎だ!

「これがクヌギっていう木だよ。こんな感じの木。覚えておくといいよ」

 僕はクヌギの木をさわり、木の皮の感じや、葉っぱの形をじっと見た。サキちゃんは、持っていた袋からビンにつめた蜜を出して、近くの木にたっぷりと塗りつけた。

「明日になったら、ここに何かいるかも知れないよ。又、来て見ようね」

 僕は、カブトムシが来るといいなぁと思った。それから、二人で他の木にも何かいないかと探してみた。僕はクヌギの木を注意深く探し、オスのコクワガタを二匹もとった。合計四匹だ。すごい! すごい! 

 夢中になっていると、辺りがすっかり暗くなっていた。僕達は懐中電灯をつけ、家の方向に向かった。途中で「人隠しの穴」の前を通らなければならなかった。その方が近道だってサキちゃんが言ったから。

「子供の頃は、暗くなってここにくるとちょっと怖かったけど、大人になってみるとそうでもないなぁ。草太のお母さんは、虫とか、森にはあまり興味がなかったからこなかったけど、私は一人でも森を探検したんだよ」

 そういえばお母さんは、毛虫とかゴキブリとかが苦手だ。昆虫にもあまり興味がないみたい。

 相変わらず人隠しの穴からは、ヒューヒューと風の音が聞こえてくる。僕は、昼間おばあちゃんから聞いた話を思い出し、怖くなってサキちゃんの手を握った。

「あー、お腹空いたー。おばあちゃんが、牛乳でアイスクリームを作っていたから、デザートに食べよう。それから、クワガタもちゃんと飼育ケースに入れないと。確か、物置にあったと思うよ、大きいのが」

 サキちゃんがそう言いながら、帰り道に向かって歩き出した。その時、木々のざわめきの中から「ヴゥー、ヴゥー」と、うなり声みたいな音が聞こえたような気がして、僕は足を止めた。タロウも何かを感じたみたいで、立ち止まって「人隠しの穴」の方を見た。

「どうしたの?」

 サキちゃんが振り向いた。

「何か、聞こえた気がした。サキちゃん、聞こえなかった?」

「特に何も聞こえなかったけど・・・。風の音か、フクロウか何かの鳴き声じゃない?」

 その時僕は、「そうか・・・フクロウってあんな鳴き方なんだ」と思い、深く考えずに、

「サキちゃん、今晩のおかず何だろうね」と、サキちゃんと話しながら、森を後にした。


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