第2話

「失礼致します、レオン様」

日が沈みきる前の、まだ薄らと明るいタイミングで声がかかった。


「どちら様?」

レオンは古書から目を離し、訪ねてきた老紳士に顔を向けた。


「ロシュ家の執事、ルゼと申します。リシアお嬢様の命で伺いました」

まさに屋敷の執事長そのもの、な風貌で穏やかな表情を湛えている。


「ロシュ家? それはそれは、こんなところまでわざわざ」

大きな笑顔でレオンはルゼを迎え入れた。

「カビ臭い匂いが移んなきゃいいけど」

「ふふ、お戯れを」

ルゼは落ち着いた声で応えた。


「広いお屋敷よりも、このような空間の方が私は落ち着きますよ」

ルゼは部屋を見渡しながらそう言った。本心だろうか、彼の表情と声からは判断がつかない。

「陽も当たらない場所だがね」

レオンは肩をすくめながら言った。


「素晴らしい書庫でございますね。噂通りだ」

ルゼは本棚の前に立ち、そっと触れながら感想を述べた。


「……さすが! いや、分かる人には分かるもんだね。500年以上も昔から変わってないらしいけどさ。一緒に暮らしてるとどんどん輝きが増してくるような、そんな感じがするのよ!」

突然スイッチが入った。目をキラッキラさせながら饒舌に語るレオン。

話が終わらない。興味の無い聞き手から魔法で眠らされても文句は言えないだろう。


「俺もおっさんとか言われる年だけどさ。この空間のような、深く円熟した存在になりてえな、ってね!」

ペラペラと人生観まで飛び出した。


――――――――

―――――

――…


「……レオン様、リシアお嬢様がお屋敷でお待ちです。出発の支度をよろしいでしょうか?」

際限なく続くレオンのこだわりトーク。その合間を縫って、ルゼは言葉を差し込んだ。

仕事柄か、ウンザリとした表情は一切出さない。


「ああ、すまないすまない! 分かった、準備するとしよう」

まだ話し足りない、残念、という感情がレオンの表情にベッタリと張り付いていた。


「ところでリシアお嬢様って?」

ルゼに背を向け、身支度を整えながらレオンが質問した。

レオンの方を一瞬確認し、ルゼは本棚に少し力を込めながら答える。

「ロシュ家のご令嬢でございます。昼過ぎにレオン様とひと騒動あったとか──綺麗な赤髪の…」

「あーー! あのドロップキックお嬢ちゃんか!」


いつの間にか支度を終えたレオンがルゼの後ろに立っていた。

レオンの大声に驚き、ルゼは思わず本棚から手を離した。慌てて再度触れる。


「その本棚、気に入ったのかい?」

「え……? ええ、やはり随分と年季が入っておりますな」

本棚から手を離しその場を離れるルゼに変わり、レオンはポンポンとその本棚を軽く叩いた。

「まあね、古書とそれほど変わらない時代の物だからね。さて、では出発しよう」

ルゼにそう告げると、レオンはもう一度本棚をポンと叩いた。


――――――――

―――――

――…


地下室を出て、ロシュ家の屋敷まで20分ほど歩いた。

「ルゼさんも、古書に興味があるのかい?」

「本ですか? いえ、すみませんが、本にはそれほど……」

「まあそうだよな……。俺も古書の解析なんざクソジジイから命じられて始めたんだ。最初はほとんど寝ながら読んでたもんな。ぜーんぜん分からんし、興味も持てなかった」

懐かしむように話をするレオン。


「クソジジイ?」

「学園長だよ、当時のな」

流石のルゼも、一瞬表情を変えた。

「……今の『知紡ぎ』の仕事は、その学園長から与えられたのですか?」

ルゼは横目でレオンの表情を窺う。

「そうだよ。俺の魔力量が基準を満たしてないってんで、10歳でジジイから魔法学校を退学させられ……、あのクソジジイ!」

説明しながら、低魔力コンプレックスのスイッチを自分で押すレオン。


「それはそれは……」

「退学通告と同時に、なぜか古書の読み方を教えてもらってな、直々に」

「あの学園長から……。それはすごい……」

「やさしーーく教えてもらったよ。怒鳴り声が心よりも鼓膜に響く感じでな」

耳を塞ぐ仕草をしながらシニカルに笑うレオン。


「『要領も理解力も全て悪い!』。散々ジジイに言われたよ。『教え方クソ下手野郎!』とか俺も言い返して。1年間くらいかな、2人でギャーギャー言い合ったもんだ」

「なるほど……1年も。そういった背景をお持ちでしたか」

ルゼの言葉はやけに重く響いた。

目の前にはロシュ家の屋敷が見えてきていた。


「まあそんなこんなでさ、ルゼさんもさっき真剣に書庫を見てたから好きなのかなってね。いやー、古書仲間ができると思ったんだけどなー!」

レオンは人懐っこい調子でルゼの肩に手を回し、バシバシと肩を叩いた。

それに対し、ルゼは乾いた笑みを溢した。


(仲間か……。緊張感も無く、何も気づいていない)

ため息も漏れそうな、興味を無くした表情をルゼは浮かべていた。


残念だなー、と静かにレオンは呟いた。


――――――――

―――――

――…


ロシュ家に着き、ルゼが「どうぞ」と言いながら扉を開けてくれた。

先に屋敷に入ったレオンに、数名のメイドが近づいてきた。

中年のメイドが会釈し、レオンに声をかける。

「メイド長のアーシャと申します。レオン様、ようこそお越しくださいました」

アーシャが丁寧にお辞儀をする。


その後レオンのコートなどを預かりながら、アーシャが尋ねてきた。

「……レオン様、ハキムはどこに?」

「ハキム? ハキムとは誰だ? 俺はルゼに連れられてここに来たぞ」

「ルゼ……?」

アーシャや他のメイドたちが首をかしげる。

「いや、ここに……」

いるだろ、と言いかけて言葉を止めた。

周りを見渡しても、あの老紳士がいない。

レオンは屋敷の外に出て「ルゼ」と声を出した。

何も返事は無かった。


――――――――

―――――

――…


レオンはメイドたちから話を聞いた。


確かにリシアの命令で、レオンを連れてくることになっていた。

メイド長アーシャの息子、ハキムが馬車で迎えに行ったのだと言う。

しかしレオンはルゼに連れてこられた。

そしてメイドたちは誰も、ルゼのことを知らなかった。


不穏な空気が流れる。


とにかく動こうとレオンが考えた矢先に、目の前の階段上の踊り場から声がした。

「何事ですか?」

この国の筆頭貴族であるロッシュ家、その長女リシアであった。


メイドが静まり返る中、場違いな調子でレオンが声をかけた。

「お、リシアちゃん、目が覚めたようだねえ。女子寮じゃなくここから学校に通ってるのか?」

その場にいるレオンとリシア以外の全員が絶句した。

リシアちゃん……?

不敬罪で、ともすると首が飛ぶ。


「学校から特別に許可をいただいているのです」

リシアは静かに応えた。しかしその目はレオンを睨みつけている。

「そうなんだな。ああ、ディナーのご招待、どうもありがとう! もっとお喋りしたいところだが、急用ができたようだ。晩餐の機会はまた今度な!」

「な……!」

流石に唖然とするリシア。


レオンは満面の笑みでそう言うと、リシアに背を向けメイド長アーシャに話しかけた。

「ハキム君の特徴は?」

「は、え、ええと……、私と同じ肌の色をしています。15歳で、大人しい感じの子です」

アーシャは混乱しながらも返答した。彼女はこの国では珍しく褐色の肌をしていた。


「分かったよ、アーシャ。必ずハキム君を連れて帰るからな」

笑顔でそう告げた。彼の笑顔はなぜか人を安心させる。


「待ちなさい!」

リシアが我慢できずにそう告げる。

「いーや、待てねぇ」

レオンは軽くそう言うと、指をパチンと鳴らした。


リシアはまだ状況も分からず、この不遜な男を警戒していた。このまま彼を帰すわけにはいかない。

あの昼間の不思議な体験も気になる。そのために彼を屋敷まで呼んだのだ。


しかしそんなリシアの耳元に、急にレオンの声が聞こえてきた。

混乱しながらキョロキョロを辺りを窺うリシア。


「声を出すなよ、リシア。黙っているんだ。お前にしか聞こえない大きさで話をしている」

まだ事態が飲み込めていないリシアだったが、声を出すなという指示に対して慌ててコクコクと頷く。

「対応力が高いぞ。いい子だ」

レオンは優しく讃えた。


魔法を唱えるまでの過程に工夫を加える――古典魔法の特徴だ。

声の発生位置をリシアの耳のそばに固定し、声の出力を絞っている。


「詳しくは後で話すが、この屋敷は盗聴されている可能性がある。この話も聴かれたくないのでこうやって話しかけている」

リシアの顔が一気に青ざめる。


「ショックなのは分かるが状況と指示を伝えるぞ。ハキム君が行方不明だ。お前はこの屋敷から俺のボロ屋敷までの通路で彼が使っていた馬車がないか探してみてくれ。この屋敷を出てまだ1時間ほどのようだからな、何かあるはずだ」


レオンがぼそぼそと呟きながら扉に手をかけた。

「貴方は……!」

リシアが思わず声を出した。

レオンがゆっくりと落ち着いた口調で囁いてくる。


「こっちにはアテがある。そっちは頼んだぞ」

そう言い残すと、レオンは扉を開けて出ていった。


――――――――

―――――

――…


レオンのアテとは、もちろんルゼのことだった。


リシアがレオンと接触しようとするタイミングで、身分を偽り現れた。

そのタイミングは完璧だった。

ロシュ家の人間の中に間者がいるのか、それとも……。


しかしその後は杜撰過ぎる。

屋敷に着けば、ルゼはロシュ家の人間ではないと分かり、疑いの目も彼に向かう。

彼の目的は何だったのか?


レオンの暮らすカビ臭い空間の中で、微かに混ざった彼の匂い。

そして、レオンの書庫を見て「噂通り」と発したこと。


本への興味など、とうに失われてしまった時代、ましてや書庫など──。

あれは一般市民から出た噂ではない。


最後に、書庫に触れたあの仕草……。


そのルゼに、レオンは会いに行こうとしていた。


続く。

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古色礼讃 ―時代遅れと呼ばれた男。知を紡ぎ、魔法世界を覆す― りくとれん @turnitround

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