断章Ⅲ 解凍された記憶_FlashBack

断章Ⅲ 記憶の欠片

 レイと雪音が知り合ったのは、函館のとある幼稚園だった……と思う。正直、その辺の記憶は大方が削除されているから、ほんの断片的なものしか覚えていないけれど。

 まともな養育をされていなかった雪音を虐めるような奴がいて。そいつに無性に腹が立って、雪音の代わりに仕返しをしたのが最初なはずだ。そしてその時から、僕と雪音はいつも一緒に居ることが多くなった。


 どちらが何かを言った訳でもないし、趣味や性格が特別合っていたという訳でもない。幼稚園を卒園する頃には、僕は家族の影響で軍事方面を、雪音は辛い現実から目を背けるために勉強を――とりわけ「世界の解」とも言える科学の世界へと没頭していた。

 もしかしたらあったのかもしれないけれど、少なくとも今ある記憶の中では、一緒に何かをしたというのは殆どなかったように思う。けれど。僕と雪音は、いつも一緒に居て、その空気がとても心地よかったのを覚えている。


 そんな関係のまま緩やかに繋がりを持ちつつ小学校に入って、卒業して。

 雪音やみんなが順当に中学校へと進学する中、レイは一人、函館に新設された軍学校へと進んでいた。〈量子兵装〉と呼ばれる兵器を扱う兵士を養成するための、日米共同の教育機関。そこに、レイは首席で入学した。


 〈量子兵装〉に関してはレイは天性の才能があったらしく、毎日の厳しい訓練を、レイは二位以下に圧倒的な大差をつける成績でこなしていた。そしてその傍ら、暇な時間を見つけては事あるごとに雪音と他愛もない会話を交わしていた。

 訓練終わりは電話で、休日は手頃なカフェやファストフード店で。圧倒的な成績からくる大人達から向けられる絶大な期待と、同期や近い年齢の軍人達から向けられる嫉妬。それに伴う疎外感と息苦しさ。

 何となく居場所がないように感じていたレイを、雪音は何の分け隔てもなく、ただ普通の一人の少女として扱ってくれた。時には怒って、時には呆れて。それでも、彼女が向けてくれる笑顔は、確実にレイの心の支えとなっていた。

 そんな少しの穏やかな日々が続いていって、雪音が高校一年生の夏休みを終える頃。




 西暦二一五〇年、八月三十一日。

 『両極異次元観測実験』で事故が発生したとのニュースが、全世界を駆け巡った。




 南半球ではあらゆる生命体が死滅し、通信が届かなくなった。北極点の実験場は何とか小規模な爆発に留まったものの、その日を境に、世界中のあらゆる場所で『真っ黒ななにか』が出現するようになった。

 〈ODEEオーディー〉と名付けられたそれらは瞬く間に全世界を席巻し、地球上のあらゆる場所で人類へと襲いかかった。通常兵器の効かない〈ODEEオーディー〉に対し、各国軍は為す術がなく、次々と敗退。人類全体の団結も虚しく、一年が経つ頃には、もはや人類がこの地球上で生活を続けるのは不可能な状態へと陥っていた。


 もちろん、レイ達の住む函館にも、〈ODEEオーディー〉は幾度となく襲来していた。けれど。〈量子兵装〉を扱える特殊擲弾兵てきだんへいが多数在籍していたこともあって、函館の都市機能は何とか維持できていた。

 その間、函館市と市民は政府の要請に従って採算度外視の量子サーバーを地下深くに建設。小型の核融合炉数基を動力源として、函館市民を地中深くの電脳世界へと避難させていった。

 けれど。当時の函館には、北海道の各地から避難してきた人々を含めて約百万人が押し込められていて。それらの全てを匿うのには、函館サーバーの容量は到底足りなかった。

 妹のユイはサーバー保管の抽選に漏れ、雪音は母親にサーバー保管の権利を奪われてしまっていて。偶然にも、レイの身近な人は揃ってサーバーに入ることが出来なかった。


 サーバーに函館の全市民が入り切らないのを見越して、レイ達函館の軍人は残る市民を連れて南下することを計画。一人でも多くの人々を救うための、容量に空きのあるサーバーを探し求めての旅が決定された。

 北海道方面の事実上の司令官となっていたのは、レイの所属していた部隊の隊長である菅原中佐で。彼の指揮の下、レイと雪音、そして妹のユイを含めた十数万人による逃避行が始まった。


 真冬の豪雪と氷点下を超える極寒の中、津軽海峡を渡り終えるまでにまず三万人が消えるか死んだ。

 ある者は、過酷な旅に耐えきれずに身体や精神を蝕まれて。ある者は、〈ODEEオーディー〉の襲撃によって跡形もなく消し飛ばされて。ある者は、民間人を守るために犠牲となって。

 満足な数の物資も満足な生活環境もなく、誰も彼もが絶望の淵に沈みかける中。レイ達は菅原中佐の指揮の下で進み続けた。通信途絶の直前に得られた、量子サーバーの設置予定地図だけを頼りにして。


 難民と化した函館市民約十万人を廃都市の駐屯地に留めて、レイ達軍人は東北に設置されたサーバーを北から順に調べ尽くした。

 比較的大きな都市に設置されたものから、隠密性を重視した山間部のものまで。地図に示されたあらゆるサーバーを、レイ達は調べて回った。

 数ヶ月間、度々駐屯地に〈ODEEオーディー〉の襲撃はあった。その度に多くの人々が死に、この世界から消え去った。けれど。菅原中佐は諦めなかった。必ずどこかにみんなを救う道があるはずだと。一人でも多く助かるようにと、死力を尽くして指揮を執り続けた。

 そして。厳しい冬を乗り越え、桜の木があちこちで咲き誇るある日の夜。東北に存在する全サーバーを調査した結果が彼の元へと提出された。


 ――東北地方のサーバーは九割が壊滅。残りの生存サーバーには人員を受け入れられる余裕はなく、一つとして、一人としてサーバーへと避難させることはできない。


 それが、数ヶ月間東北を調べ尽くして得られた結果だった。

 その日の夕方には、まだ生き残っていた函館市民四万人と軍人の全員が一同に集められた。その場で、菅原中佐は東北にはどこにも逃げ場がないこと、駐屯地での生活も、物資の枯渇が近いことを告げた。

 集会の最後に避難作戦の終了が彼の口から告げられ、その日の夜に、菅原中佐は頭を拳銃で撃ち抜いて自殺した。




 人々がそれぞれに集団を結成して独自に行動を開始するさなか、レイは雪音とユイを連れて駐屯地を発った。

 何か行くあてがあった訳ではない。けれど。この場に留まり続けるのは、座して死を待つだけだと思ったから。何かしないとと思って、がむしゃらに走り始めただけだった。

 左腰と背中の二つの小型量子コンピュータだけを頼りにして、三人は〈ODEEオーディー〉と彼らの〈ネスト〉を避けながら南下を続けた。

 レイの脳と量子コンピュータを接続して〈量子集積・位相転移理論〉を発現させ、簡単な食料品や衣類を生成して命をこの世界に繋ぎ止めた。自分にもしものことがあったらと、雪音とユイに量子コンピュータを貸して〈量子盾クオンタム・シールド〉や〈光量子翼ルクス・フリューゲル〉の使い方を伝授した。


 時折避けられない戦闘を何度か挟みながらも、三人は順調に東北を下っていった。

 そして。梅雨の時期が終わって、初夏の暑さが身体にまとわりつくようになってきた頃。旧福島県の吾妻山あづまやまに差し掛かった、蒼穹の美しい昼のことだった。

 



 その日は吾妻山あづまやまの麓を通るところを〈ODEEオーディー〉に察知され、レイはいつも通り仕方なく応戦していた。雪音とユイを木々の中に隠し、そこから少し離れたところで戦闘を繰り広げた。〈量子兵装〉の出力を必要以上に派手なものへと変更し、〈ODEEオーディー〉の注意が自分へと集中するように。

 なんてことは無い、いつも通りの戦闘形式だった。駐屯地を出てから何度も繰り返したものだから、今度も上手くいくと、勝手にそう思っていた。


 だけど。

 そうはならなかった。


 上手く撃破に持ち込めず、一旦距離をとった〈ODEEオーディー〉の一匹が自分達以外の量子の動きを捉えてしまった。

 そいつは無造作に眼下の森へと頭部を向けて――その先には、不安そうに空を見上げる雪音とユイがいた。

 咄嗟に駆け出した時にはもう遅かった。全速力で二つの影の間に割って入ろうとして、必死に手を伸ばした。

 脳内で光の盾をイメージして、眼前で構築される光線を防ごうとした。


 けれど。ダメだった。


 レイの祈りは届かず、漆黒の竜から繰り出された光線は一直線に雪音とユイの元へと突き刺さった。

 世界が遅くなったような錯覚と、心の中に黒い泥が詰め込まれたような想いだけが残っている。

 反物質と物資の対消滅で膨大なエネルギーが発生し、激しい衝撃波が辺り一面を襲った。木々のことごとくが倒れる暴風の中、レイは激情のままに周囲の〈ODEEオーディー〉を片っ端から切り刻んだ。

 詳しいことは記憶にない。たぶん、激情に全てを任せていたんだと思う。

 気がついた時には周囲にはいつもの静寂が戻っていて、眼下の倒木だらけの森には、見慣れた一人の少女が横たわっていた。視界をズームして、その少女に大きな傷がないことを確認する。肩で切りそろえた濡羽ぬれは色の髪に、同じく綺麗な黒瞳こくとうを絶望と不安に染めて見上げる少女。


 ――雪音だと脳が認識した途端、レイは一直線に駆け寄っていた。

 そして、レイは彼女からことの顛末を知らされる。

 逃げようとしたけど、足が動かなかったこと。放たれた光線はユイに直撃したこと。その前に立ち塞がろうとしたが、間に合わなかったこと。ユイが対消滅を起こして跡形もなく消し飛んだこと。その時に起きた衝撃波で、自分はつい先程まで意識を失っていたこと。

 その全てを聞いて、レイは心の中で何かが折れる音がした。


 ……雪音が生きていたのは、全くの偶然。

 一つ違えば、僕は二人ともを失うことになっていた。

 心の中を、黒い泥が埋めつくしていく。

 妹を――ユイを守れなかったこと。同じぐらい大切な雪音を、失いかけたこと。

 それらの自責と後悔と悲嘆が重なり合って、レイを黒い泥の鎖が絡めとっていく。




 そして。その日の夜。

 レイは軍学校に入ってからずっと首にかけていた自分のデータ記憶体を雪音に手渡した。

 それは、自分の命に代えても雪音を守るという決意。もう絶対に、二度と大切な人は失わないという覚悟。




 それから先の記憶はない。次に現れるのは、この『サーバーの高崎』の高校入学式の記憶だ。

 つまり。今の自分は生身の人間をデータに変換したのではなく、データ記憶体からつくられた『レイチェル・ステラフォード』だということになる。でなければ、この空白の記憶は説明がつかない。

 そしてそれは、ユイを失った日からこのサーバーに辿り着くまでの間に、自分は死んだということを意味する。




 不意に、時折見た雪音の姿が脳裏に浮かぶ。左手で右腕を掴んで、あからさまな作り笑いをしていた姿。彼女が感情を抑える時に、よくしていた仕草だ。


 ……そういうことだったのかと、レイは妙に納得する。


 自分の存在が雪音を苦しめているのだと。自責を彼女に押し付けてしまっているのだと。レイはフラッシュバックする記憶の中で悟った。

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