第五章 情報ロストと閉ざされた世界

第19話 滑落

 どうやって帰って来たのかは覚えていない。

 気がついた時には、自分と雪音は恭夜きょうや先輩に連れられて戦場ヶ原まで撤退することに成功していて。夜明けを告げる黎明れいめいの光が、東の空を微かに染め上げていた。


 ぼんやりとした意識のまま司令部へと転移テレポートして……そこで、その場に居られなくなって思わず転移テレポートした先がここだ。

 〈戦場ヶ原〉サーバー内の時刻は午前二時。深夜の闇に佇む一棟のビルの屋上の端に、レイは立っていた。


 足下の航空障害灯しょうがいとうはゆっくりと赤色のランプを点滅させ、吹き抜ける風がレイの金色の髪と軍服のスカートをたなびかせる。闇に沈んだ眼下の街は、ところどころで緑色の燐光が煌めいていて。それが、この街が電子上の存在であることをまざまざと感じさせる。

 怖かったはずの底の見えない闇は、もはや何も感じない。これまでの演習や戦闘で散々見てきた光景なのだから当然だ。


 視線を夜空に浮かぶ三日月へと向けて、レイは先程脳裏に駆け巡った記憶を思い返す。


 ――軍の仲間を失い、守るべき無辜むこの人々を見捨てて自分の大切な人だけを守ろうとして。それなのに、ユイという大切な妹を目の前で失い、最後には雪音だけを遺して自分は死んだ。

 結果、僕のせいで雪音は傷つき、危険に晒される戦場に出ることになってしまった。雪音は民間人で、僕は軍人なのに。なのに、僕はずっと雪音に戦うことを背負わせてしまっていた。軍人の自分は、戦うことすらせずに。

 一人の軍人として、それは決してあってはならないことだ。

 挙句、僕はまた仲間を――大切な人を目の前で失ってしまった。


 ……また、守れなかった。


 その事実が、レイの胸に深く突き刺さる。

 軍人の責務を放棄して、自分の大切な人だけを守ろうとして。なのにそれすら出来なくて、唯一守れた人には不必要な覚悟と痛みを与えてしまっていて。

 逃げた先でもまた、自分は大切な人を守れずに一人の命がこの手をすり抜けていく。


 本当に、何をやっているんだろうと思う。

 力があると賞賛されながら、何一つ、一人の大切な人すらも守れない。

 夜空に浮かぶ三日月を睨みつけ、レイは奥歯を噛み締める。

 身体の奥底から湧き出る激情を、必死に堪えるように。

 ……だって。自分には、この激情を吐き出す資格などないのだから。




  †




「――レイ!」


 司令部での口頭報告が終わり、サーバーのログを辿って彼女の位置を特定して転移テレポートした先。そこには、高層ビルの屋上の端で立ち尽くす金髪の少女の姿があった。

 足下の航空障害灯に赤く照らされる少女に、雪音は内心冷や汗をかきつつも笑みをつくって近寄る。


「もう、びっくりしたじゃない。司令部に転移テレポートして早々、何も言わずにどっかに飛んでいくんだから」


 言いながら、雪音は肩を竦めて一歩ずつ近寄っていく。

 夏坂なつざか先輩が消失したのち、三人は何とか〈ODEEオーディー〉の包囲を突破した。追い縋る敵を撒くためにとあえて遠回りをした上にあらゆる欺瞞ぎまん工作を施して、ようやくこの戦場ヶ原に辿りついたのが午前四時。

 その後は帰還の報告があるからと三人で司令部に転移テレポートして、そこで、レイは突然司令部を立ち去ったのだ。天空あまそら司令は何も言わずに雪音と藍原あいはら先輩に報告を続けさせ、それが終わってすぐに雪音にサーバーログの閲覧権限を一時的に付与した。

 追いかけて様子を見てこいという無言の指示を雪音は承諾し、居場所を特定して追ってきたのが今さっきの話。

 そんな奇行に走ったレイは今、無言で背を向けたまま、ずっと眼下の街を見下ろしている。


「どうしたの? こんな場所に転移テレポートして」


 何とか平静を取り繕いつつ、雪音は張り付けたような笑顔をつくる。

 今レイが居る場所は、地上五十メートルはある高層ビルの屋上の、その端。少しでも体勢を崩せば、真っ逆さまに落下する位置だ。

 もし、あそこから落ちてしまったら――


 ……と。突然、レイはその場で振り返ってきた。雪音と同じ張り付けたような笑みを浮かべて、


「ごめん。ちょっとボーッとしてたみたいでね。危ないよね、こんな所に転移テレポートするなんてさ」

「え……? え、ええ。そうよ」


 笑顔でうんうんと頷きながら、雪音は新たに沸き起こる別の不安を必死に押し留める。

 笑顔こそあからさまな作り笑いではあるものの、その言動自体はいつものレイと何ら変わらない。……はずなのに。

 何故だか、雪音は強烈な違和感を感じていた。

 ゆっくりと息を吐いて、ひとまずその違和感を気のせいだと断じて思考の隅に追いやる。張り付いた笑みを浮かべるレイに手を差し伸べ、もう一歩、近づく。


「そこに居たら危ないから、早くこっちに、」

「ここから落ちたら、どうなるのかな」

「……え?」


 予想外の問いに、一瞬思考が停止した。

 すぐさま彼女の言葉を理解し、剥がれかけていた笑顔を再び取り繕う。


 ……なんで、急にそんな質問を?


 沸き起こる疑問を胸の内に秘めつつ、雪音は伸ばした手を顎に当ててんー、と考える素振りをみせて思考を巡らせる。質問の回答自体は即座に答えられるから、考えるのは何故そんな質問をしたのかについてだ。

 ……が。浮かんでくるのは、考えたくもない選択肢ばかりで。その不安と怯えが表に出ないように必死に笑顔を固めて、雪音はなんでもないふうを装って、


「……そうね。すっごい衝撃と痛みはあると思うけれど、それだけよ。別に身体がバラバラになるなんてことはないし、当然死にもしないわ」

「……」


 黙りこくるレイ。雪音は微笑みを崩さずに首を傾げて、少しの不安を声音に織り交ぜる。


「けど。だからってそこが危険だってのは変わらな――」

「てことはさ。ここではどんなに死のうとしても死ねないんだよね」


 「え」と、直前まで言いかけていた言葉が止まる。当惑する雪音をよそに、レイは笑みを張り付けたまま、さも当然のように続ける。


「〈ODEEオーディー〉に消された人は二度と戻らないのに。なのに、ボクたちはいつでも簡単に死を疑似体験できちゃうんだ」

「な……レイ? あなたは何を……?」


 その言葉が暗示する意味を察してしまって、雪音は自分の呼吸が浅くなっていくのを感じる。『死にたくても死ねない』。それは、今ここでことを言外に告げている。

 レイは視線を夜空に向けて、嘲笑のような笑みを浮かべる。


「頭では理解はしてるんだけどね。けど、そう簡単に受け入れられないもんなんだね。これって」


 ……恐らく、夏坂なつざか先輩のことなんだろうと雪音は思う。

 そう思うのだけれど、心のどこかでそうじゃないと叫んでいる自分が居る。何か、致命的な思い違いをしているような、見落としているかのような違和感が脳裏にちらついて離れない。

 レイは軽やかな足取りでビルの端から飛び降りて、こちら側に歩いてくる。何も言えず、けれど動けもしない雪音の隣を金髪の少女が通り抜け――


「話なら、聞くから!」


 と、思わず彼女の背中に叫んでいた。

 立ち止まる金色の髪を真正面に見据えて、雪音は深呼吸を一つ。今度は真剣な、そして静かな声音で告げる。


「話なら、いつでも聞くから。だから、辛いならすぐに私を頼って欲しい」


 ――答えは、沈黙。


 雪音は立ち尽くすレイの背中をまっすぐ見つめて、彼女の反応を伺う。けれど。金色の髪と軍服のスカートが風に揺れるだけで。レイは一向にこちらを向こうともしない。

 そして次の瞬間。レイは転移テレポートで目の前から消え去った。

 残った光の粒子が空に溶けるのを見送って、そのまま視線を闇空に佇む三日月に向かわせる。


「……はぁ」


 と、大きなため息を一つ。


 ……私は、どうすればいいんだろうと思う。


 今のレイは、どう考えも無理をして苦し紛れの笑みをつくっていた。けれど、それをどうやって楽にしてやればいいのかが分からない。

 レイの答えは沈黙で、現状あの子は私に頼ってくれる気配はない。とはいえ無理に訊くのはもってのほかで、選択肢としては最後の手段にしておきたい。

 せめて、自分以外の誰かでもいいから人に頼ってくれればいいのだけれど。それも、期待度としては薄い線だろう。彼女は昔からそうだったから。

 視線を眼下の闇と緑色の燐光に向けて、もう一度深いため息。


 ……とりあえず。今は近くで見守るしかないか。


 そう心の中で呟いて、雪音はビルの屋上を後にした。

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