第五章 情報ロストと閉ざされた世界
第19話 滑落
どうやって帰って来たのかは覚えていない。
気がついた時には、自分と雪音は
ぼんやりとした意識のまま司令部へと
〈戦場ヶ原〉サーバー内の時刻は午前二時。深夜の闇に佇む一棟のビルの屋上の端に、レイは立っていた。
足下の航空
怖かったはずの底の見えない闇は、もはや何も感じない。これまでの演習や戦闘で散々見てきた光景なのだから当然だ。
視線を夜空に浮かぶ三日月へと向けて、レイは先程脳裏に駆け巡った記憶を思い返す。
――軍の仲間を失い、守るべき
結果、僕のせいで雪音は傷つき、危険に晒される戦場に出ることになってしまった。雪音は民間人で、僕は軍人なのに。なのに、僕はずっと雪音に戦うことを背負わせてしまっていた。軍人の自分は、戦うことすらせずに。
一人の軍人として、それは決してあってはならないことだ。
挙句、僕はまた仲間を――大切な人を目の前で失ってしまった。
……また、守れなかった。
その事実が、レイの胸に深く突き刺さる。
軍人の責務を放棄して、自分の大切な人だけを守ろうとして。なのにそれすら出来なくて、唯一守れた人には不必要な覚悟と痛みを与えてしまっていて。
逃げた先でもまた、自分は大切な人を守れずに一人の命がこの手をすり抜けていく。
本当に、何をやっているんだろうと思う。
力があると賞賛されながら、何一つ、一人の大切な人すらも守れない。
夜空に浮かぶ三日月を睨みつけ、レイは奥歯を噛み締める。
身体の奥底から湧き出る激情を、必死に堪えるように。
……だって。自分には、この激情を吐き出す資格などないのだから。
†
「――レイ!」
司令部での口頭報告が終わり、サーバーのログを辿って彼女の位置を特定して
足下の航空障害灯に赤く照らされる少女に、雪音は内心冷や汗をかきつつも笑みをつくって近寄る。
「もう、びっくりしたじゃない。司令部に
言いながら、雪音は肩を竦めて一歩ずつ近寄っていく。
その後は帰還の報告があるからと三人で司令部に
追いかけて様子を見てこいという無言の指示を雪音は承諾し、居場所を特定して追ってきたのが今さっきの話。
そんな奇行に走ったレイは今、無言で背を向けたまま、ずっと眼下の街を見下ろしている。
「どうしたの? こんな場所に
何とか平静を取り繕いつつ、雪音は張り付けたような笑顔をつくる。
今レイが居る場所は、地上五十メートルはある高層ビルの屋上の、その端。少しでも体勢を崩せば、真っ逆さまに落下する位置だ。
もし、あそこから落ちてしまったら――
……と。突然、レイはその場で振り返ってきた。雪音と同じ張り付けたような笑みを浮かべて、
「ごめん。ちょっとボーッとしてたみたいでね。危ないよね、こんな所に
「え……? え、ええ。そうよ」
笑顔でうんうんと頷きながら、雪音は新たに沸き起こる別の不安を必死に押し留める。
笑顔こそあからさまな作り笑いではあるものの、その言動自体はいつものレイと何ら変わらない。……はずなのに。
何故だか、雪音は強烈な違和感を感じていた。
ゆっくりと息を吐いて、ひとまずその違和感を気のせいだと断じて思考の隅に追いやる。張り付いた笑みを浮かべるレイに手を差し伸べ、もう一歩、近づく。
「そこに居たら危ないから、早くこっちに、」
「ここから落ちたら、どうなるのかな」
「……え?」
予想外の問いに、一瞬思考が停止した。
すぐさま彼女の言葉を理解し、剥がれかけていた笑顔を再び取り繕う。
……なんで、急にそんな質問を?
沸き起こる疑問を胸の内に秘めつつ、雪音は伸ばした手を顎に当ててんー、と考える素振りをみせて思考を巡らせる。質問の回答自体は即座に答えられるから、考えるのは何故そんな質問をしたのかについてだ。
……が。浮かんでくるのは、考えたくもない選択肢ばかりで。その不安と怯えが表に出ないように必死に笑顔を固めて、雪音はなんでもないふうを装って、
「……そうね。すっごい衝撃と痛みはあると思うけれど、それだけよ。別に身体がバラバラになるなんてことはないし、当然死にもしないわ」
「……」
黙りこくるレイ。雪音は微笑みを崩さずに首を傾げて、少しの不安を声音に織り交ぜる。
「けど。だからってそこが危険だってのは変わらな――」
「てことはさ。ここではどんなに死のうとしても死ねないんだよね」
「え」と、直前まで言いかけていた言葉が止まる。当惑する雪音をよそに、レイは笑みを張り付けたまま、さも当然のように続ける。
「〈
「な……レイ? あなたは何を……?」
その言葉が暗示する意味を察してしまって、雪音は自分の呼吸が浅くなっていくのを感じる。『死にたくても死ねない』。それは、今ここで
レイは視線を夜空に向けて、嘲笑のような笑みを浮かべる。
「頭では理解はしてるんだけどね。けど、そう簡単に受け入れられないもんなんだね。これって」
……恐らく、
そう思うのだけれど、心のどこかでそうじゃないと叫んでいる自分が居る。何か、致命的な思い違いをしているような、見落としているかのような違和感が脳裏にちらついて離れない。
レイは軽やかな足取りでビルの端から飛び降りて、こちら側に歩いてくる。何も言えず、けれど動けもしない雪音の隣を金髪の少女が通り抜け――
「話なら、聞くから!」
と、思わず彼女の背中に叫んでいた。
立ち止まる金色の髪を真正面に見据えて、雪音は深呼吸を一つ。今度は真剣な、そして静かな声音で告げる。
「話なら、いつでも聞くから。だから、辛いならすぐに私を頼って欲しい」
――答えは、沈黙。
雪音は立ち尽くすレイの背中をまっすぐ見つめて、彼女の反応を伺う。けれど。金色の髪と軍服のスカートが風に揺れるだけで。レイは一向にこちらを向こうともしない。
そして次の瞬間。レイは
残った光の粒子が空に溶けるのを見送って、そのまま視線を闇空に佇む三日月に向かわせる。
「……はぁ」
と、大きなため息を一つ。
……私は、どうすればいいんだろうと思う。
今のレイは、どう考えも無理をして苦し紛れの笑みをつくっていた。けれど、それをどうやって楽にしてやればいいのかが分からない。
レイの答えは沈黙で、現状あの子は私に頼ってくれる気配はない。とはいえ無理に訊くのはもってのほかで、選択肢としては最後の手段にしておきたい。
せめて、自分以外の誰かでもいいから人に頼ってくれればいいのだけれど。それも、期待度としては薄い線だろう。彼女は昔からそうだったから。
視線を眼下の闇と緑色の燐光に向けて、もう一度深いため息。
……とりあえず。今は近くで見守るしかないか。
そう心の中で呟いて、雪音はビルの屋上を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます