第二章 Linked_Quantum_Information

第4話 おしえて! 月咲先生!(おふざけ)

 じゃあ、〈量子集積・位相転移理論〉が何なのかを述べる前に、あなたがよく分かっていないであろう『量子』と『位相転移』という言葉について最初に説明するわね。


 まずは比較的簡単な『位相転移』から。


 『位相転移』は、簡単に言うと『ある物質が別の状態、形質へと変化する』ことを指す言葉よ。

 例えば、水は凍らせると氷になるし、沸騰させると気体になるわよね? この液体が気体になったり固体になったりするような変化のことを『相転移』と言うの。そして、これをより一般化させた言葉が『位相転移』よ。難しい概念だからこれ以上は踏み込まないけれど……。まぁ、『物質が別の状態に変わること』を指す言葉だと理解すれば問題ないわ。


 で。次は『量子』。これは一般に知られている物質の最小単位――『原子』よりも更に小さな物質を指す言葉よ。原子は更に細かく分割することができて、それが中学の理科で習う『原子核』と『電子』ね。原子核のほうは更に『中性子』と『陽子』に分けることができる。ここまではあなたも知ってると思うわ。

 一応、この四つも更に分割することができるんだけれど……。高校以降の範囲になるから、今回はやめておくわね。


 とにかく。『量子』は、『原子より小さなミクロの世界で使われる単位』とだけ覚えていればいいわ。原子も原子核も中性子も陽子も電子も、みんな『量子』の括りの中になる。

 こんな特殊な呼び方をするのには訳があって、極致の世界では普段私達が見ないような特殊な状態が起こるのよ。前にも話したような、色んな状態が一つの場所で起こる『重ね合わせSuperPosition』や、どんなに離れていても関係性が保たれる『絡合エンタングルメント』。粒子と波動の両方の性質を併せ持つ――などなど。とにかく、私達の常識ではありえないようなことが起こりうるのが『量子』の世界になるわ。

 一応、厳密な定義は別にあるんだけれど。今は必要ないから省略するわね。


 じゃあ、一旦ここでこれまでのことを復習するわよ?


 『位相転移』は、物質が別の状態に変わることを指す。

 『量子』は、原子よりも小さな物質のことを指す。


 とりあえずはこの二つを分かっていればこの後の話は充分理解できるはずよ。



 この二つを踏まえて、〈量子集積・位相転移理論〉が何なのか、という話に移るわね。

 この理論は、名前の通り『量子を集めて、様々な状態に変化させる』理論よ。実は、量子って正確な位置と動く方向の両方を同時に決めることはできないのよね。『不確定性原理』って呼ばれるやつなんだけれど。

 元々極小の世界で扱いが難しい分野ではあったんだけれど、今まではこの『不確定性原理』のせいで、量子は完全に制御することができなかったの。けど、西暦二一〇〇年。二十一世紀の終わりに、世界中を驚愕させる理論が登場する。


 それが、この〈量子集積・位相転移理論〉。単一状態にある量子の状態をほぼ完全に固定化し、そして形質を自由自在に変化させることを可能とした理論よ。


 スタンフォード大学のヴォルハート・レインツ率いる研究グループが発表したこの理論は、中世に伝えられていた『錬金術』を体現したものとなったわ。量子の量はもちろん、結合の仕方や種類といった『状態』までもが人類の手で操れるようになり、あらゆる物質が生成できるようになった。


 危険域に達していた地球温暖化は二酸化炭素を別の物質に変化させることによって解決し、食糧や燃料といった不足が叫ばれていた物も他の物から変化させることで生成することができるようになった。

 地球上のあらゆる問題は、〈量子集積・位相転移理論〉によって解決できるようになった。


 神の力にも等しい、究極の理論。それが、〈量子集積・位相転移理論〉よ。




  †




『――以上が、〈量子集積・位相転移理論〉の概要になるわ』

 

 画面越しに響く聞き慣れた少女の声が、少し誇らしげに終わりの言葉を告げる。それを聞きつつ、レイは画面に表示された雪音お手製のスライドを見ながら手をぱちぱちと叩く。


 初めて『Entanglement World』をプレイしてから、一ヶ月ほどが経った土曜日。入学早々にあった諸々のテストやら行事などを一通り終えたレイは、同じく諸々の行事を終えた雪音に早々に呼び出され、家のパソコンで〈量子集積・位相転移理論〉の授業(?)を受ける羽目になっていた。


 手を止めてペットボトルの水を口に含みつつ、レイはパソコンに表示されたスライドを今一度見返す。


 『位相転移』の説明に始まり、『量子』とは何か、『重ね合わせ』や『絡合エンタングルメント』の簡易な説明に続いて、位置と動く方向は同時に特定できないという『不確定性原理』の概要。〈量子集積・位相転移理論〉の説明が続いて、最後に〈量子兵装〉――〈光量子剣ルクス・シュヴェルト〉や〈量子盾クオンタム・シールド〉などのことだ――が、いずれのスライドも分かりやすいイラスト付きで纏められている。


 正直、今回の授業の内容はあまりよく分かっていないが……。とはいえ、雪音の簡単な言葉を使った説明と視覚的に理解しやすいスライドのおかげで、半分ぐらいは頭にスっと入ってきた。……気がする。

 丁度水を飲み終えたレイに、雪音が笑みを含んだ声音で、


『にしても。あなたその理科の知識でよくこの高校受かったわね』

「……うるさいな」


 レイは不機嫌そうに口を尖らせる。二十二世紀を生きる人々にとって、『量子』の基本的な概念は中学三年生で学ぶ範囲に指定されている。レイも量子についてはその時に教わったはずなのだが……。どうも、レイの脳には全く記録されていなかった。


「雪音も知ってるでしょ。ボクがここ受けるに当たって実行した秘策」

『あー。確か、国英社の三点突破で受験したんだっけか。結果はどうだったの?』


 今高崎高校に通学していることからも分かるように、受験そのものは合格した。でないと、謎の金髪少女が毎週平日に出没していることになる。

 ということは、彼女が知りたがっているのは。


「……国語90点、英語95点、社会92点」

『そっちが高いのは分かってるわよ。問題は数学と理科でしょ?』

「……」


 しばし、レイは言うのを躊躇って。半ばやけっぱちの声で、


「理科は30点。数学は2点だったよ!」

『にっ……!?』


 画面の向こうで吹き出す声が聞こえていた。

 そう。理科30点。数学2点。自己採点で叩き出していた33点と4点を更に下回っていたのだ。

 なんとしてでも雪音と同じ高校に行きたいと思い採った方策だったが……。自分でも驚くほどの低得点を叩き出してしまい、入学早々幸先が不安でしかない。正直、ちょっと間違ったかもしれないとすら思っている。

 ひとしきり笑ったあとで、雪音は宥めるような声音で、


『数学はともかく、量子の知識はちゃんと頭に入れときなさいよ? 二十二世紀を生きる私達にとって、量子の知識は必要不可欠なんだから』

「はい! わかりました、月咲先生!」

『……ホントに分かってるんだか』


 あ。先生呼びはスルーなんだ。

 そんなことを心の中で呟きつつ、レイは画面のスライドをあっちこっちに変えては流し見ていく。そこで、ふと、


「……あれ? この〈実体化処理〉っての今日出てたっけ?」

『ああ。それは〈量子集積・位相転移理論Q A P T〉で構成したものを実際に使う時にする処理のことよ。説明するには複雑かつ高度な理論と数式が必要だから、レイには分かんないだろうと思って』

「……」


 恐らく雪音の言う通りなのだろうが。なんだろう、この何とも言えないモヤモヤは。


「……ちなみに、どんなモノになるのか少し聞いても?」

 『はぁ……』と露骨に呆れた吐息が耳に入った。それを全力で無視していると、不意に雪音が気怠げに言葉を続けてきた。

『波動力学のシュレディンガー方程式のブラッドレー・シェルア解と、行列力学の上沢方程式を利用して、』

「ごめん。ボクが悪かった」

『……だから言ったのに』

 雪音は呆れながら再度ため息をつき、少し笑いを含んだ声で『まぁ、これで今日の授業はおしまいよ』


 そこで通話の向こうから携帯の通知音が聞こえ、少し間が空いたのち、


『丁度戦闘任務ミッションも来てるみたいだし、今から〈EW〉やらない?』


 雪音の言葉にレイは苦笑を漏らす。彼女お手製のスライドを閉じ、少し手を伸ばして量子コンピュータを起動しながら、


「雪音、ホントそのゲーム好きだよねぇ」


 確かに、〈EEntanglementWWorld〉は独特の雰囲気があって面白いゲームではある。とはいえ、内容がいささかハードすぎるのだ。そのおかげで、レイは自発的にやろうと思ったことが一度もない。


「というか。そんなにゲームばっかやってて大丈夫なの?」

『え?』

「ほら、……その。家の人とかさ?」

『あ、あぁ。そのことね?』


 と応え、雪音はなんでもないように笑って、


『それなら大丈夫よ。あの人、最近は家に帰って来てすらいないから』

「そ、そう。ならいいんだけど」


 子供を放ったらかしにしてるのは、それはそれでどうなんだとは思うが。まぁ、昔みたいなことになっていないだけマシだと思うことにする。

 そして。そこでレイはあることに気付く。


 今、雪音の親は家にいない。そして。レイは一人暮らしな上に部屋が余っている。つまり。

 心臓が急にバクバクと高鳴るのを感じる。緊張と焦燥で思考が急激に沸騰していく。だが。こんなチャンスはそうそうないのだ。この気持ちは隠し通すと決めたとはいえ、一緒に居たいという気持ちは自然に見えるはず。ならば。


「あ、あのさ。よかったら――」

『じゃあ、私先に行ってるね。またあとで!』


 ――ボクの家に住まない?

 その言葉は、無慈悲なボイスチャットの切断音によって永遠に断ち切られてしまった。


「……」


 レイは両拳を握りしめ、画面を見つめたままの体勢で硬直する。無音の自室には、窓外の激しい雨音だけが虚しく響いている。

 窓から光が瞬き、遅れて雷が大きな音を立てて落ちる。その轟音で、レイはようやく我に返った。


 ……なんというか。物凄いタイミングで切られてしまったな。


 そんなことを胸中で呟き、握っていた拳をゆっくりと開く。あんなに緊張していたのに、不思議と汗はかいていなかった。

 パソコンの電源を切り、量子コンピュータの電源がついていることを確認する。これには予備電源がついているから大丈夫だとは思うが……。少し心配だ。

 「停電しないでよ……?」と呟き、レイはベッドに寝転がる。カチューシャ型機器を頭にセットし、目を瞑って、


TENETテネット起動!」


 瞬間。レイの意識は数式の海に飛び込んだ。

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