断章 消えた星の向こう

断章 消えた星のむこう

 肌寒い風が、頬を流れ落ちる雫を吹き飛ばしていった。

 涙で滲んだ瞳を拭い、雪音はシステムの指し示す方向へと全速力で突き進む。自分の非力さを呪い、酔う資格もない悲嘆に打ち据えられながら。

 いつしか背後に聞こえていた戦闘の音は掻き消え、辺りには錦秋きんしゅうに映える峰々と、澄んだ青空だけが静謐を纏って広がっている。異次元の生命体が世界を席巻し、そしてたった今、一人の少女が無惨に散ろうとしている事実など存在しないかのように。牧歌的な光景が。


 その景色の中を、いったいどれぐらいの時間進んでいたのだろうか。頭の中に巡るのはただひたすらに悲嘆と、何も出来なかった、何の力にもなれなかった自分の非力さに対する怒りと後悔。視界に映る絶景など、何一ついなかった。

 突如、開けた平地が視界に飛び込んできて、雪音ははっと目を見開く。拭いても拭いても潤む目を拭い、レイに教わった通りにメニューを開いて現在地を確認する。


 【旧栃木県日光市・戦場ヶ原】


「……ここ、が……?」


 思わず声が漏れていた。この数ヶ月の間、ずっと目指していた場所が、こんな、何もない草原なのか……?

 金色のススキが波を打ち、やけに大きく聞こえるざわめきを奏でている。体から力が抜けていき、ここまで続いていた集中力の糸がぷつんと音を立てて途切れる。〈光量子翼ルクス・フリューゲル〉が解除され、雪音の身体は地面へ向かって真っ逆さまに落ちていく。

 このままじゃ落下死する。そう頭では分かっているけれど、指先一つすら動かすのも億劫だった。


 ――だって。もう、この世界には。


 致命的な言葉が脳裏をよぎりかけた、その時。



 突然、柔らかい何かに受け止められた。



「え……?」


 驚きに閉じかけていた目を開き、身体の下に『何か』があるのを感じて視線をそちらに向ける。はたして、あったのは半透明に光輝く『床』だった。

 さっき受け止められた時は柔らかかったはずなのに、手から伝わってくる感触は硬い。ガラスみたいだな、とあまり回っていない頭で思った。

 というか。そもそも、これは……?


「あ、きみ! 大丈夫だった?」


 聞き慣れない中性的な声が聞こえてきて、雪音はふらりと声の方へと目を向ける。いたのは、雪音と同じワンピース型の軍服を着た隻眼の少女だった。

 桜色の髪をポニーテールに結んだその少女は、綺麗な赤色の右目を心配そうに細めて言葉を続けてくる。


「私の声、聞こえる? 怪我とかはない?」

「あ……」

「ん? なに? どうしたの?」


 人が、いる。軍服を着た人が。……が。

 そのことを認識した瞬間、雪音の脳内はそれしか考えられなくなっていた。


「れ、レイを……」 


 上手く呂律が回らない。一度は止まったはずの涙が勝手に流れ出し、視界を滲ませていく。光の床をはい、困惑する桜色の少女に縋り付くようにして、


「レイを! レイを、助けてください!」


 殆ど泣き叫んでいた。景色はどんどん歪み、決壊した感情がとめどなく流れ落ちていく。もう、自分では止められない。

 黒色の景色を頼りに縋りつこうとして失敗する。そのまま倒れ込む雪音に、桜色の少女は真剣な声音で囁くように訊ねてきた。


「きみの他にも、まだ人がいるんだね?」


 雪音はこくりと頷く。

 ここから北に約六五キロ。そこには、雪音にとって最も大切な人がまだ残されているのだ。……私を逃がすために囮となった、金色の少女が。


「あなた、そのレイって子のところから真っ直ぐここに来たの?」


 またしても雪音は頷くだけだった。何か言葉で伝えなければとは思うのに、口から出るのは嗚咽ばかりで。思うように動かない。

 少し、考えるような間が空いて。今度は目の前から中性的な声が聞こえてきた。


「分かった。私達がその子を助けに行ってくるよ」

「……!?」


 沸き立つ希望のままに、雪音は声のした方を見上げる。相変わらず視界は涙で滲んでいて。どんなに拭っても、目に入る桜色の少女は輪郭しか分からない。


「え? 司令の指示? そんなん後でとればいいでしょ! ともかく、私と陽ちゃんでこの子の言う『レイ』って子の救助に向かうから。恭ちゃん、この子のことは君に任せたよ!」


 一方的に捲し立て、桜色の少女は耳につけた通信機を切るような動作をする。こちらに視線を向けて、


「きみ、もう少し自分の力で動ける?」

「は、は……い……」


 流れ落ちる涙を拭い、雪音はふらふらになりつつも立ち上がる。今にも崩れそうな脚を両手で支え、目の前の少女に目を向ける。彼女はにこりと安心させるように微笑み、 


「この後、ここに私の仲間が迎えに来る。きみ、その子の指示に従って貰える?」


 雪音がこくりと頷くと、


「よし、いい子だ」


 そう言ってうんと頷き返し、桜色の少女は光の床を離れて上空へと舞い上がる。雪音に背を向け、左腰から抜き放った剣に緑色の刃が形成されていく。

 今にも遠くに行きそうな桜色の少女に、雪音は 


「あ、あの!」


 自然と声が出ていた。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった声を張り上げ、精一杯の想いを込めて、雪音は叫ぶ。


「お願い、します……!」


 と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る