第3話 子どもの頃の別れの思い出
鹿さんとの別れは、突然訪れた。
もう来ることはないだろうな……、そうわかってはいてももう緑の雑草だけが、生い茂る花畑でただ一人、鹿さんが来るのを待つ日々。
◇◇
白い鹿さんが現れた次の日、前日はあんなに楽しい時間を過ごしたのに、多くの子どもたちは村を出ることはなかった。
家の軒か、村の寄り合い所で遊び、いつもは野山で駆け回っている男の子たちも、それは一緒だった。
家から出るといつもと違い、子供たちが村を駆け回る様子に驚く。
大きな声をあげて騒いでも、うるさく兄弟喧嘩をしても『元気をもて余しているなら、近く山菜を採りに行ってこい!』とも、言われず軽く怒られる程度ですまされていた。
不思議に思いながらも半日過ごし、田んぼにいる両親のもとへ行き軽い昼食をとると、やって来た百合ちゃんと、花畑へ鹿さんが居るか見に行くことにした。
そして小高い丘のお花畑には、眠っているように目をつぶる鹿さんがいた。
「やっぱり凄くきれーい、悪い虫さんもいないねー」
「ねー。やっぱり神様のお使いなのかな?」
「あっ、起きちゃった!?」
「今日は首飾り作ってあげようっと、こんなに大人しくていい子だから、最後を横では横で編んでも大丈夫よね?」
「どうかな? わんないけど私は冠にしようっとー」
そう言って、その日も鹿さんに冠や首飾りを作ってあげたり、自分の分の冠を作ったりして遊びました。
そんな楽しい日々が続く中で、私たちの話しを聞いて『私も鹿さんに会いに行く!』と、言った子どもいたのですが『軽はずみなことをやって、ばちが当たったらどうするの?!』と、彼女のお母さんに止められていました。
私たちの一族の子どもは、お供えへとために鹿島様や、祀られている土地へ行った時の先祖の話しを、深くは話されないまでも、近くに住む神様の話しとして、聞くことができた。
その話し中で鹿島様は、優しく、美しく、私たちを見守ってくれている。
けれど、みんなの家は違うようで、鹿さんには失礼の無いよう、誰も近寄ることは無いように、きつく言われていたのかもしれない。
その違いで私と百合ちゃんは人の少ない時間には森へ行き、鹿さんへ素敵な花の冠や、触ると少しだけごわごわする背中を撫でることができた。それでも鹿さんは怒らずに、時には寝ているのか、目をつぶりながら私たちの遊びにつき合ってくれた。
その日は、天気の悪い曇り空の下、私は百合ちゃんを迎えに行った。いつもは花畑に向かう途中の、うちの家に来て声をかけてくれたのだけど……。
「百合ちゃん、あーそーぼう~」
大きな声で、百合ちゃんを呼ぶ。
けれども今日は、百合ちゃんお母さんが、百合ちゃんを怒っているように呼ぶと、百合ちゃんはやはり怒られたように出てきた。
その浮かない顔に、不吉な何かを感じた。だけど、「行こうか」と、言った百合ちゃんに、何も聞けないまま花畑へとついてしまう。
百合ちゃんはその場に立ち、より一層そわそわとしていた。こちらが、可哀想になるくらい落ち込んでいるのがわかった。
「おばあちゃんに、怒られちゃったの?」
「う、うん……、そうなの。……あの志穂ちゃん……」
百合ちゃんが指先を、もじもじしさせながらこっちを見てる。
「なに? やっぱり私のこと?」
「あのね、鹿島様は神様だから、一緒に遊ぶなんて、恐れ多いことをしてはだめって……」
「そっか……百合ちゃんもそう言われちゃったのなら、仕方ないよね。大丈夫! 鹿さんは私がおもてなしするからね」
「ごめんね。また後で遊ぼうねー」
「うん。あとでね」
百合ちゃんが去った後、鹿さんは花畑やってへ来ると、いつものようにゆっくりその場へと座った。でも、百合ちゃんが居ないことに、気がついたのかもしれない。澄んだ目で私の心の中を覗き込むように、見つめてくる。
「おはようございます、鹿さん。えっと……百合ちゃんは、おうちの用事で来られなくなっちゃったの。だからこれからは私と二人で遊びましょう」
私は無理やり笑顔を作って、鹿さんに嘘をついた。賢い鹿さんは本当のことを聞くと悲しむんじゃないかと思って……。でも、鹿さんはそれでも、私のことをじっーっと見るので思わず、目をそらした。
こっそり鹿さんを見ると、目をつぶっている。やっと安心と気が緩む。ゆっくりと起こさない様な力加減で、頭を撫でようとすると、その手をペロペロって鹿さんが舐める。
いままでそんなことを、鹿さんはしたことはなかった。
「もしかして慰めてくれるの?」
小さくうなずくように、鹿さんは頭を下げる。
「うふふふ」
私は鹿さんに笑いかける。賢い鹿さんならきっと、どれだけ私が幸せな気持ちかわかってくれるはず、でも、どれだけやりきれない思いでいるかもわかっていたはず。
それからも鹿さんはやって来て、花の終わりが近づいて来た花畑から、近くの滝を見に行ったり、野生のイチゴの場所を教えて貰ったりして、楽しく過ごすが、鹿さんの帰る時間はどんどん早くなってしまっていた。
そしてある日、鹿さんは花畑へ、先にやって来ていつも通り座っていた。
「鹿さん、おはようございます」
私がそう言うと、鹿さんは立ち上がり、私をじっと見つめながら、そばまでやって来た。
「どうしたの?」 と鹿さんを撫でながら見てみると……。
「何か口に咥えてるの? それは食べていい奴なの?」
鹿さんの口に咥えていたそれは、銀色に輝き、どう見ても葉っぱや草ではなかった。心配になって「それ頂戴」と、言うとあっさり手の上に置いてくれた。
それはとても綺麗いな真珠の髪飾り。
「わぁー、きれー。もしかして鹿さんこれ私にくれるの?」
鹿さんは、何も言わず私を見ていた。私はかわいい鹿のお友達の角に、注意しながら抱きついた。さすがに神様だから、いままで我慢をしていたけれども、我慢出来なかった。
野生動物にはダニや思ってもない危険があると、口酸っぱくなるほど言われていたので、絶対的にそういうことはしなかったのに……。
そして今度は頭を撫でで、それでもなんだか足りない気持ちになって、その髪飾りを長く自慢だった髪へとつけると、ふたたび鹿さんの頭を撫でる。撫でられて目を細める鹿さんを一人占め出来ることは、やっばり誇らしい。
「鹿さん本当に人間みたい、今日はもう雨が降りそうだから遊べないけど、明日は絶対に遊びましょうね」
そう言って別れたあとは、すぐ雨が降り出す。家へ帰り母に話すと、その髪飾りはしばらく神棚に飾られることとなった。そして母は、持っていたおばあ様の形見の髪飾りを見せてくれた。
その二つはそっくりで、対になっているように見える。
「お母さんのおばあ様もおばあ様に貰ったものらしいのだけど、鹿島様に一族先祖の誰かが貰い、それが遺品という形でお母さんの手にまわって来たかもしれないわね」
「あの鹿さんは、そんなに前から生きているの?」
「どうかしらね? お母さんが子どもの頃からあのお姿だけど、それにしても鹿島様に選ばれた娘も長く生きると言うわ。ただ、気まぐれにくれただけかもしれないけれど、頂いて良かったわね」と言っていたが、少しだけ複雑な顔をしていた。私は胸がチクッと痛くなり、お母様に甘えて抱きついた。
「お母様どうしたの? 何か駄目だった?」と、聞いてもやはり同じ表情で「ううん、そんなことはないのよ。良かったわね」と、答えるだけだった。
その次の日にも雨は降り、その梅雨の始まりの雨は三日ほど続いた。やっと4日目に朝日を迎える事が出来たが、いくら待っても、何日待っても鹿さんは現れなかった。一人で待っていると森は闇を包み込み隠しているようだ。どんどん心細くなる。
それでもそれからしばらくは一人で通うが、村の外で他の子たちも遊びだしたのを見て、友達はもう来ないことを悟った。でも、それでも諦めきれず花畑でしくしくと泣く日々を送り、しばらくの間はそんな私を母がすぐに迎えに来ていた。
しかし何年か後、ふと後ろを向くと、鹿さんが木の陰からこちらを見ていた。そして『鹿さん!』と、私が駆け寄る前に森へと消えてしまう。立ち尽くす私に、少しづつ友だちの無事を安堵し、子ども特有のそういう時期だったのだとそう思えた。
鹿さんとの楽しい思い出は、胸の内に静かにあった。
花の冠を幾重にもつけてくれた、優しい鹿の神様さんの姿は、両親が生きていた頃の最期の幸せな記憶。だから……、勝手に両親の願いを受けて、鹿さんは今も私を今も見守っている、そう思いたい。
◇◇◇◇◇
昔のことを思い出す。思いがけず、鹿さんと私の人生は繋がっていた。
おかしな点は、いろいろあった。 本当に危険があるなら、きっと私たちも鹿さんに会うことは、近所の誰かが止めていたはず。
でも、不思議な力を持つ私たちが、止められることがなかったのは、いつか鹿さん……鹿島様のもとへと嫁ぐ一族の娘たちだったからだろう。
「そうですね。会いたいです。鹿さんに……。 でも……あれから鹿さんは私が近寄って行っても、どこかへ行ってしまいます。鹿さんは受け入れてくれるでしょうか、私のことを?」
ふたたび私の胸に黒いもやが広がる。少しだけ息がしにくい様に思われた。親しかった鹿さんにまで、受け入れて貰えないことは、勝手なのだけどもう耐えられないかもしれない。そんな未来に目をつぶり、髪飾りのことを思い出す。そうすれば、少しだけ未来は輝きを取り戻す。
「それはわからない。だが、鹿島様の花嫁は代々お前たちのように、不思議な
「そんなことはないわ! 志穂はお気に入りだもの、先に連れて行けばきっと鹿島様は満足するはずよ! 余計なことをすれば、きっと事態は悪化するわよ! だから、志穂が行くべきだわ」
そう……奥様が言った時、あの日の意味がわかった。だからと言って私の気持ちが変わることはなかった。
「…………では、参ります。長いお世話になりました」
「お前はそれでいいのか?」
手をつき頭を下げていた私に、突然の伯父様の言葉が降って来る。その瞬間、その場の空気が冷たいものになったのがわかった。
「何を言っておいでなのですか?」
怒りを、押し殺し切れてない奥様の声が響く。
「じゃぁ……あの……鹿さんの好きな食べ物はなんですか?」
「すまない、鹿島様について詳しく知る者は、ほとんど亡くなっているんだ」
「そうですか……」
好きな物がわからないのなら、昔のように鹿島様ついて歩くしかない。そうすることで、私の食べられるものも、見つけられるかもしれない、そう思えた。
…………奥様の質問でだいぶ顔が、和らいだように見える。私もこの場で結果をひっくり返すことはしなくない。後、備えなければいけないものは……。
「あっ!」
嫁入りの用意と言っても、私のものの多くは、私を育てるために、多くが売られてしまったと聞いていた。この身一つで、行けば良いのだろうか? まさか白装束だったりしないだろうか。
「あの……明日は……この格好で、いいのでしょうか?」
「すまないが、一度きりの花嫁を買うことはできない、お前の母の衣裳から上等のものを選びない」
「母の? 母の衣裳は、私を育てるためにはお金が必要だからと……」
そう言った時、奥様と目が合い、余計なことを言ってしまった、と、目を閉じた。けれど、今の着物で行くのも……なにせ、着物の裾が大きく破れてしまっている。
伯父様は片手で顔をおおい、「あれの衣裳には、先祖代々のものも多くあったのに……、それほどまでに……。すまない志穂……、忙しさにかまけて見てない部分が多くあったようだ……」
そう、悲痛な声を出し、そういうだけで、後は黙り込んでしまった。
「お父様……志穂もういいわ。後は、家族だけにして、あっ、待って! 装飾品は? 装飾品はあるの?」
「残っているのは母の形見の真珠髪飾りと、鹿島様から貰った対になる髪飾りだけです」
「あぁ……鹿島様の……。もういいわ下がって」
真珠髪飾りは、鹿島様からと聞いて、さすがに百合様と、奥様も取り上げることはなさらなかったものだ。だから今も手元に残っていた。
着物についてはどうなるかわからないが、髪飾りは、鹿島様から貰ったものを使うはず、髪飾りが特別な意味を持ったようで、少しだけうれしい。
それしか私は言うことはない。きっと、着物のことについては立ち入らせて貰えないだろう。
その日の晩、寝る前に、久しぶりに鹿島様とのことを思い出した。鹿島様に乗ろうとしたことまでも思い出し……両親が居る頃の、私は結構むちゃをする子どもだったかもしれない。
結婚と言っても一緒にいて、鹿さんの世話をするだけだろう。もし食糧がなくなって、たぶんこのまま、日照りがきつく、雨が降らないのならきっと同じことになる。そして村ではもっとひどいものを見るだろう。なら楽しいことを考えて明日を夢見る。それがここで暮らして覚えた処世術だった。
けれどもし、もしもだけど、あの鹿さんが、本当に神様か、神様の使いなら、私の新しい家族になってくれないかな?
そして鹿さんが夫というなら、家族のために今度は家事やお料理を頑張ろうと思える。それは凄く素敵なことのように思えた。死ぬまでの間にくらい、そんな夢を見てもバチは当たらないだろう。
鹿さんに会うことは、とても楽しみで、僅かだけ哀しかった。
続く
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