第2話 村の危機
江戸時代の大和の国、神獣と言われるものが、生活の中に息づく世界。
東の都の武蔵国と西の都の山城国をつなぐ、東海道五十三から森で隔たれた場所に、私たちの村がありました。とても小さな村でしたが、食料となる野菜、特に稲穂から穫れる米は毎年豊作で、お米に困った事の無い村でした。
そして秋には山で栗やクルミを収穫し、珍しい御馳走となるのです。
けれど、私が十八歳になる今年、雨が降る日はとても少なく、田んぼの水は少しずつ渇きつつありました。
七月は終わりの今の時期に、今のようでは……実りの秋までには、どうなってしまうのだろうか? という話題ばかりが、村人口に上がるようになりました。
そのため、村の雰囲気はこれから夏本番を迎えるのに、暗くなっていくようで……やはり、私もおもわず、ため息のでるようになってしまいます。
◇◇◇◇
夕食に使う、きゅうりやなすを収穫へ行った帰りみち、雨不足の中でもあいからず、稲はまだ緑が美しく、白鷺ものんびり田んぼの中を歩いている。
そんな田の横のあぜ道を、急ぎながらも、自然に見惚れ、竹のかごに入れた野菜の重さなど忘れ歩いている。
その時、その田から人が上がって来る人の姿を見つける。彼は振り返り、田んぼを眺め顔を曇らせて、重く、深いため息をついた。
六月の終わり頃まだ、そんな彼らに、『どうしだんですか?』と、世間話として話しかけ、話を楽しめる余裕が誰にでもあった。
『すぐまた雨の日が続きますよ』と、最後に励まして、その場を離れる。
今はそんな余裕は、お互いにはもうなくなってしまった。ただ、頭を小さく下げただけで、その横を通り過ぎる。
来年は何を食べて行くのか? そんなこともあるが、年貢はどうするのか? そんな村全体の存続を危ぶまれる事態、そこからは……ある日を境に多くの子どもが村から消える。そんなこと考えたくない。重い、未来まで、想像までしてしまう。
「いつになったら雨が降るんだ……」
急に聞こえた声に驚き、そして相手に、聞こえないように小さなため息をつく。
稲穂に隠れているが、雑草を抜いているようだ。緑の
「鹿島様になにかあったのだろうか?」
「いやいや、滅多な事を言うな。もしかしたら契約を果たさない我々に、怒っているのかもしれねぇ……」
――今では懐かしい思い出となってしまった。私の友だちの鹿さんは、鹿島様と言うお名前。そんな白い牡鹿の鹿島様は今も、村の守り神様だけれど、契約って? そう考え込み、歩く速さも遅くなってくる。
その時、女性の怒鳴り声が聞こえた。私の名前を呼ぶ声は、百合様……。思わず体が震え、縮こまる。何かしてしまったのだろうか?
「志穂! 志穂どこなの? お父様がお呼びよ」
その声を聞いたのだろう。田の中の一人の声が聞こえた。
「志穂が近くに居たのか……。聞こえちまっただろうか?」
百合様を見ていた私の近くで、ふたたび稲の中にいる人物はひそひそ声でそう呟いた。
――やはり、何か秘密のこと?
とても気になりはしたが、けれど百合様が、今はもう庄屋の伯父様、百合様の父の家となった、藁ぶき屋根の軒先で私を呼んでいるのだ。
腰に手をやり、少し怒っているようで、私はすぐ行くしかなかった。
野菜を落とさないようにと、ざるの上にそっと手を置き、草の伸びてきた畦道を走る。気の早い蝉が、ジィジィジィジィと鳴く声が遠くから聞こえてくる。
夏の始まりの暑さのせいで、額に汗が浮かぶ。そのせいで前髪が張り付き前が見えにくい中、走って行かなければならない。
そして庭先に辿り着くと、腰に手を当てた百合様が睨みつけるように私を見た。その目をみると、心がざわざわする。
「遅くなってすみません。伯父様がお呼びなのですね。すぐ行って参ります。」
「畑に行くだけで、こんなに時間がかかるなんて……本当にぐずね!」
彼女は吐き捨てるようにそう言い。他へ行く身寄りのない私は「本当に申し訳ありません」と、ふたたび謝るしかなかった。
「ふん!」彼女は先ほどの言葉で満足したのか、先に立ち伯父の所へと進み始める。
――そういえば伯父様が呼んでいるのは、珍しいかもしれないこの村の状態でする話なら、きっと良い話ではないだろう、そう考えると気持ちが暗くなっていく。
食いぶちを減らすために、奉公へいく話でなければいいけど……。両親の墓と鹿さんの思い出のある、この村を離れたくなかった。しかし生きて行くためには、そんなこと言ってる場合ではないかもしれない。
両親が流行り病でなくなると、私は伯父様に引き取られ、伯父様も母も村での功績が高い一族だったので、伯父様が庄屋を引き継ぐことになった。
しかし母と、百合様の母の奥様は、折り合いが悪かったようで……、そしていつか百合様も……、伯父様が庇うと火に油を注ぐようで、今ではこの家で怯えながら暮らしているが、でも、あの流行り病はいろいろなものを壊していった。
それでも、この村はまだ恵まれているとも聞く。人の一生は、風に弄ばれる一本の小枝のようで、落ちた先で根ずくしかないのなのかもしてない。
玄関の敷居をまたぐと、着ていた着物を破れたままにしていたので、ビリッと無惨な音をたてていた。
そのままにしていた事を思い出しはしたが、けれども直すためのはぎれの布もなく、繕う事の出来ないままにしていたものだ。
恥ずかしさと後悔で、顔は赤くなり、心は黒く沈んでいく。
家事のことについて、母は厳しい人であったのに……。それでもふがいなく、やぶれた個所をそのままにしておいた。
だけど、そのおかげで伯父の家で家事の手伝いを、一通り出来る。だから住み慣れた、両親の眠るこの村で暮らすことが出来ていた。
母の思い描いてた未来とは違ってしまっているだろうな……、そう思うが、案外母も、こういう時のために私に教えてくれたのかもしれない。そう、心を元気づける。
しかし私の前を歩く百合様は、新しい着物を仕立てたばかりで、髪をきれいに結いあげている。幼い頃は従姉妹として、姉妹のように育ったが、流行り病が私の立場を変えてしまった。そう思わず、思ってしまいもした。
土間の釜の横に野菜を置くと、急いで草履を脱ぎ板の間へあがる。そしてふすまを二回、開けた先の、奥の部屋で伯父様は仏壇を背に座っている。
その横には、百合様と同じ生地の着物を着た奥様が座っていた。
伯父様は私たちの顔を見ると「そこへ座りなさい」と言って、目の前へと座らせられた。その時、奥様は何か言いたげにこちらを見た。すぐに矢継ぎ早に、私への言葉が飛んで来た。
「どこへ遊びに行ってたの? 見てないとすぐさぼるんだから!」
「よさないか、志穂は畑に野菜を取りに行っただけだ。いつもの事なのになぜ、悪い方へと考えるのだ」
奥様がそう声を荒げ、伯父様はかばって下さるが、やはり今回も火に油を注いだようだ。奥様はとても怖い目で、私を見据えている。もしかしたら私の横の百合様も。
しかし理由を話しても同じなら、ただ口を閉じてやり過ごす。
「貴方は志穂のことばかり、引き立てようとして! 両親を亡くした者は多いわ。庄屋と言う立場で、この子ばかりひいきするのは、いささか公平さを欠くのではございませんか?」
「お前が百合もそんな立場になっていいのなら、その話について聞いてやろう。嫌ならこの話はそれまでだ」
「百合はこの子とは違います。貴方の娘ではございませんか?!」
「もう、その話はよさないか、そんなことのために二人を呼んだのではないのだぞ」
「……まさか、人身御供のことについても、この子をひいきなさるの!? 貴方は妹の娘が、実の娘より可愛いというの?!」
すくっと立ち上がり、奥様は花火のように、その言葉を伯父様にぶつけ、散らしていた。言葉を荒げ、叫ぶので話の筋道がこちらには見えない。
――人身御供って……?
「なぜ……、そんなことを言うんだ……。お前には妹も、弟も居ていつも気を配っているじゃないか?」
「でも、……」
伯父様は、さも、信じられないようにいい、奥様は急に小さくなって顔を反らした。
「その話はここでする話ではないだろう……。話を進めよう。鹿島様はこの辺り一帯の守り神である方だ。その方の嫁になるのは、この家に課せられた契約と言っていい。そこに贔屓などという、卑劣なことはあってはならない。鹿島様をおささえすることが、この家に生まれたものお役目と知りなさい」
そう淡々と話し、伯父様の視線は、百合様と私へと移り、交互に言い聞かせるように話し始めた。
「百合、志穂も、十八歳を迎え、鹿島様のもとへどちらか一人、選らばれた者が輿入れにいくことになった。明日の朝までに三度、井戸の水で身を清め、決められたもののみ食べなさい。そして明日、朝日が昇るとともに山のお社へ赴く」
「でも、お父さん! 子どもの頃、私たちは白い鹿を見たわ。そして志穂のそばを離れなかった。それを見た者も多くいたのだから、志穂をまず送り出すべきじゃない?」
「…………」
三人の視線が私に注がれる。
「私が鹿さんのお嫁さんですか?」
「そうよ。嬉しいでしょう? 鹿さんのお嫁さん、仲が良かったものね」
そこで両親の物言いたげな顔を思い出した。それともに鹿さんの落ち着いた瞳を思い出す。
――私はそれを鹿さんが、望むならそれもいいかも知れない。私は百合様が変わってしまってからは、私は同じ年頃の子どもたちの輪から外れてしまった。今さら私をお嫁さんにする人はもういないだろう。
それなら……これから訪れるかも知れない米不足で、一人で苦しむよりは……。
ここへ残って米不足の事態がなくなったとしても、愛娘の百合様をよしとしない鹿さんの家へ嫁がせたことで、もっと奥様の怒りをかってしまうに違いない。
そうなれば、私のことは見たくはないと、奉公へ出すのかもしれないし、もっと、もっと、悪い……考えたくないような、考えが次々頭に浮かぶ。
それなら……あの鹿さん側で最後を迎えた方がきっといい。私は素晴らしい名案を思い付いたような気持ちになって目の前が明るくなった。
続く
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