第4話 志穂の嫁入り道中
花嫁を誰かのために染めるための装いは、この村では花嫁の母親が用意するものだった。それが難しい者には、母親代わりの者が花嫁のために真心を尽くして、花嫁を嫁がせる。
この村では結婚は家同士のつながりを強めることで、それが村の繁栄へと繋がっていた。だから結婚は喜ばしく、神聖なものだった。
そして私の花嫁衣装は、庄屋の家の隣に住む菊さんが用意してくれた。そこに相手が鹿島様だからってことはあるだろうが、伯父様の家は村一番の裕福な家だったので、菊さんが花嫁衣裳を用意すると聞いて、いろいろな意味で驚いた。
彼女に白羽の矢が立つまで、奥様やいろいろな人の気持ちがあり、動いたのだろう。そして菊さんの言葉を聞いて確信に変わる。
そこに私への配慮が感じ取れて、少しだけうれしかった。でも、真実は複雑なのかもしれない。そう思ったがそれは胸の奥へとしまった。
「
そうため息交じりに教えてくれた。
そう言っていた菊さんも、数少ない私の箪笥の中を見るやいなや、今度は重く、湿っぽいため息をふたたびつく。
「これだけなのかい?」
そこには古く生地も千切れてしまった思い出たちが、余裕をもって置かれている。
「えっと……もう少し繕い物をする腕が上がったら,仕立てようと思って……」
「白地に、赤のこーんなにも大きいトンボの絵柄の着物をねぇーー。貴方のお母さんは繕い物が得意で、無駄遣いはしない人だったけど、何にもないじゃない……」
「今、残っている服も着られますから……」
「そういうことじゃないのよ。私には娘はいないけど、これはないわ、ってこと。うーんほかにも買って、貴方の伯父に料金は立て替えさせましょうか」
「…………立て替え……」
「大丈夫よ。こっちは伯父さんに頼まれているのだから」
私はそのまま、晩御飯の下ごしらえも終わらないまま、菊さんの家へと移り住むことになった。鹿島様へ嫁ぐのは、着物が揃った後になってしまったらしい。残念なような、さすがに破れた着物で嫁ぐのはまずいよね……という思いもある。
「そこら辺に息子のものが置いてあっても、棚の上に置けばいいよ。町へ出て、手紙もろくに寄越さないだからもー便りのないのは、って言うけど様子を聞くのが街へ、私が仕事へ行った時だけってのもねー」
そう言って、台所の準備へととりかかる。
「手伝います」と言って着物をまとめる、帯紐を着物へ巻きつけていると、
「志穂は部屋を寝れるように片付けといて、それは料理が終わってからてのはなし、大掃除するのもなしだからね。小姑が来たかと思うよ、私は」
「でも、何もやらないわけには……」
「あんたは休みな。健康でちょとふくよか、てくらいが先方さんも安心するよ」
そう言って気を使ってくださるので、花嫁修業の間はとてもくつろぐ事ができた。修行は聞いていた感じと逆に、少しだけ暇で夜がいっそうと深まる前に眠ることが出来た。
◇◇◇◇
「志穂、待ちなさい」
ある日、百合様と私たちと、同じ歳の啓子ちゃんが訪ねて来る。うつむき、少々目を泳がせぎみの啓子ちゃんと百合様は、私の前に立ちふさがるように立った。
そこで真新しい、見た事の無い前掛けを、百合様が身につけていることに気付いた。その事に考えを巡らせると、ふたりとをやり過ごすことも今なら可能かもしれないが……。
「菊さんすみません。ちょっと百合様と話をしてから……」
「志穂、私にまかせれば悪いようにしないけど?」
「うーん、啓子ちゃんがいるので大丈夫です。たぶん」
「それならいいんだけど……」
菊さんには気がかりなことがあったようだが、私に任せてくれた。だが、百合様を先頭に歩く私たち。百合ちゃん、啓子ちゃん、幼馴染みの三人、仲良しだった頃から関係はかわったが、今はただ歩く。菊さんのもとにいる今、この村での最後の時だけでも、あの頃ようになれるのかも? 昔と変わらない景色の中で、そう思ってしまうのは仕方ないよね……。
そして誰も居ない神社まで来ると、百合ちゃんはいきなり振り返り話し出した。
「なんで、うちがあんたの着物の料金まで払わないといけないの? 本当にずうずしい、他人の気持ち考えた事ある?」
「ごめんなさい……」
「ごめんなさい? 志穂はいつもそれだよね……」
「百合ちゃん、もうやめなよ。おばさんみたくなってる! もう行こう。菊さんが志穂ちゃんと、あんたんとこの間に入ってくれたんだから、そこは納得しなさいよて、言ったでしょう。志穂ちゃんが行く前に、ちゃんと話をするって言うから付いて来たのにもー。ごめんね。志穂ちゃん。嫁ぎ先でも元気でね」
「…………うん、ありがとう。ふたりとも元気で」
挨拶が終わると、啓子ちゃんが深刻そうな百合ちゃんを連れて行く。
「でも、お母様が!?」
「もう、うるさい。私は、今、志穂のことで後悔してるのー、だから百合ちゃんのために頑張ってんじゃん。私の気持ちになってみてよ」
「でも……」
「あとで話は聞くよ。今はいいの!」
そしてふたりは神社の外へ、消えていった。静かに貧しいながらも整えられた神社の中で、ミーンミーンと蝉が鳴き、また一人取り残されてしまった。
「ただいまかえりました」
「何か言われたかい? 釘はさしておいたんだけどねー。あの奥さんは親の因果が子に報いを地でやっているからねー、なんで早く気付かなかったんだろうねー百合ちゃんもかわいそうだよ……」
「菊さん?……、えっと……百合様から何か言われる前に、啓子ちゃんが連れて帰っちゃったので、心配されるようなことはなかったです。でも、百合ちゃんがどうかしったんですか?」
「あんたは優しいから、そうやって人の問題に首突っ込むけど、花嫁さんは幸せになることだけ考えていればいいの」
「そうですかね……、でも……、他人のために頑張ってる人はやっぱり恰好良かったです」
「何かあったんだね。志穂には悪いが、今回のことでいろいろなことが噴き出して、村は変わるかもしれない。まぁーそれは置いといて、志穂にもう教えるものはないよー。あんたに必要なのは、休養と、もうちょっと食べる事だね」
「そうでしょうかー?」
「そうさ、ふふふ」
――そう玄関で笑い合う。それだけで人生は上向きに進んでいる。そう思えた。
◇◇◇◇◇◇
そして昨日、菊さん宅へと届いた、新しく用意された淡い桃色の新しい着物はとても美しく、心が躍る思いに、心が満ち溢れた。町まで買い付けに行ってくれた、ご夫婦には頭が下がる思いで、着物を眺める。
少しだけ伸びた髪の毛に、真珠の飾りを二つ、髪にさしてもらう。どれもとても綺麗で、貸して貰って見た鏡をまじまじと見つめてしまう。
「元がいいと、磨きがいがあるわねぇー。だったらもう少し早くこうすべきだったと反省もでるけど、そうもいかないのが、嫁の悲しいとこだわ。神様のもとへ嫁いだら、その可愛い顔と
「可愛いですか……しゅれん?」
「そうそう、その可愛いい顔で、貴方がいないとだめなの……とか、お慕い申しています。って言えば、神様だってあんたのこと大事にしてくれるよ! 頑張りなね」
「はい! ……ってそんなこと言えるでしょうか?」
「好きなら言ってやりなよ。きっと喜ぶからさ」
「はい……」
――鹿さんはお友達として好きだけど、それでもいいのかな?
そして最後の懐刀、「切る相手はもちろん、鹿島様ではありませんからね。今回の場合悪縁を切ると思ってなさい」そう菊さんは言ったあと、それをひざの上に置くとふぅ……と菊さんは静かにため息をついた。
「村のことをみんな志穂に、背負わせてしまうわね」
そう言って静かに、肩を震わしていた。そんな彼女の背中を撫でて。「菊さんのおかげで、無くした欠片、母の思いを知ることが出来ました。感謝しても、感謝しきれません」
人里から離れる前に、ふたたび人の温かさを知る事が出来て良かった。そう思いながら、彼女の背中を柔らかく撫でる。
「それに……、鹿島様のもとへと嫁ぐこと、それは天候、雨が降る降らないで左右されたものではないはずです。きっと鹿さんは、それを知って会いに来てくれたんだと思います。もし……でも、そうでなくても……私の命が誰かのためになり、ふたたび友達だった鹿さんと会えるのなら、それはそれで幸せだと思えるのです。それから…………鹿さんは神様だけあって、凄く賢いので、私はとても幸せになってしまうかもしれませんよ」
そう言って笑うと、やはりすべて道は決まっていたように思える。満天の星空の中の月を見上げるように心が安らいだ。
次の日、朝日を浴びて進む、白く可愛い友だちへの道。
赤と白の紐がクル、クル、クルと織り合わさり
でも……それより辛いのは、育った村を離れてしまうこと。
……なぜか、流れ出る涙たち……いつしか、私は声をあげて泣き、うつ伏していていた。
思い出の中にある私たちか、神輿を見送っていく。その中では、小さな私と百合ちゃんがあぜ道で本を広げ『あははは』と笑いながら、今来た道を歩いて帰って行く。
緑の稲たちは風に揺さぶられて様々模様を描きだす。
昨日まで確かにあった物が、明日からは記憶の中でしか現れない。それさえ砂がこぼれるように、私の中から流れ出してしまう。
そしてまた明日の無いかもしれない世界へ旅立った。
◇◇◇◇
今、やはり不思議な気持ちの中を進んでいく。
伯父様が先頭を務め、花嫁道中は、森を抜け山を長く歩いていた。
山の傾斜は子どもの頃より、歩きまわっていても、今や衰えた筋肉にはきつくなってきているようだ。そして夏の始まりとはいえ、やはり大粒の汗がしたたり落ちる。
「気に入った娘の時は、迎えにくるらしいがこないか……」
「まぁ、夫婦ってのは好き合っても、喧嘩するからなー、お前のとこみたいに」
「志穂、お釈迦様みたいに半分と言わなくても、ちょと見逃すことが夫婦仲良くの秘訣だからなー」
そう、付いて来てくれたおじさん達は言う。
『なんで、このどんぐりは食べてくれないんですか!?』という風に、私も鹿島様と喧嘩するようになるのかな? そう考えると少し足取りも軽くなる。そんな風に誰かを私が怒る……最近ではまるで夢のよう。
鳥居の前まで来ると、お社へは、花嫁候補の私一人が入るそうで、皆さんとはもうお別れ。
「私たちはもう帰るが、5日経っても雨が降らなければ、百合を連れてふたたびここへ来ることになる。それまで安全に暮らしなさい」
そう伯父が言った後、「「おめでとうございます!」」とみんな揃って言って帰って行く。
「ありがとうございます。お達者で~」
みんなを見送った私は、一歩、一歩と歩き、神様の領域へと踏み入ることなった。
続き
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます